■節子への挽歌2629:アリ
節子
昨日の出来事です。
湯島で来客から来客の間、30分ほど一人になることがありました。
マグカップにコーヒーを入れ直そうと思って、少し離れたところに置いていたカップに目をやると一匹のアリが、マグカップの側面を歩いていました。
どうしてこんなところにアリがいるのだろうかと思っているうちに、アリはカップの後ろ側に回ってしまい見えなくなりました。
それで、カップを取り寄せて、後ろを見たのですが、なぜかアリがいません。
カップはテーブルの真ん中に置かれていたのですが、周りを探しまてもいないのです。
近くには何もない状態でしたから、隠れようはないはずです。
そんなはずはないと思い、懸命に探しましたが、結局、見つかりませんでした。
夢を見たのでしょうか。
なにやら不思議な気分になりました。
しかし、そもそもテーブルの上に、アリがいることが考えられません。
部屋の中でアリに会ったことは、少なくともこの数年はありません。
見間違えでしょうか。
そう考えなければ、辻褄が合いません。
まあ、それだけの話なのですが、1日経った今日も、どうも気になります。
あのアリはだれだったのだろうか、と。
実は、その少し前にブログに「蟻のように生きる人生」という記事を書いたところで、アリのことをいろいろ考えていたのですが、その影響で幻想を見たのかもしれません。
しかし、そのアリは、たしかにマグカップの側面を横に歩いていたのです。
そして消えてしまった。
昨夜、薄暗い庭に出た娘が蛇がいると言うので、懐中電灯を持って出てみたら、枯木がちょうど蛇のように見えたものでした。
人が見る風景は、自分の頭の中で創り出したイメージであることは、少なくありません。
あのアリも、私の脳が創り出したものだったのでしょうか。
そう思うと、だんだんそんな気がしてきます。
見えるはずのない、アリの顔までが浮かんでくるのです。
脳が創り出したものは、どんどんと脳が育てていくのでしょうか。
湯島では、時々、こんなことを体験します。
一人でいると、いろんなことを体験するのです。
そういえば、2か月ほど前には、テーブルの上に置いた部屋の鍵が忽然と消えてしまったこともありました。
この部屋は、もしかしたら、彼岸とでもつながっているのでしょうか。
もしそうなら、今度は、アリではなく、節子を出現させてほしいものです。
今日はまた、凍えそうなほどに寒い日になりました。
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