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2014/11/07

■悩ましい問題

悩ましい問題があります。
もし万一、再稼働した川内原発が事故を起こした場合、薩摩川内市の市民に対する支援活動をすべきか、あるいは損害賠償請求をすべきかという問題です。
事故が起こらないことを祈りますが、福島での事故を体験した以上、起こらないとは断定できません。
正直に言えば、私自身は福島原発事故が起きた時に、福島県民に同情する以上に怒りを感じました。
こんなことを言うと、叱られるでしょうが、相変わらず原発に依存しようとしている福島県民には、いまもどこかに割り切れないものがあります。
しかし、福島の原発事故は、通常の受け身の教育を受けてきた人たちには「想定外」だったでしょうから、仕方がありません。
それに私もまた、やむを得ずとはいうものの、原発の恩恵を受けていたことは否定できません。
こういう社会を構成している一員である以上、福島県民を非難するわけにもいきません。
前にも書きましたが、その罪は従容として受け、福島産の野菜もきちんと食するようにしています。

しかし、福島で原発事故が起こった以上、状況は変わりました。
そうしたなかで、薩摩川内市の市民たちは、反対者はいたものの、再稼働を選んだのです。
そこで悩ましい問題が発生したわけです。

私は千葉県に住んでいますので、川内原発で万一事故が起こっても、すぐには直接的な被害は受けないでしょう。
ちなみに福島原発事故の被害は直接的にも影響を受けています。
たとえば、わが家の農園は作付不能になりました。
でもそれは甘んじて受けましょう。
多くの人にとっては、「想定外」だったからです。
でも今は違います。
この状況で原発再稼働を認めると言うことは、未必の故意が存在します。
危険ドラッグよりもずっと危険な施設を動かすのですから。

薩摩川内市周辺の人たちは、もし事故が起こったらどうするのでしょうか。
避難計画が議論されていますが、それは、事故がありうるということを前提にしています。
安全と言いながらの避難計画、どこかおかしくはないでしょうか。
薩摩川内市の市民たちはそれでいいでしょうが、近隣の地域の人たちはどうするのでしょうか。
それでも薩摩川内市の市民の支援をするのでしょうか。
そういうことを考えると、実に悩ましい。

原発再稼働は一自治体の話ではないはずです。
もちろん一国家の問題でもありません。
稼働するとしても、それをしっかりと認識すべきではないかと思います。

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