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2014年12月

2014/12/31

■節子への挽歌2679:疲れた年も今日でおしまい

節子
節子がいなくなってから2679日が経過しました。
そして、明日は8回目のお正月です。
今年もいろいろありましたが、年末近くなって、体調も気力もかなり戻ってきました。
そうなると、またやらなくてもよいことをやりだしてしまうのが、私の悪癖です。
大晦日の今日になっても、余計なお世話の活動をしてしまっています。
困ったものです。
しかし、ちゃんと最後のお墓参りには行ってきました。
般若心経もあげてきました。
本堂にもお参りし、若住職とも話してきました。
お寺では、今夜の除夜の鐘の準備をしていました。

節子が元気だったころ、お寺に除夜の鐘をつきに行ったこともありました。
初日の出もよく一緒に見ました。
もうあんな年越しは戻っては来ません。
それがちょっとさびしいです。
いまも、なんだか年末の気分がしないのです。
それでも、明日は新しい年です。

今年ほど疲れた年はありません。
その疲れを忘れたいです。

昨日までの天気予報と違って、明日の朝は晴れそうです。
初日の出が見えるかもしれません。
来年はこれまでと違って、少し前を向いて進めそうです。
そうしないと、いつになっても彼岸への旅立ちができません。
前に進む後押しをしてもらうためにも、明日は初日の出を見たいと思っています。

節子
今年も1年間、ありがとう。
もう少し現世にいないといけなさそうですね。

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2014/12/30

■節子への挽歌2678:同じ目線での生活

節子
同じ目線で生きることの意味を、最近改めて感じています。
水俣病事件に誠実に取り組まれ、水俣学を提唱された原田正純さんは、晩年、奥様と一緒に行動されていたそうです。
「苦界浄土」の著者の石牟礼道子さんは、そのエッセイで、原田さんの奥さんの言葉を書いています

「結婚して以来、こんなに一緒にいる時はございませんでした。もうあとのなか命ですもんね。一緒にいなきやと二人で言い合っています。とっても幸福です。原田が世間に出て、なにをしているのかだんだんわかってまいりましてね。私も協力しなきやと思うようになりましたの。とても楽しくて、こんな幸福なことはありません。」
同じ目線での生活が、夫婦の関係性を確かなものにしていくのでしょう。
私は、一緒に暮らすようになった時に、このことを節子に話した気がします。
私たちは、いつも一緒に考え行動することを心がけていました。
隠し事はなく、意見は言い合うために口喧嘩はよく起こりました。
しかし、会社に勤めていた頃は、目線の違いが少しずつ広がっていたような気がします。
それが破綻まで行きそうな時もなかったわけではありません。
私が、もし会社生活を続けていたら、節子との関係もいまとはかなり違ったものになっていたかもしれません。
私が会社を辞めてからは、その溝はなくなり、目線もそろって来ていたと思います。
夫婦と親子との違いはここにあるような気がします。
親子は、決して同じ目線には立てないからです。

これはなにも夫婦に限ったことではありません。
「同じ目線」というのは、社会活動をする時にはとても大切なことです。
社会活動に取り組んでいる人と会っていて、時に私が拒否感を持ってしまうのは、この「目線」がためです。
社会のため、困っている人のため、などという言葉が出てくると、頭のどこかがプツンと切れてしまうのです。

節子の胃がんが発見されてから、私は基本的に仕事をやめ、再発して以来は、ほとんど自宅で過ごしました。
病院もいつも一緒でした。
節子が一時期、回復した時には、遠出はできませんでしたが、日帰り旅行もよくしました。
その4年半、私たちの目線はほぼそろっていたと思います。
その時に、節子が幸せだったかどうか、確信は持てませんが、私たちが一緒にいた時間は多かったことは間違いありません。

そして節子が逝ってしまった後は、さらに私たちはいつも2人一緒にいる感覚です。
しかし、「幸福か?」と言われると、「幸福だ」とは言いかねます。
挽歌を書くよりも、節子との語らいのほうが、楽しいだろうからです。
語らう伴侶がいないことは、さびしいものです。
特に寒い冬には、そう感じます。

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■「差別する意識」が生み出す市場

12月の後半に開催した3つの集まりに共通したテーマを感じました。
集まりの大きなテーマは「自殺」「家族」「認知症」だったのですが、いずれにも共通していたのは、私たちが無意識にもっている「差別する意識」とそれを生み出す「制度」でした。
そうした意識や制度は、気づかないうちに、私たちの生活の中にどんどんと広がっています。
そう強く感じたのは、昨日開催した認知症予防関係の話し合いでした。

認知症の定義は、いろいろとあるのでしょうが、人はある年齢になると急速に認知度が低下するそうです。
認知度の低下の大小により、認知症の恐れがあるとか、軽度の認知症、重度の認知症とされるのでしょうが、その定義はかなりあいまいなのだろうと思います。
高血圧症の範囲が医療界の都合で変えられているのと同じかもしれません。
しかも、それは社会の仕組みによっても大きく変わってくるでしょう。
3世代とか4世代が一緒に暮らす大家族制度、あるいは隣近所が支え合って暮らすような開かれた家族制度の場合は、認知度が低くなっても、「病気」扱いされずにすまされていたでしょう。
逆に昨今のように単世代家族中心で、しかも家族が自閉化しがちな社会においては、軽度の認知力低下でも「病気」扱いされることで、隔離されていく傾向が強くなるでしょう。
加齢とともに認知度が低下するのは、それなりの生命的理由があると私は思っていますが、そうした生命の摂理さえ病気にされてしまうのは、いささか悲しい気がします。

もっとわかりやすい例は、精神病です。
日本では精神病が理由で入院している人は非常に多く、全入院患者の4人に1人が精神障害者だそうです。
精神病院は、今でもなお「隔離装置」となっているように思われます。
ある集まりで、座敷牢に閉じ込められていた昔に比べればよくなったのではないかという話になりましたが、これもたぶん正しくはないでしょう。
座敷牢が広がったのは、明治になってからではないかと思います。

水俣病の語り部、石牟礼道子さんのことを書いた本を読んでいたら、若松英輔さんのこんな文章が出てきました。

水俣病よりずっと前から石牟礼道子は豊かな非情の世界で生きていたのである。
人間であるものと人間でないものの境界が溶け合っている世界である。
幼い彼女の傍らには神経殿(しんけいどん)と呼ばれる老女がいて、石牟礼道子はいつも神経殿を通して言葉を身につけていったはずだ。
神経殿というのは今で言う精神病者のことで、その蔑称とも愛称とも分かちがたい呼称でたがいを引き寄せるようにして人びとは混じり合っていた。
そこは障害者/健常者や正常者/異常者といった境界を社会的規範が押しつけてくる世界ではなかった。
私が子どもの頃は、まだそうした「多様な人たちが一緒に暮らしていた社会」だった気がします。
父の実家に疎開していたころに、その村にやはり神経殿のような存在がいたような記憶がうっすらと残っています。

健常者とか正常者とかいう言葉は、私には理解しがたい言葉ですが、健常や正常の範囲がどんどん狭まっていることは間違いないでしょう。
そこからはみ出した人は、医療や製薬やケアサービスの顧客になっていきます。
そうして経済成長に貢献する存在へと仕上げられていくわけです。
私には、忌まわしい動きです。
なんでも市場化してしまう、最近の制度設計の発想には、恐ろしさを感じます。
そのうち、すべての人は病人にされ、薬の消費者になっていくでしょう。
いやすでにもうほとんどそうなっているかもしれません。

人はそれぞれに違うのだという、当然のことに気づくことがない限り、こうした動きは止められないでしょう。
「違い」を障害や病気などと考えることはやめようと思っていますが、自分の心身の中にある「差別する意識」を克服するのは難しいものです。

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2014/12/29

■節子への挽歌2677:10年前のことを思い出させてくれた木下さん

節子
今年最後の湯島のお客様は、豊橋の木下さんでした。
木下さんは10年近く前に、代々木のオリンピックセンターで開催したコムケアの最終選考会に参加してくれていたそうです。
当時、全国のNPOを対象にした資金助成プログラムの運営をしていましたが、応募した人たちの投票で助成先を決めるようにしていました。
その最終選考会は公開で行っていたのです。
選考会の後、立食パーティもやりましたが、私が主催者だったので、周りにいろんな人が集まっていて、声をかけそこなったのだそうです。
その後、木下さんはサロンにも出てくれましたが、その時もゆっくり話す時間がなく、しかし、なんとなくメールやフェイスブックでの交流が続いていました。
その木下さんが、東京に行くので湯島に寄りたいと言ってくれたのです。

代々木での集まりの時には、残念ながら節子は病気で参加できませんでした。
準備のため私は前泊しましたが、その時、一緒に食事をした何人かの方のことを今も思い出します。
愛知や群馬や四国などから参加してくださって前泊された方たちです。
みんな障害をお持ちの方や高齢者などに関わっている人たちばかりで、痛みをお持ちの方ばかりでした。
そのせいか、私もついつい節子のことを話してしまいました。
場違いだったかもしれないと気になっていました。
しかし、翌日の選考会の始まる前に、みなさんと話していたら、ある人が「佐藤さんはどこかあったかい気分がする」とつぶやいてくれました。
哀しさや寂しさの表明が、あったかい空気を生むこともあるのだと、思いました。
その言葉が私を元気にしてくれ、選考会は大成功でした。
節子は参加できませんでしたが、参加していたのだと、なぜか思いました。
5回の選考会を開催しましたが、私には一番心に残る会でした。

木下さんは、その会に参加してくれていたのだそうです。
その話を聞いて、いろいろと思いだしました。
選考会に残ったあるNPOの代表は、私と同じく、伴侶をがんで喪いました。
その直後にお会いしましたが、私とは対照的に、実に気丈夫に振る舞われていました。
伴侶を喪うと、男性は自壊しがちですが、女性は強いなと思いました。
生きる力が違うのかもしれません。

木下さんと会った後に、ある集まりが湯島でありました。
そこに参加された2人の女性も、伴侶を亡くされています。
おふたりとも社会的な活動に取り組んでいます。
見習わなければいけません。

木下さんからメールが来ました。

限られた時間でしたが、佐藤さんの心の琴線に触れられた気がして、大変嬉しいです!
人との出会いは本当に不思議なものです。
来年は木下さんが働いている豊橋に行ってみようと思い出しています。

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■「苦界浄土」を読みなおそうと思います

年末になって、少し思うところがあって、石牟礼道子さんの本を読むことにしました。
私が最初に石牟礼さんの「苦界浄土」を読んだのは1972年でした。
十分に受け止めることができなかった気がしますが、その本を読んだ後、水俣病のことを知りたくなり、かなりの本を読んだ記憶があります。
しかし、どちらかといえば、知識ベースの読み方でした。

「苦界浄土」は正直、私には難解な本でしたが、どこか心の真底に響く本でした。
石牟礼さんの、「苦界浄土」の続編も読みましたが、ますます歯が立たないものになっていました。
それはたぶん私自身がまだ論理の世界にいたからでしょう。

最後に読んだのは、もう30年程前です。
考えてみると、会社を辞めてからは、石牟礼さんの本を読んだことがありませんでした。
しかし、その間、水俣と無縁だったわけではありません。
水俣を訪れて市長に会い、吉井さんには山形で開催したイベントに来てもらうお願いをしました。
名物職員の吉本さんには水俣を丁寧に案内してもらい、ご自宅にまで泊めてもらいました。
語り部だった杉本栄子さんにもお会いし、杉本さんのとびきりおいしいシラスも味わせてもらいました。
原田さんの水俣学も学ばせてもらいました。
新潟水俣病に関わっている塚田さんにお会いし、水俣病問題へのお思いを聴かせてもらいました。
意図したわけではなく、気づいてみたら、水俣問題にも少しですが、触れさせてもらっていたのです。
それで、もしかしたら、いまなら「苦界浄土」のメッセージが受け止められるかもしれない。そう思ったのです。

石牟礼さんは、彼岸と現世、心身と魂の世界を往来している人のように感じます。
私にはまだ遠い人ですが、私も最近、そうした生き方がわかるような気がしてきています。
自殺や認知症に、「心ならずも」虜にされているのは、そのためかもしれません。

昔読んだ「苦界浄土」を書庫から探し出して机の上に置きました。
文庫本ですが、まだ読みだせてはいませんが、年が明けたら読みだそうと思います。
その前に読む本(もちろん水俣病関連ですが)も何冊かありますし、見直すべきテレビ番組もあります。
めげなければいいのですが。

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■節子への挽歌2676:「人生」は生きている

節子
今日は雪が降りそうな日になりました。
昨日は夕方になって、いろいろとやらなければいけないことを思い出して、挽歌を書き損ねました。
一時期、挽歌書きは習慣化していたのですが、最近は生活リズムそのものが乱調しています。

昨日、東尋坊の茂さんと川越さんたちが、恒例のお餅を送ってきてくれました。
茂さんたちは、東尋坊での見回り活動のなかで、昨日までに507人の「人生に悩める人たち」に出会ったそうです。
年末にも気を許せないのでしょう。
あの寒い東尋坊で見回り活動をしている茂さんたちには頭が下がります。
電話したら、いつもと変わらぬ元気な茂さんの声が聞けました。
節子がいたら、茂さんたちとの関係もさらに深いものになっただろうと残念でなりません。

このお餅は、見回り活動の仲間や人生の再出発に向けて準備している人たちみんなでついたものです。
茂さんは、この餅をみんなの心が込もった「気餅」と言っています。
みんなが和気あいあいと元気よく餅つきをしている風景が目に浮かびます。

人生に疲れて元気がなくなってしまった人には、子どものころに家庭で味わったような、あったかい「おろしもち」を食べてもらおうとはじめた茂さんたちの「おろしもち屋」さんも、もう10年を超えました。
節子と一緒に、そのお餅を食べてからもう10年近くもたつのです。
あの時には、あまりの意外さと話に夢中になってしまい、せっかくのおいしいおろしもちを食べ残してきてしまったことを思い出すたびに後悔しています。
しかし、あの出会いがなければ、私の生き方もかなり変わっていたはずです。

茂さんの協力を得て、今年の9月には新潟でも自殺防止に関わるフォーラムが開催できました。
その開催に一方ならぬご尽力をされた金田さんの人生もまた、少し変わりつつあるでしょう。
こうして人の生き方は変わっていくのでしょう。

人生とはつくづく「生きているもの」だと思います。
私が人生を生きているのではなく、生きている人生に私が生かされているのです。
私の思うようにならないのは当然なのでしょう。
今年も実にいろんなことがありましたが、最後にきて、少しだけ「心の平安」が感じられるようになりました。

今日は寒い雨の中を湯島に出かけます。
今年最後の集まりです。

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2014/12/27

■節子への挽歌2675:不運なトラブル

節子
昨日はさんざんな日になってしまいました。
来客や今年最後のサロンはとても面白く、よかったのですが、事件は帰りの電車で起こりました。
途中で座れたのですが、愛用のクラッチバッグを棚の上に置き、本を読んでいました。
思うことがあって、石牟礼道子さんの本です。
ついつい夢中になってしまったのですが、終点の下車駅である我孫子に着いて、棚の上を観たら、そこにあるべき私のクラッチバッグがないのです。
たまたまそこに駅員の人が回ってきたので、事情を話しました。
しかし、たしかバッグを置いた時に、似たようなバッグはありませんでしたから、取り違えられた可能性はありません。
だとしたら盗難しか考えられません。
もしそうだとしたら、よりによって私のバッグを選ぶとは盗んだ人も努力の甲斐がなかったでしょう。
私のバッグの中にあるのは、書籍とデジカメくらいのものなのです。
しかし、はっと気づきました。
今日、会った友人から、まだ公開できないので私どまりと言われて渡された1枚の資料が入っていることに気づいたのです。
デジカメはお金で買えるものですから、誰かが使ってもらえれば無駄にはなりません。
書籍も同じですが、その資料だけは回収しなければいけません。
それで駅の人に探してもらいましたが、やはりどの駅にも届いていません。
何やら気分が沈みこんでしまいました。
節子がいたら元気づけてくれるでしょうが、娘には、私の不用心さを注意され、日本も最近は注意しないといけないのだと諭されました。
私が基本的に悪い泥棒はいないと言い続けていることに娘たちは批判的なのです。
盗む人も悪いが、盗まれる人も悪いというのが、娘の論理なのです。
たしかにそうでしょう。
すきを与えて盗ませてしまったと考えれば、盗む人より盗まれる人の方が悪いということにもなります。
何やらしょんぼりして、節子に線香をあげていたら、電話がかかってきました。
三郷の警察からです。
いまここにバッグを持ってきてしまった人が来ているが、このバッグは佐藤さんのものかというのです。
手帳に私の電話番号が書かれていたのです。
なんで交番からの電話なのかと思いましたが、まあいろいろとあったようです。
それから3人の人と電話で何回か話す羽目になってしまいました。
遺失物でも盗難でもなく、担当が警察か駅かというような話になってしまったようです。
間違ってバッグを持ち去った人が、私に謝りたいというので、その人とも話しました。
内心、ちょっとだけむっとしましたが、まあ人には間違いはありますから、咎めるわけにもいきません。
しかし、ちょっと理解しにくい事件ではあります。

そんなわけで、今朝は埼玉県の三郷までバッグを引き取りに行ってきました。
無事、バッグは戻ってきたわけです。
今年は何かとトラブルの多い年でしたが、これが最後のトラブルだといいのですが。
そういえば、その帰りに、花かご会の山田さんに会いました。
花かご会の集まりのようでした。

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2014/12/26

■節子への挽歌2674:節子を知っている友人たちが続けて来ます

節子
今日はさまざまな人が湯島に来てくれます。
最初のお客様は京都で伝統文化に取り組んでいる濱崎さんです。
相変わらず活動をどんどん広げているようで、そのチャレンジ精神は大好きですが、いささか危なっかしいところがあります。
濱崎さんとは、彼女がまだ大学院生時代だった時に知り合いましたが、伝統文化への思い入れの強さには敬服します。
節子も一度会っていますが、それは彼女たちが東大の駒場で開催した公開シンポジウムの時でした。
夫婦で参加したのですが、シンポジウムが始まる前に、彼女がお茶をたててくれました。
なぜか私たち夫婦は壇上に乗せられ、みんなの前でお点前をいただきました。
私は作法など全く知らず、普段と同じように、無造作にいただいてしまいましたが、隣にいた節子は恥ずかしい思いをしたそうです。
何しろ私は作法を無視した対応をしたからです。
それもみんなの見ている前で、です。
困ったものです。

お茶をたててくれたのは濱崎さんですが、それにも懲りずに、今も付き合ってくれています。
節子が闘病で食欲がなかった時には、濱崎さんは冷菓を送ってきてくれました。
濱崎さんは、大学院終了後、老舗の和菓子屋さんの太田さんと一緒に、京都の弘道館を復活させようといささか無謀な挑戦をしています。
一昨年、弘道館をお伺いした時には、太田さんがわざわざ来てくださり、手作り和菓子と一緒にお茶をたててくれました。
その時も、作法などわきまえずに、美味しくいただきましたが、節子のことを思い出していました。
太田さんも実に魅力的な人です。

濱崎さんにしろ、太田さんにしろ、世間からかなりはずれた生き方をしています。
私は、そういう人と会うと元気が出てきます。
次の来客は、これまた節子の闘病中に、おいしいケーキを送ってくださっていた鈴木さんです。
鈴木さんは、来年、世界に向けて歩き出す計画をお持ちです。
さらにその後は、これまた節子のよく知っている武田さんと柴崎さんが来るようです。
なにやら今日は、節子の知っている人が湯島に来てくれます。
節子が呼んでくれたのでしょうか。

今日の東京は、青空の気持ちの良い冬です。
そろそろ鈴木さんが来るころです。
コーヒーでも淹れることにしましょう。
こうしていると、節子がいた頃のことを思い出します。

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2014/12/25

■節子への挽歌2673:年の瀬の気分がしません

節子
ちょっと早いですが、娘と一緒に年末年始の買い物に行きました。
なんとなくついていったのですが、いつもと大した違いのない買い物でした。
わずかに数の子やおせちを買い込んだだけでした。
節子がいたころには、年末の買い出しもまた年中行事のひとつでしたが、今はそんな雰囲気はなくなってしまいました。
それに、元日から近くのスーパーも営業しているのですから、特に何かを準備しなければいけないわけでもありません。
おせちや数の子なども、早めに買ってしまうと、年内に食べてしまうことにもなりかねません。
なくなったら元日の初詣の帰りにスーパーで買えるのです。
なにか生活がどんどん平板になっていきます。

しかし、その一方で、わけのわからないイベントが増えています。
そういうものには私は関心が全くないのです。
そういう商業主義的なイベントと歴史の中で生まれてきた季節行事とは、まったく違います。しかし、いろんなイベントや行事があると、感覚がマヒしてきます。
そして、大事にすべき季節行事までも最近はおろそかにしてきているような気もします。
今年は節分の豆まきもしなかったような気がします。
反省しなければいけません。

それにしても、わが家にはあまり歳末風景がありません。
節子は年賀状が好きでしたから、時間をかけて書いていましたが、その風景ももうありません。
私自身は、最近では年賀状はやめました。
以前は、それが年末の忙しさをもたらしていました。
大掃除に駆り出されることもありません。
節子がいなくなってからお歳暮までやめてしまいました。
仕事も、気が向くままという感じなので、年末だから忙しいわけでもありません。
年末に1年間を顧みて、新しい年に供えようなどということもなくなりました。
したがって、年末らしい雰囲気は、わが家にはあまりありません。
いや、私自身の気持ちの中にないのです。

こうなってしまったのはなぜでしょうか。
社会環境の変化もあるでしょう。
しかし、最大の理由は、私の生き方にあるかもしれません。
けじめを詰めずに、だらだらと生きるようになってしまっているようです。
反省しなければいけません。
まあ、こんな気持ちになったのは、節子がいなくなってからはじめです。

来年はもう少し誠実に生きようと思います。
節子がいなくなったせいにして、生きる誠実さを軽んじてしまうのは、もうやめて、来年は少ししっかりと生きようと思います。
一人で新年を迎えるのも、もう8回目です。
少しは進歩しなければいけません。

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2014/12/24

■節子への挽歌2672:花かご会のカレンダー

節子
今年も花かご会のカレンダーを山田さんが届けてくれました。
花かご会は、我孫子駅の南口前の花壇の整備をしているグループです。
節子もそのメンバーだった関係で、メンバーのみなさんが時々、わが家にまで花を供えに来てくれました。
定期的に駅前花壇の整備をしている姿をみますが、年末に向けて、今はきれいに仕上がっています。
花壇にどう花を植えるかの計画を立てている節子を思い出します。
そういう時に節子はいつも幸せそうでした。

節子にとっては、花かご会はとても大切な仲間でした。
心残りは、最後に皆さんがお見舞いに来てくださった時に、節子の調子がとても悪くて、会ってもらえなかったことです。
節子は、みなさんには元気な姿を覚えておいてほしかったのでしょう。
私が取り次いだところ、今日は会いたくないと言うので驚きました。
その時には私もきっとまた会ってもらえる時が来ると思っていました。
しかし、その時は来ませんでした。
それがよかったのかどうか、いまもわかりません。

節子の病床の枕元には、いつも花かご会のみなさんが一人ひとり書いてきてくださったメッセージが貼られていました。
節子を支えてくれたみなさんなので、いまも私は深く感謝しています。
それなのに、今年は一度も差し入れにもいきませんでした。

その花かご会のメンバーも少しずつ欠けてきているようです。
こういうところにも時間が過ぎていくのを感じます。

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2014/12/23

■節子への挽歌2671:ごまどうふ

節子
今日も寒いですが、日差しがあったかなので、窓ふきをしました。
少しずつですが、掃除をしていますが、いつもながら途中で挫折します。
毎年、夏に大掃除をしようと思うのですが、夏になると忘れてしまいます。
困ったものです。

大宰府の加野さんが高野山のごまどうふを送ってきてくれたので、久しぶりに電話しました。
相変わらずお元気そうで、また相談を受けてしまいました。
加野さんは、私よりも一回り年上だと思いますが、霊性の強い方で、私よりはよほどしっかりしています。
ごまどうふは、私は不得手なので、節子に供えさせてもらいました。
節子と一緒に高野山に行った時には、ごまどうふは食べたでしょうか。
宿坊での食事に出たかもしれませんが、あまり記憶がありません。
今日は、節子にお供えしたごまどうふを味わってみようと思います。

それにしても、加野さんの元気の素はなんでしょうか。
ご本人はイオン水のおかげだといいますが、おそらく「生きる意志」でしょう。
以前、お聞きしたことがありますが、加野さんには生きる目的が明確にあるのです。
それによればたぶん私よりも長生きされるでしょう。
生きる意志のある人は、ちょっとくらいの壁にぶつかっても動じません。

加野さんと最後にお会いしたのは、大日寺に行った時です。
大日寺の庄崎さんに、彼岸の節子との仲立ちを頼んだ時です。
ですからもう5年ほど前のことでしょうか。
その時の庄崎さんの言葉はレコーダーに録音したのですが、一度も聴いていません。
そのレコーダーは、それ以来、一度も使っていないのです。
今日、整理をしていたら、そのレコーダーが出てきました。
聴こうかどうか迷いましたが、やめました。

まもなく節子が逝ってから、8回目の新年を迎えます。
早いものです。

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2014/12/22

■若者たちの不安感を解かなければいけません

12月20日に、「ちょっと重い、しかし気軽な話し合いの会」を開催しました。
テーマは「学生と自殺」です。
ドキッとするようなテーマなので、このままだと誰も集まりません。
そこで「ちょっと重い、しかし気軽な話し合いの会」などというわけのわからないタイトルにしてしまったのです。

日本ではこの10数年、統計上だけでも3万人前後の人が自殺に追い込まれています。
しかも最近は若い世代の人の自殺が増えています。
いまの社会が、あまり生きやすい社会ではなくなっているのかもしれません。
そんなことを踏まえて、この数年、「自殺に追い込まれることのない社会」をテーマに、いろいろな話し合いの場をつくってきました。
最初は、「自殺」という問題に正面から取り組んできましたが、最近はむしろ「自殺」という切り口から社会のさまざまな問題を考えていくことが大切ではないかと思いだしています。

たまたまある集まりで、大学で社会学の教鞭をとっている楠さんと話していたら、大学生も「自殺」の問題には関心を持っているとお聞きしました。
そこで、一度、学生の皆さんを中心にした話し合いの場がつくれないかと思い、楠さんと一緒に、まずは関心のある人たちでの予備的な話し合いの場を開いてみようということになったのです。

たとえば、まだ学びの場にいる若い人たちが、いまの社会はどう感じているのか。
特に、学校を卒業して、社会で働くということに、どんなイメージを持っているのか。
今の社会を生きづらいと考えているのか。
日本での自殺者が多いことをどう受け止めているか。
そんなテーマで、まずは関心をお持ちの若い人たちと少人数での話し合いの場を持つことにしました。
私のホームページでも案内を掲載したところ、11人の人が集まりました。
10代の大学生から70代の会社社長まで、さまざまな人が集まりました。
発達障害で苦労していた経験を活かして、いまは発達障害のある人たちのコミュニケーション支援に取り組んでいる冠地さんも、久しぶりに来てくれました。

私はたくさんの気づきをもらいましたが、若い世代の人たちが思っていた以上に社会に出ることに不安を持っていることです。
不安の中に夢や希望があればいいのですが、どうもそうしたものはあまりないようです。
こんな状況にしてしまった大人たちは大いに反省すべきです。

子どもの世界に広く深くかかわっている冠地さんは、社会のひずみが家族を通して子どもにしわ寄せされていることを実感しているようで、家族関係や地域コミュニティのあり方に鋭い問題提起をしてくれました。
若い世代は、身近な社会である家族や学校を通して、社会の実相を鋭く感じているのでしょう。

話し合いの結果、2月か3月に「学びの場にいる若い人たちが、いまの社会はどう感じているのか」を話し合うような公開フォーラムを開催することになりました。
参加された学生たちを中心に実行委員会を立ち上げました。
できれば、これを契機に、若者たちが中心になって、大人たちや社会活動に取り組む人たちと出会えるような、サロンが生まれないかと思っています。

自殺の問題には直接にはつながりませんが、それも意識しながら、少しずつ進めていければと思います。
テーマは重いですが、明るく、しなやかに取り組んでいきたいと思っています。
一緒に取り組んでくださる方がいたら、気楽にご連絡ください。

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■節子への挽歌2670:「すまんが先にいく」

節子
今年は久しぶりに、NHKの大河ドラマを観ていました。
その「後藤官兵衛」は、昨日が最終回でした。
ちょっとうらやましいセリフがありました。
妻子や仲間に看取られて息を引き取る場面で、官兵衛がこう言うのです。
「すまんが先にいく」
私もこんなセリフがいいたかったです。

私はまだ生きていますので、このセリフが言えないわけではありません。
しかし、妻もなく、仲間と一緒に活動していない立場では、「すまんが」と言う相手がいません。
むしろ先に行くことが当然のような状況にいますので、言えるのは「順番通りいく」という言葉でしょうか。
こんなセリフでは、言わないほうがいいでしょう。

思い出すのは、節子が「先にいくこと」を家族に詫びていたことです。
特に私には何回も繰り返していました。
官兵衛は、後を安心して託せる状況で逝きました。
残念ながら、節子は安心はしていなかったでしょう。
そして、案の定、その後はいろいろと大変でした。
いまも、そうですが。
そんなことを思いながら、官兵衛のセリフを聞いていました。

今年ももう残り少なくなりました。
せわしなさの中に、生活の節目を感ずる年末は、私は子供のころから大好きでしたが、節子がいなくなってからの年末は平板になってしまいました。
生活を共にしていた人が、先に逝ってしまうと、やはりリズムが狂います。
順番はやはり守られなければいけません。
考えても仕方がない、そんなことを改めて思っています。

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2014/12/21

■節子への挽歌2669:うれしい出会い

節子
今日は長女と一緒に近くのスーパーに食材の買い出しに行ってきました。
私の買い物の練習もかねてですが、スーパーに行って商品の価格を見るだけでも、少しだけ景気の実相が感じられるので、昔から節子にもよく付き合っていました。
ただ実際にレジに並ぶことはありませんでしたが、最近はなんと支払いまでするようになってきています。

今日は昨日の疲れもあって、ひげもそらずに出かけたのですが、娘と一緒にレジに並ぼうとしたら、突然、「佐藤さんですか?」と声をかけられました。
スーパーで声をかけられたりすることは、ないわけではありませんが、その人が誰か思い出せません。
とても親近感を感ずる人でしたが、どうしても思い出せません。
そこで、失礼ながら、どなたでしたっけ、と恐縮しながら尋ねると、佐藤さんは知らないはずですと言われました。
ますます混乱してきましたが、その方は、私のホームページやブログなどを読んでいるというのです。
たしかにホームページやフェイスブックには写真が出ています。
しかし、それらはみんな10年以上前の写真です。
しかし、その方には、どうやら瞬間的にわかったようです。

その方は原田さんとおっしゃり、5年ほど前に我孫子に転居し、市民活動にも取り組まれているようです。
実にうれしい話です。
どうやらわが家もご存じのようです。
改めてお会いすることにしました。
今日は立ち話で終わりましたが、何か昔からの知り合いのような気になってしまいました。

原田さんも、まさか、こんなところでお会いするとはと言いましたが、人はきっと会うべき人には必ず会うものだと思いました。
原口さんも来年は良い年になりそうだと言ってくれましたが、私もそう思います。

ちょっと気分がふさぎがちでしたが、元気が出てくるようなうれしい出会いでした。

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■価値のつくり方と価値の捉え方

東京駅開業100年を記念してJR東日本が限定販売した記念スイカは、あまりの混雑に途中で販売を停止せざるを得なかったという事態になりました。
死傷者が出なかったのが幸いですが、一時はかなり危険な状況だったようです。
予定していたスイカの半分は販売されたそうですが、すでにネットでは、そのスイカが価格の10倍以上で売りに出されているそうです。
まさにお金に支配された現代の実相を示しています。

「価値」の捉え方は、いろいろとあります。
世界最初のバブルは、17世紀オランダのチューリップバブルと言われます。
オスマン帝国から輸入されたチューリップの球根が人気を集め、価格が高騰し、チューリップ投資が過熱化したのです。
チューリップの球根が、通常時の100倍以上にまでなったといいます。
チューリップ球根が投資の対象とは理解に苦しみますが、似たようなことはいまもよく起こっています。
それが起こるのは、たぶん金銭が経済の基軸になったからだろうと思います。

柳宗悦は、価値とは永遠と結びつく絶対的超越につながっていないといけない、と言っていますが、いまや価値は損得の対象になってきています。
こうした風潮もまた、金銭基軸の社会がもたらしたものでしょう。

今回の記念スイカですが、お祝いなのですから無限に売り出すのが本来的なあり方です。
多くの人で喜び合うことができましたし、こんな混乱も起きませんでした。
しかし、そこに「金銭価値」を無理につくりだそうとして、15000枚という数量を設定したのです。
つまり「作られた希少価値」ですが、損得価値に目がくらんだ人たちは、それを「価値」だと勘違いしてしまうわけです。
まさにバブルと同じ構造が、生み出されるのです。
そして、本来であれば、お祝いとしての記念の価値は失われてしまい、金銭価値が覆ってしまうわけです。

今回の騒動は、いまの日本社会が、どうやって「価値」をつくりだすのか。また人々は何をもって「価値」と考えているのかを教えてくれています。
金銭価値であれば、その気になればいかようにも創りだせます。
最近の企業経営や地域起こしの世界で言われている「ブランディング」「ブランド価値」も、金銭価値で覆われています。
時間をかけて熟成されるべき「ブランド価値」が、巧妙なマーケティング技術で促成される事例を見ると、実にむなしくなります。

そういう動きの中で、私が考える「価値」はどんどん消滅して言っているのが、とても残念です。

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2014/12/20

■節子への挽歌2668:いろんな人と付き合うと寛容になれます

節子
今日も寒い日です。そのうえ、雨も降ってきました。
自宅で休んでいたかったのですが、湯島で3件ほど用件があったので、出てきました。
ところが11時の約束の人がいつになっても来ません。
携帯電話の番号を聞いておけばよかったのですが、私も携帯電話をあまり使わないので聞いていません。
1時間ほど待っていますが、連絡もありません。
困ったものです。

しかし、こういう経験は何回もあります。
だいたい同じ人が繰り返すのですが、まあ仕方ありません。
そういう人なのでしょうから、それに合わせて付き合わない私が悪いのでしょう。
もしかしたら、遅れてくるかもしれませんので、食事にも出られません。

午後からは学生たちを交えての「若者と自殺」をテーマにしたミーティングです。
どこかに案内を出していますが、年明け後に公開フォーラムを開催できればと思っていて、いわばその準備会なのです。
1時過ぎには、早く来る人がいるかもしれません。
これもよくあることで、約束の30分以上前に来てしまう人もいるのです。
これも困ったものですが、まあそれもまた仕方ありません。
そもそも時間などに縛られることに異論を持っているものとしては、それくらいのことは受け入れないと言行一致しませんし。

そんな状況のため、今日はまた昼食を食べ損ないそうです。
まあ、昔はこうした日が連日でした。
そこで節子がミニ弁当をつくってくれていました。
5分で食べられるお弁当です。
私の条件は、カラフルで食べやすいことだけでしたが、節子はうまく作ってくれました。
そのお弁当が懐かしいです。

来るか来ないかわからない来客待ちのため、することがありません。
いろんな人と付き合っていると、人は寛容になってくるものです。
ただ、私の場合、時々、切れてしまい、八つ当たりを受ける人がいるのが問題です。
そしてまた、八つ当たりをしやすい人もいるものです。
これもそう生れついたのでしょうから、仕方ありません。
こうして現世は、うまく回っているわけです。

彼岸はどうでしょうか。

追記
この記事をアップした直後に、友人から電話がありました。
近くにいるので、もし湯島にいるなら行ってもいいかというのです。
まさかこの記事を読んだはずはないのですが、こういうこともあるわけです。
遅れた来客があるかもしれませんが、まあいいでしょう。
そんなわけで、退屈からは救われそうです。

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■魂の限界と相沢さんの謝罪

STAP細胞検証結果の記者会見について、昨日のブログで、どうもすっきりしないと書きましたが、
今日、記者会見を改めて、新聞や映像で見直しました。
2時間全てというわけにはいきませんでしたが、もう少し自分なりにすっきりさせたかったからです。
特に、相沢さんが会見終了後に話したことが気になっていました。
毎日新聞に(たぶん)全文が書かれていました。

2時間あまりに及ぶ記者会見が終了し、報道陣が退室を始めた午後0時45分ごろ、相沢氏がマイクを握って再登壇。「検証実験は、(小保方晴子研究員を監視するための)モニターや立会人を置いて行われた。そういう検証実験を行ったことは、責任者としてものすごく責任を感じている。研究者を犯罪人扱いしての検証は、科学の検証としてあってはならないこと。この場でおわびをさせていただく」と述べ、頭を下げた。【毎日新聞デジタル報道センター】
相沢さんの無念さを強く感じます。
この一言で、私はかなりすっきりできました。
そう思っている人がいるのだということです。
相沢さんは、たぶん怒りの矛先を見つけられずに、謝罪の形で真情を吐露したのだと思いました。

ニュートンが錬金術に強い関心を持っていたことは有名ですが、科学者の中には「小さな論理」に呪縛されている人と「大きな論理」に自らを開いている人とがいるように思います。
そして、科学の発見には、常に「小さな論理」では説明できない「神秘的」「霊的」なものが作用しているということも、しばしばいわれます。
私は、心身を開いた時にこそ、新しい発見はもたらされるのではないかと思っています。
相沢さんは、今回、そういう場をつくれなかったことに、良心の呵責を感じている。
私はそう感じました。
STAP細胞の存在は、「科学者としては」あるとは言えないと反されたところにも、相沢さんの誠実さを感じます。

事件のど真ん中にいる小保方さんが昨日、発表した手記の文章も、私にはとても納得できるものでした。

予想をはるかに超えた制約の中での作業となり、細かな条件を検討できなかった事などが悔やまれますが、与えられた環境の中では魂の限界まで取り組み、今はただ疲れ切り、このような結果に留まってしまったことに大変困惑しております。
小保方さんは「魂の限界」と語っています。
科学を支えているのは、魂だと私は思っていますので、少し納得できました。
いまの科学の最大の問題は、哲学の欠落です。
とりわけ「いのち」に関わる場合は、哲学や霊性が重要な意味を持っています。
哲学の欠落によって、経済行為になりつつある医学の実態を思い出せばいいでしょう。

相沢さんや小保方さんが、そうしたメッセージを出してくれたことが、私には大きな救いです。
私はSTAP細胞はあると思っていますが(論理的な裏付けは皆無の直観です)、私が生きている間には確かめられることはないでしょう。
しかし、この事件からはたくさんのことを気づかされました。
最近書き続けていることに即して言えば、「科学からも人間がいなくなりつある」ということです。

それにしても、謝罪するべき人は、相沢さんではなく、ほかの人のように思えてなりません。


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2014/12/19

■節子への挽歌2667:あっという間の1年

節子
昨日、寒い中をコートも着ずに外出していたら、やはり風気味になってしまいました。
今日は家を出ずに自宅で休んでいたのですが、これまたいろいろとややこしい電話などもあり、落ち着かない1日でした。
さらに悪いことに、いろんなことがうまくいかない日でもありました。

節子に報告できることといえば、花かご会の山田さんが例年のカレンダーを持ってきてくれたことです。
12月に入って、2回ほど我孫子駅前の花壇で作業している花かご会をお見かけしましたが、今はとてもきれいになっています。
今年はついに差し入れをする機会がありませんでした。

カレンダーと言えば、ポラスの小久保さんもまたカレンダーを持ってきてくれました。
いまのこの家を建てる時にお世話になったのが小久保さんですが、節子がいれば、付き合い方もまた変わったのでしょうが、いまはもうカレンダーを持ってきてくれる時に話すだけになってしまいました。

節子はカレンダーが好きでした。
どの部屋にもカレンダーをはりたがっていました。
節子がいなくなってからは、その文化は消え、わが家にはほとんどカレンダーはなくなりました。
花かご会の手づくりカレンダーは、毎年、節子の仏壇に置かれています。

今年も余すところ、もう10日ほどです。
友人が、あっという間の1年でしたと、今日メールをくれましたが、本当にあっという間でした。
人生の最後に思うことも、そんなことでしょうか。
あっという間の一生だった、と。
節子は、あの時、そう思っていたでしょうか。
たぶんそうではないでしょう。
1年はあっという間だったとしても、一生は決してそうではないでしょう。
1年と一生とは、どこが違うのか。
もしかしたら、節子がいないために「あっという間」感があるのでしょうか。
だとしたら、私のこれからの人生は、たぶん、あっという間に過ぎるでしょう。
でもまぁ、その前の40年間の人生があるので、最後に息を引き取る時には、「いろいろとあったな」という思いになるかもしれません。

さてどちらでしょうか。
そう思うと、人生最後もまた、楽しみです。

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■STAP細胞はありません?

理化学研究所がSTAP細胞の検証実験結果についての記者会見を開き、「細胞の存在は確認できなかった」と発表しました。
何かすっきりしないものを感じます。
不正があったとか、なかったとかいう話に関してではありません。
結果の発表内容にも異論があるわけでもありません。
ただなんとなくすっきりしないのです。

解けることがわかっている問題は、解けるのかどうかわからない問題よりも、解きやすいと言われます。
科学の世界では、仮説への信頼が高いほど、新しい発見がおこなわれやすいようです。
それに、誰かが解いたことがわかると、政界を出す人が急増するという話も聞いたことがあります。
まずは論理が構築され、事実が発見されることは、少なくありません。

そこで今回の検証実験ですが、大切なのは、STAP細胞があるという確信で追試されたか、ないという思いで実験されたかで、結果は大きく違ったのではないかという気がするのです。
科学や技術は「論理の世界」だから、そういう「思い」は関係ないと思われがちですが、そんなことはないと私は思います。
科学や技術は「確認された論理スキームの内部」での論理で進められますが、その世界の外には現在の科学技術の水準では把握されずに、前提として組み込まれていない要素や「論理」がたくさんあるはずです。
それが、科学技術に取り組む人の感度や信念に大きな影響を与えるはずです。
STAP細胞を200回も成功させた小保方さん自身も再現できなかったではないかと言われそうですが、彼女もまた、かつてとは全く違った状況の中で取り組んだはずです。

もちろんだからと言って、検証実験は間違っていたなどと言いたいわけではないのです。
今回の検証実験に取り組んだ人たちのモチベーションや姿勢が気になるのです。
新しい科学実験は、発見への大きな期待と存在の核心が大切です。
そうした夢や期待、わくわくするようなモチベーションが、今回はあまり期待できなかったのではないかという気がするのです。
実験者は状況が状況だけに、慎重にならざるを得なかったはずです。
もしかした、あまり楽しい検証実験ではなかったのではないかということです。

そんなことを考えながら、記者会見の報道をみました。
どうもすっきりしないのです。

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2014/12/18

■節子への挽歌2666:生き方の揺らぎ

節子
今日は2人の弁護士と接点がありました。
いずれも長い付き合いの友人です。
一人とは私自身のトラブルの相談で、もう一人は私の知人の知り合いのトラブルに関連してです。
前者は東京在住なので、会いに行きました。
後者は関西在住なので、メールのやり取りです。
ところで、偶然なのですが、お2人とも私と同じく伴侶に先立たれているのです。
だからと言って、別にどうしたというわけでもないのですが、ふたりとも弁護士という社会的活動をしていることが、その後の「支え」になっているのかもしれません。
誤解かもしれませんが、夫婦の世界とは違った「もう一つの世界」があったかもしれません。
もし会社勤務時代に節子との別れがあったのであれば、私の受け取り方も違ったかもしれません。

節子を喪ってから、私はいささか「暴走・迷走」しているらしいです。
自分では、必ずしもそうは思えないのですが、娘や親しい友人からはそう指摘されています。暴走や迷走が止まったのは、たぶん1年少し前でしょう。
たぶんこの挽歌にも書いたと思いますが、そのころ、自分でもようやく「我を取り戻した」感じがしましたから。

直接会った弁護士の友人からは、これまでのような「仙人」のような生活をやめて、このトラブルにしっかりと対峙する覚悟を持つかどうかが、解決のポイントだと厳しく言われました。
普段は交流のない彼から、まさかそういう指摘を受けるとは思ってもいませんでした。
私のことを面と向かって「仙人」呼ばわりする友人はいますが、それはせいぜいが2人です。
しかし、もしかしたら、私の生き方は多くの人にそう見られているのかもしれません。
そういえば、昨日久しぶりにお会いした会社時代の先輩から、「まだお布施生活をしているのか」と言われました。
もしかしたら、気づいていないのは私だけかもしれません。

仙人の世界にはトラブルなどあろうはずがありません。
トラブルに悩まされるということは、私が相変わらずただ怠惰で逃げているだけということの現れでしょう。
そういえば、娘からは「良い格好しすぎている」とも言われています。
そのしわ寄せは、みんな周りに行くわけです。

そんなわけで、残る人生は現実的に生きることにしようかどうか、少し迷いが生まれてきました。
私が今考えている「現実的」とは、「現在的意味での常識にしたがって」というような意味です。
そう思って振り合えると、私の人生は昔からやはりちょっとおかしかった気もします。
でも、そのおかげで、節子と会えたのですから、それはそれでよかったのですが、たぶん「自覚」と「覚悟」が不足していたのでしょう。
節子がいない今頃になって、そんなことに気付くのは、結構つらいものなのですが。
それも娘から指摘されると、なお辛いものがあります。
まったく反論の余地がないからです。
いやはや困ったものです。

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■言動の前提の大切さ

わが家のリビングルームは日が差し込んできて、天気のいい日はとても暖かです。
今日も暖かな、その部屋で午前中、本を読んでいました。
食事をして、家を出たのですが、あんまり体調も良くないので、娘に自動車で駅まで送ってもらいました。
コートはまだ出していなかったので、コートを着ないで、です。
娘から寒いから着ていったほうがいいと言われましたが、コートは嫌いなのです。

電車の中もあったかくよかったのですが、湯島の駅を降りて外に出たら、陽も当っておらず、風がとても寒いのです。
コートを着てこなかったのを後悔しました。
それに今日は、これから現座に事務所を持っている弁護士のところに相談に行く予定なのです。
寒い中を道に迷わなければいいのですが。

長々書いてしまいましたが、こうした勘違いはよくあることです。
自分がたまたま今いるところの条件に従って、行動を考えてしまうわけです。
困ったものです。
出かける前にオフィスであったかいコーヒーを飲み、クーラーの下で暖を取っていますが、気のせいか、体調はさらに悪化し、風邪の症状を感じさせます。
心配ですね。

今回は、私自身が寒くて風邪をひくだけの話なのですが、
これが社会全体の経済や政治の話の場合は、大変です。
身体を暖めながら、ついついそんなことを考えていました。
最近の日本国民は、もしかしたら、私と同じ程度に近視眼で視野狭窄で、浅はかなのかもしれません。

さて、そろそろ出かけます。
どうなりますことやら。

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2014/12/17

■「盗賊を罰するより赦したほうがよい」

パキスタンでまた、イスラム関係者による悲惨な事件が起きました。
イスラム過激派のタリバーンが、学校を襲い、100人を超す子どもたちが殺害されました。
その報道だけを見ていると、加害者への怒りがわいてきますが、加害者がそのような行動に出たのは、加害者の怒りだったかもしれません。
報復の連鎖です。
報復の連鎖を止めるための制度が司法ですが、国際的にはいまだ司法を効果的な仕組みを築かれずにいます。
イスラム国もそうですが、報復の連鎖は力では止められないような気がします。
そして、世界はどんどん荒廃していきかねません。

これはなにも、イスラムとアメリカだけの話ではありません。
日本においても、いろんなところで起きている話です。
ではどうすればいいか。

最近読んだ「現代の超克」の中で、中島岳志さんが書いていたことを思い出しました。
ちょっと長いですが、引用させてもらいます。

ある日、ガンディーのもとに一人の男が血相を変えてやってきます。
彼は、ガンディーに向かって言います。
「自分はムスリムだが、自分の大切な息子をヒンドゥー教徒に殺された。それでもあなたはヒンドウー教徒を赦せと言うのか」と。
ガンディーは「そうだ」と言い、次のように言いました。
「あなたはこれから、孤児になった子どもを自分の息子として育てなさい。その子どもはムスリムによって殺されたヒンドゥー教徒の子どもでなければなりません。そして、その子をヒンドゥー教徒として育てるのです。その子どもが立派に成長したとき、あなたに真の赦しがやってくるでしょう」。

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■戦争経済への傾斜への不安

今回の衆議院選挙で、日本の国民は「平和」を捨てる決断をしました。
憲法9条は、戦争ができる国家へと変更され、この数十年、死刑を別とすれば、国家の承認を得て人を殺すことのなかった日本人の生き方は変わっていく可能性が出てきました。
平和で国を守ろうとはせずに、暴力で国を守ろうとする、歴史とは逆行する道を選んだといえるかもしれません。
国民の思考を変えていく教育への道も着々と進められています。
もちろん政府に異論を唱える人は窮屈になっていくでしょう。
まさに80年前の日本に戻っていくような気がします。
余計なひと言を加えれば、そういう状況の中での「子育て支援」は、私には実に不気味に感じます。

かなり極端に書きましたが、おそらく現実はさらに極端に進むでしょう。
歴史の動きは、加速されるのが常だからです。
そのためのティッピングポイント(事態が急変する臨界点)は、今回の選挙で超えてしまったような気がします。
超えないまでも、この数十年とは違った方向へ、日本が向かいだすことは間違いありません。

世界は多様な存在によって構成されており、歴史には一進一退もまたつきものですから、いまのこの動きを非難するつもりはありません。
私の思いとは違った世界に向かいだしたというだけの話です。
平和で成長を感ずることのできた時代を過ごしてきた私にとっては残念ですが、戦いを好む人も少なくないでしょう。
私自身も、戦いこそ好みませんが、変化や不安定さを好む面があります。
人は非論理で不条理な存在です。

にもかかわらず、私が腹立たしいのは、戦争さえもが経済の道具にされていることです。
憲法9条を変えることの目的が、経済成長にあるような気がしてなりません。
昨日書いたように、経済成長は外部の存在からの富の調達です。
そのために、新たな外部をつくりだすために、憲法9条を変えるという発想が情ないのです。
経済のために国民を死(過労死、自殺、事故死)に追いやる社会も変えたいと思っていますが、経済のために他者を殺めるような国には絶対なってほしくありません。

日本人は、かつて「エコノミックアニマル」といわれました。
最近はそういう言葉は聞かれませんが、最近のアベノミクスブームをみていると、やはり日本人はエコノミックアニマルになってしまったのだと思わざるを得ません。
朝鮮戦争特需で敗戦の荒廃から立ち直った日本経済に埋め込まれてしまった思考なのかもしれません。
100年以上続いてきた、あの「美しい文化の国」は変質してしまったのでしょうか。

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■節子への挽歌2665:悲しみの大切さ

節子
我孫子にもゆかりのある柳宗悦の『南無阿弥陀仏』には、こんな記述があるそうです。

悲しさは共に悲しむ者がある時、ぬくもりを覚える。
悲しむことは温めることである。
悲しみを慰めるものはまた悲しみの情ではなかったか。
悲しみは慈しみでありまた「愛しみ」である。悲しみを持たぬ慈愛があろうか。
私もまた、節子を喪ってから、このことを何回も体験しました。
最近、同じ悲しさをかかえている人たちのグループが広がっていますが、おそらくそれは、こうしたことによるものでしょう。
悲しみと悲しみが合わさった時、情愛が生まれる。
人と人がつながるのは喜びをとおしてではなくて悲しみをとおしてだ、と柳は感じていたと、「現代の超克」で、この文章を紹介してくれている若松英輔さんは書いています。
まさにそうだと思います。

若松さんは、こうも書いています。

悲しみを、悲惨なだけの出来事にしてしまったのが現代です。
それはとても貧しいことだと思います。
悲しみは決して惨めなだけの経験ではない。
むしろ、悲しみの扉を経なければ、どうしても知ることのできない人生の真実がある。
喪失体験の直後は、とてもこんな気持ちにはなれません。
しかし、数年経つと(人によって時間は違うでしょうが)、悲しむことの大切さがわかってきます。
悲しみは忘れ去るのではなく、大事に大事に、心身にしまっておくのがいいように思います。
それによって、間違いなく、世界は広がり深まります。
悲しみは忘れたり解決するものではないのです。
悲しみは、悲しみのまま、素直に受け入れればいいのです。

柳宗悦の言葉に出会えて、元気が出ました。

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2014/12/16

■節子への挽歌2664:時代と人生

節子
我孫子では雪が降ってきました。
まだ目には見えませんが、外に出ていると感じる程度の雪ですが。
昨夜の電話によると、福井の敦賀では今、20㎝ほども積もっているそうです。
今年は雪が多い冬になるそうです。

選挙結果にめげていてはいけないので、気を入れなおして、生活することにしました。
それにしても、なんでみんな選挙結果でめげないのか不思議です。

私も節子も、ほんとうに「良い時代」に生を受けました。
両親にも娘たちにも、申し訳ないほど「良い時代」でした。
もっとも、両親も娘たちも、そうは思っていないかもしれません。
自分たちこそ「良い時代」に生まれたと思っているかもしれません。
たしかにそれも一理あります。

人は自分が生きる時代の中でこそ、自分を捉えられます。
人生は時代とともにあるからです。
私の実感で言えば、節子がいた時といなくなってからでは、社会の風景や時代の雰囲気が一変しました。
平たく言えば、節子がいなくなって、世界は変わったのです。
時代はまた、自らの人生とともにあるのでしょう。

雪の意味合いもまた変わってきています。
人はすべてのものを自らの人生とのかかわりの中で見ているからです。
例えば、節子がいたころの冬は、とてもあったかなイメージがありました。
こたつでみかんを食べながら談笑しているイメージです。
あるいは家族で鍋をつつきながら談笑しているイメージです。
しかし、いまは、ただただ寒いだけです。
雪もまた、冷たいだけです。

昔は雪が降るとうれしくて、会社を休んだことさえありました。
私は雪が大好きでしたから。
しかし、今日は雪を感じながら湯島に出かけます。
会社時代の先輩が久しぶりに会いたいと言って来てくれるからです。
もう20年近く会っていない人です。
仕事でご一緒したことはないのですが、なぜか昔の会社時代の人が最近声をかけてきます。

それが歳をとるということかもしれません。

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■トリクルダウンしてくる「富」の源泉の所在

アベノミクスで盛んに言われていることのひとつが、トリクルダウンです。
「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が滴り落ちる(トリクルダウン)」という、私には詐称としか思えない考え方です。
この、もっともらしい「理論」で、これまで多くの人たちは騙されてきました。
シャンペングラスをピラミッド状に積んで、一番上のグラスにシャンペンを注ぎ込んでいくと、それがあふれて次々と下のグラスを満たしていくというイメージのわかりやすさに、みんな騙されるわけです。
そこにはふたつの欺瞞と前提があります。

一つは、シャンペングラス・ピラミッドの場合はグラスの大きさが同じですが、現実にはそうではないということです。
上部にある大きなグラスは、実は下のグラスに比べて極めて大きいのです。
いや、底のない無限の大きさかもしれません。

もう一つは、上から注ぎ込まれる富は、どこから供給されるかです。
鳥瞰的に資本主義の歴史を捉えているエコノミストの水野和夫さんは、その著作の中で、それは外部から調達されると書いています。
まだ水野さんの著作を読まれていない方は、読みやすい新書版が何冊か出ていますので、ぜひお読みになることをお勧めします。
そして水野さんは、その外部がもうなくなりだしていると指摘します。
人工的な外部も創られてきていますが、それも限界にきていると。
アメリカは、自由貿易主義などという装いを凝らしながら、日本市場に外部を求め、日米構造協議やTPPなどを推進してきています。
その被害をきちんと立証してくれる経済学者がいればいいのですが、残念ながらいません。
それによって、日本の富は流出していますので、日本にはマイナスですが、調達成果を得ているアメリカにとっても限界はあります。

外部から富を調達できない場合、どうなるでしょうか。
これまでも何回か書いてきていますが、内部から調達せざるを得ません。
どこから調達するか。
基本は、相手に気づかれないように、「薄く広く」です。
富を収奪された低所得者たちにトリクルダウンしてくる富のバランスは、間違いなくマイナスです。
そして、経済的な格差社会が進んでいきます。
この30年の日本の経済がそれを証明しているように思います。

ところが、多くの人は、今はまだアベノミクスの効果は大企業だけに現れてきているが、次第に中小企業や生活者にその恩恵が回ってくると主張しています。
だからアベノミクスをとめてはいけないと信じて、多くの人が自公民に投票したのでしょう。
知識や思考のない人、歴史や現実をしっかり見ない人の愚かさは悲しくもありますが、知っていながら詐称する人たちにも哀れさを感じます。

今なお、トリクルダウンしてくる富を期待している人が多いのにも情けなさを感じます。
たしかに、高度成長期にはトリクルダウン効果がありましたが、それは富を外部から調達していたからです。
いまは、上納した富の一部が返還されてくるだけなのです。

以上の議論は、私の独断的な意見です。
しかし、サプライサイド経済学や新自由主義の主張から生まれてきたトリクルダウン理論は、実証されたものではないと言われています。
私だけのゆがんだ考えとも言い切れません。
いずれにしろ、そろそろ富を外部から調達する文化からは抜け出たいものです。
そして、「おこぼれ」に期待するような生き方は捨てたいと思います。

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2014/12/15

■節子への挽歌2663:情けない時代になりました

節子
寒さのせいか、風邪を引いたかもしれません。
今朝起きたら、なにやら調子がよくありません。
もしかしたら、昨日の選挙結果に心身が不調をきたしてしまったのかもしれません。

元気が出ないというか、正直に言えば、世の中を蹴飛ばしたい気分です。
昨日の衆議院選挙の結果は安倍政権の圧勝です。
それに関するテレビ番組に出ている、いわゆるコメンテーターの人たちの意見が、あまりにもひどいのが腹立たしいのです。
あれだけ「大義なき解散」とはやしたてて、選挙への関心を持たせないようにしていたくせに、投票率が低いなどと、よく言えたものです。
80年前もたぶんこうだったのでしょう。

争点はいろいろあるなどと、今頃になっていうことにも腹が立ちます。
もっと腹立たしいのは、選挙に行かないという若者たちの取材画面を繰り返し流していることです。
まるでそれを褒めているような感じです。
そんな人たちをテレビで拡散してほしくはありません。
たぶんそうした映像を流すテレビ局関係者は投票にもいかないのでしょう。
情けない時代になりました。

格差はさらに広がっていくでしょう。
時評編で書こうと思っていて、その意欲さえなくしていますが、おこぼれ頂戴にあずかろうとアベノミクスを支持している人たちは、自らよりも低所得の人を犠牲にしていることへの想像力さえないのです。
そしていつの間にか自らもみじめになっていくでしょう。
経済の基礎的な勉強くらいはしてほしいものです。

とまあ、こんな暴言を吐きたくなるほど、気分は最悪です。

節子は、こんな情けない時代を経験しないだけでも幸せかもしれません。
挽歌らしからぬ、単なるうっぷん晴らしになってしまいました。
明日は、回復できるでしょうか。
いやはや困ったものです。

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■衆議院選挙結果を見ての感想

突然の解散で始まった衆議院選挙は自民党の圧勝に終わりました。
「大義なき解散」「大義なき選挙」とはやしたてたマスコミと野党のおかげで、今回の選挙には意味がないと思った人も多く、投票率も低くなってしまいました。
しかし、投票に行かなかった人たちは、間接的であるにせよ、現政権を支持したわけですから、安倍政権は国民の圧倒的な支持を得たということになります。
そうした結果を見ての感想は一言しかありません。
私自身が社会の動きから大きく逸脱しているということです。

安倍政権を支持することなど、私には思いもよりません。
原発を再稼働し、平和に反する武器を持つようにし、日本社会をアメリカ資本の市場とし、挙句の果てにはトリックダウンのための資金は国内の貧困層から獲得するという政策は、悪夢のようにしか思えないからです。
日本は今や、完全な「自発的隷属社会」になったという気さえします。
しかし、それもまた「一つに生き方」ですから、私が批判すべきことでもありません。
ただ、80年前の日本の状況と、とてもよく似ていることが気になります。

しかし、皮肉ではなく、これだけ多くの人が望んでいるのであれば、それはそれでいいと思うべきかもしれません。
私が、社会から大きく脱落してしまっているというのが正しいかもしれません。
そうであれば、何も憂うることなどありません。
この時代を生きるものとして、捨てがたい未練は感じますが、それは仕方がないことです。

まったく救いがなかったわけではありません。
安倍政権への反対意思をはっきりと表示した沖縄の結果は、私には敬意に値します。
原発事故にあいながら、原発再稼働を支持した福島県民とは全く違います。
沖縄がますます好きになりました。

選挙前に書いてきた「選挙シリーズ」の最後に、いろいろと気づいたことなどを前向きに書こうと思っていましたが、やめました。

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2014/12/14

■節子への挽歌2662:八田さんの思い出

節子
友人からのお勧めで、いま、台湾に関する本を何冊か読んでいます。
その1冊は、司馬遼太郎の「台湾紀行」です。
司馬さんの「街道をゆく」シリーズ40です。
そこに、土木技師の八田與一の名前が出てきます。
台湾が日本領だった時代に、台湾で大規模な水利工事を成功させ、台湾を豊かにするうえで大きな功績を残した人です。
いまも銅像が残っているそうです。

八田與一は、富山県の金沢で明治19年に生まれました。
夫人は外代樹(とよき)といい、同じく金沢生まれだそうです。
大活躍した八田夫妻の生涯は、しかしとても悲しい最後で幕を閉じます。
太平洋戦争が始まって間もなくの1942年、八田與一は陸軍に徴用されてフィリピンに向かう途中、乗っていた船がアメリカの潜水艦に撃沈されてしまうのです。
享年56歳でした。
妻の外代樹は、その3年後、夫が尽力して建設された烏山頭ダムに身を投ずるのです。

読んでいて、急に金沢の八田夫妻のことを思い出しました。
私たちがエジプトに旅行に行った時に、メンバーの中にいたのが八田さんご夫妻でした。
とても気が合い、帰国後の付き合いが始まりました。
八田拡さんは、たしか金沢市の教育関係のお仕事をされていたと記憶していますが、お会いした時にはすでに定年で辞めていたようでした。

一度、節子と一緒に金沢に行ったことがあります。
その時に、八田さん自らが金沢の古い街並みを案内してくださいました。
遺されていた旧家にも、そこを管理している人ともおなじみだったようで、家の中まで丁寧に案内してくれました。
奥様もわざわざ出てきてくれて、ご一緒の食事をさせてもらいました。
宿泊も、たしか、八田さんのお薦めのところだったような気がします。
とてもおしゃれな、金沢らしい民宿でした。

その八田さんご夫妻も、もうお亡くなりになっていますが、なぜか八田さんから送られてきた広辞林がわが家にあります。
なぜ広辞林を贈ってくださったのか思い出せませんが、いまもなお、かくしゃくとした個性的な話しぶりは覚えています。

台湾紀行を読んでいて、八田さんという名前で八田さんのことを思い出したのは、司馬さんが取り上げている日本人とどこかでイメージがつながっているからです。
もしかしたら、八田與一と八田拡さんはつながっているかもしれないとネットで探してみましたが、見つかりませんでした。

八田ご夫妻は、わが家では一時、よく話題になっていました。
私たちは旅でご一緒した人とのつながりを大事にしていたのです。
しかし、節子がなくなってからは、そうしたつながりも消えてしまってきました。
私たちより年上の方が多かったので、今頃は彼岸で節子は交流を楽しんでいるかもしれません。

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■節子への挽歌2661:暇の中での反省

節子
昨日、久しぶりに畑に行ってチューリップを植えてきました。
ちょっと遅くなったのですが、まあ大丈夫でしょう。

今年は8月に体調を崩して以来、どうも生活のリズムが回復しません。
体調がよくなると、精神的にダウンし、精神が回復すると体調が変調を来たすという感じです。
困ったものです。

しかし、心身の調子が悪いと、普段は考えないようなことも考えるものです。
それに発想の枠組みも、少し変わってきます。
最近思いついたのは、「なぜ人は働かなければいけないのか」ということです。
そう思っていた時に、副題に「勤勉の誕生」とある「日本人はいつから働きすぎになったのか」という新書を見つけました。
それを先日読んだのですが、とても納得できました。
日本人が勤勉になったのは、そう古いことではないようです。
そして働きすぎに向かいだしたのは、高度経済が始まる1970年前後からのようです。
まさに私は、その時代に会社に入り、会社時代を過ごしていたわけです。
私さえもが仕事の魅力に引き寄せられて、午前様になったり、仕事を家庭にまで持ち込んだりしていたわけです。
幸いに、1989年に私はそこから抜け出ました。
そして節子にも手伝ってもらいながら、仕事をするでもしないでもない、不思議な会社を立ち上げて、共感を持てたプロジェクトに参加させてもらってきたわけです。
それを精神面で支えてくれたのが節子でした。

しかし、その生き方や仕事の進め方は、世間的な常識とはかなりずれがあったようです。
そのためか、家族にはいろいろと迷惑を与えてしまったかもしれません。
働きすぎを避けようと会社を辞めたにもかかわらず、一時は「時間破産」を続けるような毎日でした。
そこからも抜けようとした、まさにその年に、節子の病気が発見されてしまったのですが、そのために、節子と一緒に「ゆったりした暮らし」を楽しむことはなくなってしまいました。
そして、節子がいなくなった今頃になって、もてあますほどの怠惰を味わえるようになったのです。
人生とはまことに皮肉なものです。

節子がいたころに、これほどの時間があれば、と反省しています。

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2014/12/13

■煙石事件の高裁判決がでました

前にも書いた中国放送の元アナウンサーの煙石博さんの窃盗事件の高裁判決が11日に出されました。
控訴棄却でした。
7万円弱の窃盗事件で懲役1年の刑です。
容疑者の煙石さんは、最初から無罪を主張し、物的証拠はありません。
一審判決後、煙石さんは「善良なる一市民が、身に覚えのない罪を着せられる冤罪。
こういう不幸は、法治国家としてあってはならない」と発言しています。

この件に関しては、これまで2回ほど、このブログでも書いてきました。
広島の事件ですが、私には時代を象徴する不気味な事件だと思えてなりません。
詳しくは、「煙石さんの無罪を勝ちとる会」のホームページをご覧ください。
http://enseki.noor.jp/

いつ我が身に降りかかってくるかわかりません。
日本の司法は、私には壊れかけていると思います。
いや警察もそうかもしれません。
最近、10年以上前の世田谷一家殺害事件の事実認定ミスが報道されています。
パソコンの操作時間認定に関わる誤認の報道ですが、なぜ今頃になってと思うほどの初歩的なミスです。
この事件の被害者の宮澤さんは、私の友人なので、私のところにも数人の捜査官が2回にわたってきていますが、いろいろと思うことは少なくありません。

私たちが安心して暮らせる社会を守ってくれているのが、警察であり司法です。
私はそう思っていますが、その警察や司法がちょっと間違うと、とんでもないことが起こるのも、また事実です。
そうしたことへの危機感を、ぜひ、警察や司法の関係のみなさんには持ってほしいと思っています。
そして同時に、私たち国民も、ぜひ疑問があれば声を上げていくことが大切だと思います。
警察や司法に悪意などなくても、気づかないまま、誤った方向に行くことはありうるからです。

煙石事件は広島の事件ですので、東京ではなかなか報道はされません。
しかし、いつ波及してくるかわかりません。
ニーメラーの教訓を忘れてはいけません。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2005/02/post_1.html

煙石事件のような話はほかにもあるでしょう。
大切なのは、そうしたことを切り口にして、司法のあり方や警察のあり方を、関係者と一緒になって話し合う公開の場を広げていくことではないかと思います。
煙石さんは、私財を投じて、そういう問題提起を私たちにしてくれているように思います。
せっかくの機会を活かさなければ、煙石さんに申し訳ありません。

念のために言えば、私は煙石さんとは面識がありません。
煙石さんの、この事件が冤罪かどうかの確証もありません。
ただいえることは、やはり全体を見て、どうしても納得できないのです。
おかしいことにおかしいと言わなければ、ニーメラーの二の舞になります。
それだけは避けたいと思っています。

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■私たちはとても大切なものを忘れていないか

明日が選挙の投票日です。
投票呼びかけ(になっていたかどうかはわかりませんが)の選挙シリーズはこれを最後にします。
開票後、もう一度書く予定ですが、

今朝の朝日新聞で、京都の徐東輝さんが今回の選挙への投票を呼びかけていました。
その記事の中に、「民主主義を求め闘う香港の若者から日本の友へ」というユーチューブが紹介されていました。
観てみました。
3回も観てしまいました。
なぜか涙が出ました。
そして思いました。
私たちはとても大切なものを忘れている。

「民主主義を求め闘う香港の若者から日本の友へ」の中に次の言葉が出てきます。

今、当たり前のようにある、あなたの人権や自由が、
ある日、突然なくなったらどうしまうか?
ぜひ観てほしいです。
「民主主義を求め闘う香港の若者から日本の友へ」

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■節子への挽歌2660:たくさんの人に会う夢を見ました

節子
最近よく夢を見ます。
残念ながら節子の夢ではありません。
いずれも、いろんな人たちに会う夢です。
時々、雰囲気的に節子が出てくるような気もしますが、姿かたちは出てきません。

最近、あまり人に会っていません。
そのせいかもしれませんが、ともかくいろんな人に会う夢が多いのです。
今朝、目が覚める前に2つの夢を見ました。
最初に見た夢は、懐かしい人がなぜかたくさん集まっている夢です。
いまもはっきりと顔を思いだす人もいますが、さほど親しかったわけではない友人知人です。
なぜかその人たちと、最初にどこで出会ったんだっけ、という会話をしていました。
その過程で、夢に出てきていない人の名前まで私が口にしたのが記憶に残っています。

その後、うとうとしてしまい、また夢をみました。
今度は全く知らない人ばかりでした。
しかしなぜかとてもリアリティのある集まりです。
なぜかみんな私のところに来て、名刺をくれます。
ただし、きちんとした名刺ではなく、紙切れにパソコンで印刷した名刺です。
一挙に10数枚の名刺をもらったので、名前は覚えていませんが、いずれも特徴のある人です。
なかには本名と違う名前になっていますが、と断って名刺をくれた人もいます。
私が気になっていて、まったく取り組めていない問題を体現した人もいました。

最近は、夢を見ても、目が覚めるとほとんど忘れてしまい、夢を見たという余韻が残っているだけですが、今朝のはふたつともかなりリアルでした。
なぜでしょうか。

挽歌の読者から、「佐藤さん、とても寂しい気持ちなのだという気がします」とメールが来ました。
たぶん最近の私の挽歌には、そうした気分が現れているのでしょう。
確かに、最近、無性にさびしい気がします。
節子がいないからというよりも、時代がだんだん遠のいていくという気がするのです。
歳をとるということは、そういうことなのかもしれません。
次第に人嫌いになりながら、一方では人に会いたくなっているのです。
世間も嫌いになってきていますが、未練もまた高まっています。
こんな社会でいいのか、と。

私の価値観とみんなの価値観が、どんどん離れていく。
どちらが動いているのか、最近はよくわからなくなってきました。
選挙の結果で、もしかしたらわかるかもしれません。
社会に未練がなくなるような、不幸な結果にはなってほしくはないのですが。

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2014/12/11

■節子への挽歌2659:アメ横を素通りしました

節子
昨日はオフィスの帰りにアメ横を歩いてみました。
以前とはかなり様子が変わっていました。

ところで、御徒町からアメ横に入ったのですが、入り口に長い行列がありました。
なんだろうと思ってみたら、宝くじ売り場でした。
御徒町の駅の近くの宝くじ売り場には誰もいなかったのですが。
その行列を見て、宝くじを買うことにしました。
しかし、並ぶのは嫌いなので、だれも並んでいない売り場を見つけようと思いました。
上野駅の近くに売り場があったのを思い出しました。

アメ横はやはりにぎわっていましたが、外国の人が多かったです。
以前よりも何やら面白い雰囲気は消えてしまったような気がします。
目立って多くなったのは、何かが食べられる場所です。
売り場はあまり活気がありませんでした。
まだ時間が早すぎたのかもしれません。

上野駅の近くの宝くじ売り場は、閉まっていました。
「外出中」と書いてありました。
そんなわけで、残念ながら宝くじは変えませんでした。
今年もまた幸運を逃がしたかもしれません。
宝くじが当たったら、やりたいことがいろいろとあるのですが。

上野駅も久しぶりでしたので、少し構内を歩いてみました。
節子が好きだった雑貨屋はなくなっていました。
季節のせいか、どこも華やいで見えました。
そういえば、多くの人にはボーナスが出たところですね。
わが家には関係ない話ですが、それでもみんながうれしい時期は、なんとなく私までうれしくなるものです。

結局、何も買わずに帰宅しました。
今年も地味な年末になりそうです。
節子がいなくなってからは、いつも地味ですが。

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2014/12/10

■事前投票に行ってきました

事前投票に行ってきました。
これでもう、交通事故にあっても、食中毒で寝込んでも、風邪をひいても大丈夫です。
なにしろ数年に1回のチャンスですので、絶対に、無駄にはできません。

しかし、考えてみると、投票日が1日というのがむしろおかしいですね。
事前投票などと言わずに、投票日は1~2週間くらいあったほうが投票率は高まるはずです。
どうして今まで私はそう考えなかったのでしょうか。
途上国ではそうした例はありますが、私はそれを「遅れた制度」と思っていました。
とんでもない、むしろ国民の生活を優先した進んだ制度というべきです。
やはり私は常識に囚われて思考の柔軟性を失っているようです。

最高裁判事の信任投票もありました。
今回はどういう裁判に関わった人か全く思い出せずに困りました。
これも選挙時ではなく、大きな裁判の判決ごとに賛否を意思表明したいですね。
技術的にはできるはずです。
国会議員の選挙の「ついで」にやってほしくはありません。

さらにいえば、裁判官判事をやるのであれば、日銀総裁やNHKのトップ人事も信任投票したいですね。
こう考えていくと、いろいろと欲が出てきます。
下手をすると、毎日が投票日になりかねません。

しかし、そもそもこういう形の「投票」方式が適切なのでしょうか。
それも大いに疑問があります。
投票に行くべきだと言いながら、そんな根本的なことに疑問を投げかけてしまうのは矛盾していますが、今の政治のあり方は、根本から見直すべき時期に来ているのかもしれません。

来年は、そんなことをテーマにしたサロンを湯島で継続開催する予定です。
是非ご参加ください。

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■節子への挽歌2658:曇り空の向こう側

節子
湯島のオフィスから空を見ています。
1時間ほど、ただただ見入っていました。
いろいろと思いが浮かぶにまかせて。

今日は青空ではなく、どんよりした曇空です。
こういう日は、無性に寂しさがつのります。
今日は来客があるわけではないのですが、久しぶりに東京国立博物館に行こうかと思って出てきました。
しかし、先ほどから曇り空を見ているうちに、気力が萎えてしまいました。

昔から私は空を見るのが好きでした。
しかし好きなのは青空であり、青い空の中を流れる雲でした。
そうした中に、未来を感ずるからです。
しかしどんよりした曇った空には動きがありません。
ただただひたすらどんよりしているだけです。
まるで最近の私のようです。
ずっと見ていると、その向こうに自分がいるような気さえしてきます。
困ったものです。

時代が変わった、と最近よく思います。
そこで生きている人たちの考え方や行動が変わったと感じます。
何が変えたのでしょうか。
私は生活空間の変化が大きな影響を与えていると思っています。
時々、華やかな都心部に行くと、なんだか自分がそこの小さな部品のように感じます。
居心地が悪いのです。
しかし、節子はそうしたところも好きでした。
丸の内が変わった時も、節子に誘われて出かけました。
私は辟易していましたが、節子は生き生きしていました。
そして、家族連れの有名人に気づくのです。
私にはみんな同じ顔に見えてしまい、すれ違っても気づかなかったりしましたが。

しかし最近の変わり方のすさまじさには、節子もついてこられなかったでしょう。
今頃は彼岸から東京の変容を見ているでしょうが、どう感じているでしょうか。
私たちの時代は、もう終わったのでしょう。
そんな気がします。
人はそれぞれ生きる時代を決められているのでしょう。

空が少し明るくなってきました。
気のせいでしょうか。
でも今日は国立博物館はやめましょう。
久しぶりに少し雑踏の中を歩いてみたくなりました。
一人では歩くことのなかった御徒町のアメ横です。
節子はあんまり好きではありませんでしたが、会社の帰りに時々寄り道したことがあります。
あれから10年以上たっています。
どう変わっているでしょうか。

今日は暇で暇で仕方がない日です。

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■知的な言説を聞く耳

「民主主義の中で知的な言説が聞く耳をもたれない時、少数意見を尊重するはずの民主主義は多数決の数の暴力となる」とは、樫村愛子さんの言葉です。
著書の「ネオリベラリズムの精神分析」に出てくる言葉です。
私も、深くそうお思います。
そして昨今の日本には、「知的な言説を聞く耳」が消えつつあることに不安を感じています。

「知的な言説」とは何かというのは、人によって受け止め方は違うでしょうが、私はそれを「自分の生を生きている人の言説」と受け止めています。
そして、「知的な言説を聞く耳」とは、「自分の生に立脚した耳」と考えたいです。
平たく言えば、「頭で聞く」のではなく「心身で聞く」ということです。
「自分の生を生きている人」とは、ますます抽象的でわからないように思われるかもしれませんが、さらに抽象化すれば、「人間」ということです。
このブログでは、最近、社会から「人間」が消えだした、ということを何回か書いていますが、そう感じだしているのは私だけではありません。
昨年、企業経営幹部の人たちのグループで、「人が育つ企業文化」をテーマに半年間話し合いをしてきました。
そこで得た結論の一つは、会社の人間が組織の「部品」化してきているのではないかということでした。
部品は、人間と違って育ちません。
人が育たないのは、部品扱いしているからではないか、というわけです。

フランスでは認知症治療として「ユマニチュード」が広がっています。
ユマニチュードとは、人間として扱うということです。
医療の世界では、患者は往々にして「人間」として扱われないことはよく言われています。
イタリアが精神病院を全廃しました。
精神障害を持つ人を、人間として扱うことによって、状況は大きく変わりました。
この種の話は、さまざまな分野で話題になりだしています。

知的な言説は、人特有のものです。
にもかかわらず、最近は「話す人」も「聞く人」も少なくなってきました。
プロセスが重要なはずの「コミュニケーション」さえもが、機能的な伝達度で測られる時代です。
多様な発想をし、多様な感受性を持つ、人間の知性は機能社会では無駄なのかもしれません。

選挙に関連した記事を書くつもりが、話が広がりだしてしまいました。
しかし、今回の選挙に関して、政党党首などの話を聞いていると、「知的な言説」というよりも、「機械が話している」ような気がします。
「知的な言説を聞く耳」がないからそうなったのか、「知的な言説」がなくなったために「耳」が退化したのか、いずれにしても表層的な言葉のやり取りばかりです。

言葉の世界での論理整合性ではなく、現場の生に立脚して、考えなければいけないと、強く思っています。
そうした視点でだれに投票するか、どの党に投票するか、をもう一度考えて、今日は事前投票に行こうと思います。
政治は、個人の生に深くかかわっています。
誰に入れても変わらないし、投票に行かなくても変わらない、はずがありません。

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2014/12/09

■節子への挽歌2657:「気」が創り出す現実

節子
結婚したジュンは、いまもスペインタイルの仕事をしていますが、その工房がわが家の庭にあるので、午後はわが家に出勤して仕事をしています。
工房は庭にありますが、2階のジュンの部屋にあるパソコンで仕事をすることもあります。
先日、だれもいない日に、2階でパソコンをしていたら、1階で、とんとんと誰かがドアか壁をたたく音がしたそうです。
なんだろうかと思って降りてきたそうですが、だれもいない。
ジュンによれば、その日だけではなく、そんなことが時々あるというのです。

実は、私もそうした経験が何回かあります。
一度などは、1階のリビングに居たら、勝手口のドアをトントンと繰り返したたく音がするので、外まで出てみたこともあります。
それが2日も続いたのです。
いずれも時間は午後の少し遅い時間です。

節子が帰ってきたといったら笑われそうですが、しかし、そうでないとも言い切れない。
こんな時、遺された者は、そうしたことに過剰な意味づけをしがちです。
いうまでもなく、私もそうです。
どこかに痕跡がないかと探すこともあります。
残念ながら見つかったことはありません。

一般には、こうしたことは「気のせい」ということになるでしょう。
しかし、問題はその「気のせい」ということです。
つまり、「気」が何かを創りだす。
「気」によって実際に起こってくることは少なくありません。
社会学者のロバート・マートンは、誤った判断や思い込みなどが,新たな行動を引き起し,その行動が当初の誤った判断や思い込みを現実化してしまうことがある、という「自己成就予言」について語っています。
自らの世界は、自らの意識が創り出していく側面は否定できません。

もっとも、だからと言って、わが家に時々起こる「人の気配」が節子だということが現実化することは客観的には起こらないでしょう。
ただ、それが実際に起こるかどうかは、当事者にとってはあまり重要ではありません。
しかし、そう思い込んでいるうちに、節子の姿が見えだしてくることは、十分あり得ることでしょう。
ただ、その場合は、世間的には「気がふれた」ということになってしまいます。
そういう意味で、「気のふれた」人も、少なくないかもしれませんが、私にはその人が「気がふれた」などとはとても思えません。
むしろ、正常なのだろうとさえ思います。

人の気配がしたら、「節子か?」と声に出します。
これまで返事が聞こえたことはありませんが、彼岸の節子には届いているでしょう。
そう思っています。

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■マーケティング型選挙から抜け出よう

アメリカの都市社会学者リチャード・セネットは、その著「不安な経済/漂流する個人」の中でこう書いています。

人々はウォルマートで買い物するように、政治家を選択してはいないか。
すなわち、政治組織の中枢が支配を独占し、ローカルな中間的政党政治が失われてはいないか。
そして、政治世界の消費者が陳列棚の名の知れたブランドにとびつくとすれば、政治指導者の政治運動も石鹸の販売宣伝と変わりないのではないか。
もし、そうであれば、政治の核心はマーケティングにあることにもなりうるが、これは我々の政治的生活にとって歓迎すべきこととはいえまい。
いまや政治の世界もまた、「経済の論理」「経営の論理」で覆われているのかもしれません。
この指摘のポイントは、「政治組織の中枢が支配を独占し、ローカルな中間的政党政治が失われている」ということだろうと思いますが(前に書いた柳田國男の指摘もそうだと思います)、「政治の核心はマーケティング」という点を、選挙の際には痛感します。
小渕優子さんは、まさに「ブランディング」されてきたわけで、父親の思いとは違って「政治家の見識」を育てられてきたわけではないことが、先の大臣辞職事件で明らかになりました。
彼女もまた、有名石鹸のひとつとして物語化されてきたわけです。
政治は、そうやって「人」を消費するようになってきました。
まさに「政治の変質」です。

どれを選んでいいかわからないというほど、商品の数が増えてくると、消費者は自分で選ぶことを放棄していきます。
どれほどの人が、自分の判断力と意思で購買活動をしているでしょうか。
たぶん意識していなくとも、私たちがどの商品を購入するかは操作されている面が今やとても大きくなっているように思います。
それにいまはどれを選ぼうと、さほどの違いはありません。
そして、その違いさえもが「マーケティング」手法で創られていることも多いのです。

こうした商品選択と同じことが、選挙でも展開されている時代になってきました。
まずは「経済」で慣らされた私たちは、政治にも同じ姿勢で対応し始めた。
自分でエネルギーを割いて選ぶよりも、与えられたとおりに、しかし自分で選んだ気分を持ちながら、選ぶことの方が楽ですから、ほとんどの人はそうしていくでしょう。
そして、その結果が悪ければ、選んだ相手を批判すればいいのです。

しかし、残念ながら、商品と違って、政治の世界では誰かがリコールを起こしてくれることはありません。
結局は自分たちで変えていかなければいけないのです。
商品選択の場合は、流行やマーケティングに流されてもさほど深刻な結果にはなりませんが、政治はそうではありません。
国家が危うくなれば、生活もまた危うくなります。
いや、生活が危うくなれば、国家が危うくなるというべきでしょうか。
経世済民の政治に向けて、しっかりとした眼で投票すべき人を選びたいものです。

14日の投票日にもしかしたら行けなくなる人は、ぜひ事前投票に行ってほしいです。
私も何が起こるかわからないので、今回は事前投票に行く予定です。

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2014/12/08

■国益と公益と私益

選挙に向けての発言で、「国益に沿った」という発言がよく出てきます。
たとえば、TPPは「国益に沿うように進めていく」、というようにです。
この「国益」とはなんでしょうか。
そこには、時に全く相反する2つの意味が込められています。
たとえば、国民の視点と国家の視点です。
これは、何も「国益」に限った話で社ありません。
「社会のため」「会社のため」というような言葉にも当てはまります。
国益と似た使われ方をする言葉に「公益」という言葉もあります。
「国益」「公益」「私益」。
その関係はどうなっているのでしょうか。

アダム・スミスを代表とする古典派経済学では、「私益」の追求が「見えざる手」によって「公益」につながるとされます。
そこには、しかるべき「社会の仕組み」が前提にされています。
正確に言えば、社会の構成員の私益を公益につなげていくような、「社会」あるいは「市場」を築いていくべきだということでしょう。
どんな社会でも、私益が公益につながるわけではありません。

日本の経世済民の学徒、柳田國男は「私益を総計しても公益にはならない」と明言しています。
彼は、「国民総体の幸福」が「公益」だとし、「公益」が「国益」だと考えます。
私は、そうした考えに共感できます。
しかし、国家の利益(国益)が国民の利益(公益)とは別個に存在するという発想は、柳田にはなかったと評伝を書いた藤井隆至さんは書いています。
それは、柳田が生きた時代の国家と国民の関係を反映しています。
いまの時代状況とはまったく違います。

「国益」「公益」「私益」の関係は、時代によっても、テーマによっても、違ってくるでしょう。
しかし、「国益」のために「公益」や「私益」が犠牲にされることがあることは間違いありません。
最悪の場合は、それらがゼロサム関係に陥ることさえあるのです。
最近の日本状況は、かなりそうした方向になっているように思います。
国益と公益と私益は、つながるどころか、むしろ相互に奪い合う構図が感じられます。

「国益に沿った」という甘い言葉に騙されてはいけません。
国益とはなんなのか。
「国益」と「公益」と「私益」は、同関連しているのかをしっかりと具体的に捉えていくことが大切です。

選挙に向けての話を聞いていると、まさに本音が垣間見えてきます。
「言葉」ではなく「結果」を見通すようにしなければいけません。
そのためには、私たちはもっと学ばなければいけません。
国民が、学ばなくなれば、国は亡ぶしかないでしょう。

投票日はもうすぐです。
投票率が高くなることを祈っています。

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■節子への挽歌2656:人生の修め方

節子
2か月ほど前に、一条さんから自著「終活入門」が送られてきました。
私に終活を勧めるために送ってくれたのではありません。
一条さんは本を出版するたびに、いつも送ってきてくれるのです。
いろんな人が自著を送ってきてくれますが、それらはきちんと読んで、私のホームページで紹介するようにしていますが、読めない本もあります。
いまだに、死やグリーフケアに関する本が、私にはなかなか読めないのです。
この「終活入門」も、そんなわけで長いこと机の上に積んでいるだけでした。

昨日、なんとなく手に取って読んでしまいました。
当然ですが、一条さんらしいメッセージが込められていました。
あまり抵抗なく読めました。
そういえば、数日前には松永さんの「小児がん外科医」も読むことができました。
私の意識も少しずつ変わってきているようです。

一条さんは、「終活」を「人生の終い方」ではなく「人生の修め方」と捉えています。
「修め方」、私の名前も入っているなと改めて思いました。
「人生の修め方」。
そういえば、私にはこの視点がまったくないことに気づきました。
素直に生き、自然に死んでいくのが、私の理想だからです。
しかし、それでは周りの人たちには大きな迷惑をかけるでしょう。
節子がいれば、それでよかったのですが、節子がいない今は、「人生の修め方」を考えないといけないと反省しました。
一条さんからのメッセージを、私はそう受け止めることにしました。
しかし、「人生の修め方」とは難しい課題です。

ちなみに、コムケア活動に取り組んでいるおかげで、「エンディングノート」については10年ほど前から私自身関心を持っていました。
おそらく日本ではじめてに近いころに作成されたエンディングノートは。コムケア仲間の嶋本さんが作ったものです。
ささやかに応援させてもらいました。
当時は、「エンディング」という言葉に抵抗があるといったら、嶋本さんは「サクシード・ファイル」という言葉を考え出してくれました。
いまから思えば、「エンディングノート」という嶋本さんの提案をそのまま受ければよかったと反省しています。
嶋本さんが当時考えていたのもまた、生き方の話でしたから。
あの時、もっと真剣に考えておけば、表層的な言葉に惑わされることはなかったでしょう。

難しい課題ですが、少し真剣に考えてみようと思います。
気づくのが、あまりに遅かったのですが。

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2014/12/07

■節子への挽歌2655:ホームページがうまく更新できません

節子
トラブル続きなのですが、今度はパソコンのホームページ作成ソフトがうまく作動しなくなりました。
半日何とかしようと取り組んでいましたが、うまくいきません。
ホームページは毎週日曜に更新なのですが、更新した記事の一部が反映されないのです。
何度やってもダメです。
そもそもマニュアルなど読まないタイプですので(正確には読んでもわからない)、いろいろとやっているうちに、ますますおかしくなってしまいました。
まあこうやって、私はこれまでもたくさんのものを壊してきたのですが。
節子にも家族にもまったく信用はありませんが、壊すこともまた大切なことなのです。
そのものの意味がわかりますので。はい。

ホームページは10年以上の私のほぼすべての記録が埋め込まれていますので残しておきたい気はしますが、まあそろそろ廃棄する時期かもしれません。
本当に少しずつですが、いま身辺整理を進めています。
かなりの資料や文献なども廃棄し始めていますが、ホームページもそろそろ廃棄する時期かもしれません。
いまも毎週更新はしていますが、あんまり内容があるとは言えませんし。
最初のビジョンは壮大だったのですが。

それでも、この1か月でも、私のホームページを読んで訪ねてきてくれた人が2人もいますから、残しておきたいという未練もあります。
ホームページのおかげで仕事がダメになったこともありますから、ないほうがいいかもしれないとも思います。

私のホームページは2002年1月1日にスタートしました。
前年の年末に急に思い立ち、友人に2時間作り方の基本を教えてもらい、後は我流でDream weaverをつかって、2日でアップしたのです。
その年の大晦日は大変で、大掃除も年越しそばもないほどでしたが、奇跡的に自力でつくれてしまったのです。
そのあとは、勝手な追加更新作業で、今ではホームページの中にある記事を自分でも探せないほどの複雑な構造になっています。
容量を減らすために、写真は極力掲載しないので、文字が多いホームページになっていますので、当初から評判はよくありませんでした。
まさに自分にとってのメモランダムが主目的です。
私自身はあまり記憶力がよくないため、ホームページが私の人生記録でもあるのです。
ですから、ホームページを失くしてしまうと、私の過去はかなりの部分、なくなってしまいそうです。
2004年からはブログも並行して書いていますが、これは私の考えの記録なので、私の過去の世界を思い出す材料にはなりません。

というわけで、今日はまったく無駄な半日を過ごしてしまいました。
さてどうするか。
まあ、それはそれとして、今日はもうやめましょう。
この数日、ちょっと寝不足なのでお風呂に入って寝ることにしましょう。

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■国の命運は政治の善悪によって決まる

先日、テレビで「開戦前夜!政治家 斎藤隆夫の挑戦~命をかけた名演説~」をみました。
太平洋戦争に向かって暴走する軍部に立ち向かい、昭和15年、国会議員斎藤隆夫は国会で命を賭した演説を行いました。
2.26事件の2か月後でした。
軍部の政治介入を鋭く批判し、「政党政治の火を消すな!」というその演説は、多くの国民の喝采をあびました。
国会の議場でも、演説中に大きな拍手がありましたが、結局彼は議員除名されてしまいます。
除名の決議に反対したのは、わずか7人でした。
その7人は、先日書いた、大政翼賛会に抗した「同交会」のコアメンバーになっていきます。

結局、日本は戦争に向かい、多くの国民の命を犠牲にした挙句、敗戦してしまいます。
敗戦後、生まれ故郷の出石に戻っていた斎藤隆夫のもとに、荒廃した日本の将来を心配する地元の中学生から手紙が届きます。
斎藤は、その返事にこう書いたそうです。

日本は敗戦に依りては亡びない。
政治の善悪に依って運命が決まるのである。
今度の選挙で問われているのは、このことだと思っています。
目先の利害損得に呪縛されずに、大きな意味での善悪の視点から投票者を選びたいと思います。
せめて、中学生くらいの純真さと知性を以って。

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2014/12/06

■節子への挽歌2654:人は人に会うために生まれてくる

節子
2651で引用させてもらった松永さんの「小児がん外科医」には、またこんな言葉がありました。

自分が死ぬということは悲しいことだとも思いました。
なぜならば、それは親しい人と会えなくなるからです。
生きているということは、人間関係を結ぶということです。
人間関係があるから情愛が生まれ、その結果、死を悲しみ悼むのです。
死というものは何かの出来事ではありません。
すべては生きている間の人間関係の断絶が死に集約されるのです。
つまり人は、人間関係を結ぶために生きているとも言えます。
実は、先日、松永さんが講演で、「人は人間関係を結ぶために生きている」と話されたので、それに関してメールしたことで、松永さんはこの本を送ってきてくれたのです。
松永さんは、「(佐藤さんに)こうした本を勧めていいのか、相当迷いましたが、思い切って送ってみました」と書いてきてくれました。

松永さんの「人は人間関係を結ぶために生きている」という言葉が、自らの体験から生まれてきていることを改めて実感できました。
私も同感です。
人は、人に会うために生まれてくる。
そう思います。
そして、人との結びつきの中でみんな生かされている。
だとしたら、と、松永さんは続けます。

この自分の命を丁寧に生きよう。
私も、もっと丁寧に生きなければいけないなと少し反省しました。
残念ながら、頭ではわかっていますが、なかなかそうならないのが恥ずかしいです。
松永さんに叱られそうです。

昨日からの合宿で、またたくさんの人との出会いがありました。
温泉の湯ぶねでは、山崎さんという人とも出会いました。
最近少し投げやりになっている生き方を改めなければいけません。

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■自分の会社を誇れる人に出会いました

昨日から浜名湖で企業の経営幹部の人たちと合宿です。
もう20年以上つづけている活動ですが、長年続けているおかげでいろいろな気づきをもらえます。

今回感じたのは、日本ではもう「成長」は難しいと考え出している人が増えてきていることです。
そういうことを口でいう人はこれまでもいましたが、今回は「わ! 本気だ」と思えるような感じでした。
ただ、それではどうするかが問題です。

発想の軸を変えれば、道は見えてきますが、企業経営のど真ん中にいるとそう簡単には動けないのかもしれません。
しかし、にもかかわらず、方法は簡単です。
ともかく発想の軸を変えて、当事者で話し合えば動き出せるはずです。

夜、温泉で一緒になった、宿泊客と話しました。
その人は山崎さんといって静岡のある中堅企業の経営者か管理者でした。
話しているうちに、会社の話になりました。
その人の会社は、とても人を大事にしていて、今日はこのホテルで忘年会なのだそうです。
若い連中は二次会で浜松に繰り出しているそうです。
その方が自分の会社のことを、とてもうれしそうに話すので、ついつい盛り上がってしまい、長湯をしてしまいました。
たぶんこの山崎さんは、成長しない時代の会社経営の姿を実感的に知っているのでしょう。
昼間、話していたことの事例に出会えたのが不思議ですが、地方にはいい会社がたくさんあるのです。

あまり長湯をしてしまい、湯上りにちょっと調子を崩してしまいましたが、いい湯でした。
しかし、いい人に出会えて、なにかうれしさを感じました。


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2014/12/05

■節子への挽歌2653:三島駅からの富士山

久しぶりに東海道新幹線に乗りました。
浜松行きなので「ひかり」に乗車しましたが、三島停車の列車でした。
いま三島に到着、目の前に富士山がくっきりと見えます。
久しぶりに見る雲のない富士山です。
その前に、「TORAY'」の大きな看板があります。
私の会社生活はここから始まり、ここで終わりました。
節子との出会いも、ここがあればこそです。

この東レの工場で2か月実習しました。
若い工場のひととの6人部屋での共同生活は、実に刺激的でした。
一番年上は確か「加藤さん」と言い、私よりも少し年上でした。
もう一人、いまでもはっきり顔を覚えている若者はビートルズのファンでした。
休日にみんなで散歩したきおくがあります。
その時も、富士山も見た気がします。
その後の付き合いはありませんが、時々思い出します。
みんなどうしているでしょうか。
三島駅からの富士山
工場での実習は重合課というところの夜勤もあるシフト作業でした。
夜明けに重合塔の見回りがあって、最初に塔にのぼった時に、目の前に富士山が突然見えてきた時には感動しました。
工場実習を終え、正式に配属されたのが滋賀工場。
そこで節子に出会って人生を変えました。

東レでの最後の仕事はCI という仕事でした。
ボスに提案して、やらせてもらったのですが、今から考えれば無謀なプロジェクトでした。
東レのシンボルマークも一新しました。
三島工場の看板は巨大でしたから、新しくするのは大変でした。
それに発表までは隠さなければならず、新幹線の駅の正面にあることもあって、作業にも苦労しました。
このサインには、そんな思い出があります。
その仕事は、私の人生を再び変えました。
その仕事が、私の東レでの最後の仕事でした。

この風景を見ていると、何かとてもしみじみしてしまいます。

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■政治から人間がいなくなった?

選挙の政見放送を見ていて、気づくことはたくさんあります。
今朝は共産党の、確か神奈川県の小選挙区の政見放送を見ていたのですが、個人がほとんど出てきません。
見事に主役が「個人」から「政党(組織)」に変わっています。
これは、たぶん小選挙区制度の影響でしょう。
小選挙区制度に関しては、私は以前からとんでもない制度だと思っていました。
それに関しては何回か書いてきていますが、改めて今回、そう思いました。

中選挙区制時代の選挙の主役は「人物」でした。
しかし、小選挙区制度になってから、選択の対象は「政党」になってきました。
それでもそれが、まだ「政策」であればいいのですが、国民投票ではそれが可能ですが、総選挙の場合は、さまざまな問題が包括されますから、実際には政策を選ぶなどということは不可能です。
ある問題は自民党、ある問題は民主党というように、問題によって支持できる政党は異なることが多いからです。
その結果、とんでもない人が当選することがあります。
当選するとは思ってもいなかったと、当選後、明言する人さえいるほどです。
いまの選挙制度では、人物が選ばれるのではなく、政党が選ばれます。
そして、強い党議拘束とお金によって、政治家は「やとわれ人」になってしまいかねません。
雇われ政治家が増えているように思います。
そこをしっかりと認識しておかないと、「投票したい人がいない」などということになるわけです。

全員を比例代表制にして、支持率に応じて政党(組織)が政治家を選ぶ時代がくるかもしれません。
政治から、人がいなくなるということですが。
最近の状況を見ていると、何かそんな恐ろしさを感じます。

私は、できるだけ人間に投票したいですし、政治家の人柄を大事にしています。
しかし、私にとっての魅力的な政治家は、みんなあまり人気がありませんし、どんどん排除されているような気がします。
それはたぶん、私自身が社会から脱落しているということでしょう。

今回は人でも政党でもなく、政府の暴走を止めるためのⅠ票を投じたいと思っています。
投票したい人がいないから、投票に行かないということは、安倍政権を支持するということですから、何が何でも投票には行かなくてはいけません。

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2014/12/04

■節子への挽歌2652:聞き手の役割

節子
たまにはうれしい電話も来るものです。
入院していた武田さんがようやく退院するそうです。
最初の言葉は、ドキッとするような電話だったのですが、それは武田さんらしいジョークで、一安心でした。
最近、胃が痛くなるような電話ばかりだったのですが、久しぶりにうれしい電話でした。
もうしばらく武田さんとの現世の付き合いは続くようです。
まあ、あまり長いのも考えものですが。

病院からの電話のくせに、長電話で、相変わらずの政治議論をしてしまいました。
そのうちに、おなかが痛くなったから切ると武田さんが言いました。
お互い、武田さんがかなりの病気であることの認識が欠けています。
困ったものです。
退院がまた延びなければいいのですが。

武田さんは、いまのひどい政治に対する武田さんの意見を聞いてくれる人がいない、少数派の無念さを感ずる、というのです。
しかし、それは喜ぶべきことでしょう。
少数意見の持ち主こそ生きている人間。
多数説にある人は、もう死んでいる人だから、少数派であることに喜びを感じようと応じました。
少数派であることを誇りに思わなければいけないということです。
私と同じくらい単純な武田さんは、「そう言われるとちょっと気分がいい」と言いました。
そこから、いつものようにまた、無意味な政局批判が続きました。
世の主流を歩いている人は、だれも本気で政治など考えていないでしょう。
まあ考えているのは、社会から脱落し、円安だとか株高などとは無縁の生活にある私たちくらいでしょう。
そもそも政治とは、アテネではそうだったように、「余暇活動」なのですから。

武田さんの「論理」的な話に、社会の主流の人たちは耳を貸さないでしょう。
忙しく働いている人たちには、アベノミクスがなんであるかさえ、考える余裕もないでしょう。
私には無縁な、円安や株価の目くらましにあっているだけです。
一方、私には円安も株価も無縁です。
消費税増税だって、さほど金銭消費しない私にはどうでもいい話です。
だから政治の本質が見えてきやすいのです。
原発や集団的自衛権には関心を持たざるを得ません。
自分が生きている時代に、そんな恥ずべきことをしてほしくないからです。
犯罪者にはなりたくありません。
まあ、そんなところが私と武田さんとの共通点です。
だから、武田さんも入院中にもかかわらず長電話してくるのでしょう。

おなかは痛くなったかもしれませんが、まあ今日はあまり反論もなくきちんと聞いたので、武田さんは少しはガス抜きできたでしょう。
聞いてくれる人がいるのはいいことだ、というようなことを武田さんは最後に言っていました。
そうなのです。
人には、だれも聞いてくれないような些末な話を誠実に聞いてくれる人が必要なのです。

節子は、そうした些末な話、私にとっては本質的な話を誠実に聞いてくれる人でした。
聞いてくれて、わかってくれる人がほしいです。

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■「大政翼賛会に抗した40人」

10年ほど前に出版された本ですが、「大政翼賛会に抗した40人―自民党源流の代議士たち」(朝日選書)を読みました。
先日、その40人の一人の息子さん(と言っても私よりも年上です)が湯島に来たのがきっかけです。

日本の国会からすべての政党が姿を消し、大政翼賛会ができたのは1940年、私が生まれた前年です。
議会政治は終焉を迎えそうになったわけです。
しかし、そうした状況の中でも、死を覚悟して、流れに抗った人たちがいたわけです。
そして、その人たちが、戦後の自民党の源流になったのです。
その自民党は、今やまったく変質しましたが。
いや、小選挙制度によって、政治そのものが変質したというべきでしょうか。
私が生きているうちに、立憲議会政治がなくなることは考えたくないですが、あながちそれは杞憂でもないのかなと、この本を読みながら思いました。

40人のうち、37人は軍部の意向に逆らって大政翼賛会に反対し、議会政治を守ろうと「同交会」を結成し、激しい弾圧の中で選挙をたたいました。
当時の状況の中で、彼らは「明治憲法で定められた立憲政治の大道に則した政治を求めた保守派」と位置づけられます。
つまり、当時の台頭してきた軍国主義こそが、「革新派」だったのです。
保守と革新という言葉には気をつけなければいけません。

「同交会」は、政友会少数派から純無所属、社会党系、院外団といった「一種の混合団体」で組織されていたそうです。
このことにも、多くの学ぶべきことがあります。
小異を捨てて、組織を超えて、大同団結することを、彼らは知っていました。
いまの政治家たちにもぜひ学んでほしい気がします。
いや、政治家のみならず、私たち有権者もまた、学ぶべきです。

ちなみに、このグループに中から、戦後の首相が3人も出ています。
そのことからも、いまの政治家は学んでほしい気がします。

著者の楠誠一郎さんはこう書いています。

現代の政治家には周囲を見渡して多数につき、保身をはかる者が少なくない。
戦前に、生命を賭けて自分の意志を貫いた気骨ある政治家がいたことを心に留めたい。
まったく同感です。
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■節子への挽歌2651:死は終わりではなく始まり

節子
とても重い、重い,でも、元気をもらえる本を読みました。
松永正訓さんの「小児がん外科医」です。
松永さんにある問いかけをしたら、「がんの話は佐藤さんには無理だろうから、ここだけを」といって付箋をつけて送ってくださったのです。
松永さんの、そのお心遣いに感謝しながら、そのページをまずは読んだのですが、結局、全部を読むことになりました。
松永さんの悲しみや厳しさへの姿勢に、感動しながらです。
4日かかりりましたが、松永さんの強さと優しさに改めて感服しました。

松永さんはたくさんの「死」に立ち会っています。
そして、たくさんのことを学んでいる。
そして、こう書いています。

死は何かの終わりではありません。
何かが終わる死というものは存在しない。
死から何かが始まることもある。
愛する人の死は、決して終わりではなくはじまり。
いまの私は、素直にうなずけます。
しかし、その始まりを前に進めることが難しい。
もしかしたら、どこかに、始めたくない自分がいるのかもしれません。

先日観た「おみおくりの作法」と重ねて、考えると、やはり頭が混乱してきます。

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2014/12/03

■節子への挽歌2650:夫婦喧嘩

節子
エジプト旅行中に3回夫婦喧嘩をしたことを思い出しました。

今朝、カイロのヒルトンホテルの切手を貼ってきてくれた鈴木さんが、メールをくれました。

切手のナイルヒルトンは確かナイル川の中洲にありました。
単なる宿泊施設ではなく切手になるくらいの観光名所ということですね。
そう書いてありました。
それを読んで、そのナイル川にかかっている橋を歩いて渡っている時に、たしか夫婦喧嘩をしたなと思いだしました。
私たちはよく喧嘩をしたのです。
まことにみっともない話ですが。

エジプト旅行では、たぶん3回、言い争っています。
不思議と記憶が鮮明なのです。
ただし、喧嘩の原因も内容も全く思い出せませんが。
あとの2回は、ルクソールのホテルと回路に戻る途中の列車のなかでした。
列車内の喧嘩以外は、まあ軽い論争だったと思いますが、それも朝日が昇り始めた風景が車窓に見えだしたので、収まりました。

よく話し合いをする夫婦は、よく喧嘩もするものだ。
これは私の勝手な解釈です。
節子はあまり賛成はしないでしょう。
節子は喧嘩が嫌いでしたから。
そのくせ、謝ることもしませんでしたが。

しかし、どんなに喧嘩をしていても、相手を憎むことはありませんでした。
夫婦喧嘩とは不思議なものです。
それが少し過激になると、DVになってしまうのかもしれません。
不思議なのは、夫婦喧嘩ではなく、夫婦なのでしょう。
喧嘩によって距離を縮めることができるのが夫婦や友人。
喧嘩によって溝を広げてしまうのが知人や他人。
かもしれません。

それにしても、夫婦喧嘩をする相手がいないことは、とても寂しく悲しいものです。

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2014/12/02

■節子への挽歌2649:ラムセスヒルトン

節子
毎週はがき定期便をくれる鈴木さんは、料金の切手以外に、私のためにわざわざ選んだ切手(JAPEXで購入)を本文の上に貼ってきてくれます。
なぜか私にはエジプトと絵画がテーマだそうです。
エジプトは好きなのですが、実は絵画はあまり好きではないのです。
節子は絵画が好きでしたが、私は彫刻が好みです。
まあそれはどうでもいいのですが、今日、届いたはがき定期便には、カイロのヒルトンホテルの切手が貼ってありました。
そして、「ここに泊まられましたか?」と書いてありました。

私たちがエジプトに行ったのは、もう20年以上前です。
最初のわが家の家族海外旅行でした。
退職金をもらっていたので、当時のわが家はいささかバブルでした。
いまではありえないのですが、JTBのエジプトツアーに行くことにしました。
行き先がエジプトでしたので、家族はあまり乗り気ではありませんでした。
節子も、どうせならヨーロッパかカナダを望んでいました。
しかし、私の好みで最初の海外旅行はエジプトになってしまいました。
その時に宿泊したのが、カイロのラムセスヒルトンでした。
懐かしい話です。

その時のツアーはとても充実したものでした。
エジプト在住の中野さんがずっとガイド役をしてくれました。
中野さんのガイドは素晴らしかったです。
中野さんとは今もお付き合いが続いています。

中野さんは、エジプトは好きになってもう一度来る人ともう絶対来ない人と別れるのですよ、と話されましたが、私たちは必ずもう一度行こうと思っていました。
最初はあまり乗り気ではなかった節子も、とても気に入ったのです。
節子の病気が治ったら、必ず行ったはずです。
しかし、残念ながら、2度目はありませんでした。
節子がいなくなったからです。

もう2度と泊まることのないホテルの切手を懐かしく見ています。

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■節子への挽歌2648:陽だまりの中の無為

節子
体調の関係もあって、この1か月はあまり人には会いませんでした。
正確に言えば、人と会わない日が多かったということです。
いささか人嫌いになってきているからです。

土との触れ合いも少なかったです。
天候のせいもありますが、畑に行く気が起きませんでした。
幸いに、この季節になると野草もあまり生えてこないのです。

これほど自宅に居る日が多かったのは、節子を見送ってからの1年以来かもしれません。
あの頃は、友人たちが何かと私を引き出してくれましたが、最近はそれもあまりありません。
しかし、考えてみれば、これが歳相応ということなのかもしれません。

今日は午後から在宅していましたが、適度な陽当たりの気持ちの良い午後でした。
陽だまりの中でお茶を飲みながら無為に過ごす。
それこそが、人生の最高の行き着き先かもしれません。
事実、私はそれを望んでいました。
しかし、それをひとりで演ずることは、いかにも退屈なのです。
一人で無為を楽しむ境地には、まだ辿りつけていないようです。

しかし、平和な午後でした。
人生とは実にうまくできていて、素直に生きていると、自然と幕が下りていくのかもしれません。

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■柳田國男の願い

日本で普通選挙法が成立したのは1925年です。
当時、朝日新聞の論説委員の一人が、「遠野物語」で有名な柳田國男です。
柳田國男は民俗学で有名ですが、彼は「経世済民の学」でした。
これに関しては、藤井隆至さんの「柳田國男 経世済民の学」(名古屋大学出版会)という素晴らしい著作があります。
今回の選挙で、それを思い出しました。

同書によれば、柳田は、「生活苦」を救うのは政治であり、よい政治のためには国民がよい学問を身につけて選挙に臨むことが必要であると考えていたようです。
柳田はまた、普通選挙が必ず金権政治、利権政治に向かうとも考えていました。
だからこそ、若者の教育が大事だと考えたわけです。
柳田は、そうした政治の腐敗を避けるためには、「民衆もまた大いに覚るところがなければならぬ」とし、「自主的な判断力、政治的な判断力をもつ有権者をつくりあげていくという方法」を考えなければいけないと考えました。
彼はこう書いています。

「宣伝の巧拙によって左右せられず、標語の外形実に誘惑せられることなく、まったく一人の独立した判別をもって、進まんと欲する途を選ぶべきは無論であるが、さらにそれ以上に大切なることは、いわゆる己の欲せざるところをもって、これを人に施さざるの用意である。」

「それ以上に大切なること」とは、「社会全体の大局的な観点、換言すれば「国民総体の幸福」という観点で候補者を選ぶことを指す」と藤井さんは解説しています。
ちなみに、「国民総体の幸福」というのは、経世済民の学徒である柳田の目標です。

柳田はまた、国民の政治参加といっても、それは選挙のときだけの政治参加にすぎないことも指摘しています。
だからこそ、選挙は大事なのです。

柳田は、「個々の政治問題を「国民総体の幸福」という観点から自主的に判断できる国民を創出していくことを強く願わないではいられなかった」と藤井さんは書いています。
柳田の願いはかなえられているでしょうか。
それが今度の選挙で少し見えてくるような気がします。

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■未来を決める選挙が始まりました

衆院選が公示されました。
安倍政権が評価されるというよりも、私たち国民が試される選挙だと思います。
マスコミでは相変わらず経済問題が中心に語られているせいか、街頭での調査による生活者の関心も経済問題や社会保障が関心の上位にあげられる報道が多いですが、今回の選挙は、安倍政権の方向でいいのかどうかを考える選挙だろうと思います。
もし自民党が勝てば、さらに「この道」をまっしぐらに進むことになるでしょう。
その先に何があるかは明確のような気がします。

選挙への関心が低いのもとても悲しい気がします。
「大義なき選挙」キャンペーンが、大政翼賛会よろしく、野党や政治評論家も含めて、展開されましたが、その効果が功を奏したのでしょう。
投票率が低いことは、いうまでもなく、現政権を承認したということです。
その認識さえあまりないのが恐ろしいです。
ニーメラーの教訓を思い出さねばいけません。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2005/02/post_1.html

投票したい候補者がいないという声もよく聞きます。
私もそう思うことが少なくありません。
しかし、当選させたくない候補者は明らかです。
選挙は、代表を選ぶことですが、そこには「代表になってほしくない人」を当選させないということも含まれています。
そうした視点で考えると、投票する相手が見えてくるかもしれません。

いずれにしろ、今回の選挙は、私たちの未来を決める選挙だという認識を多くの人に持ってほしいと思っています。
まわりの人たちに、この選挙の意義を訴え、投票に行くように勧めています。

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2014/12/01

■節子への挽歌2647:思い出してくれるだけでうれしい

節子
節子の友人の野路さんと久しぶりにお話ができました。
ご主人に電話したら、うれしそうに、ちょっと待って下さいと言われ、代わって電話口に出てきたのが野路さんでした。
階段から落ちたことがきっかけで記憶を失い、身体にも障害が出てしまい、私との電話にもこれまで出られなかったのですが、少しずつ記憶が戻り、話もできるようになったのだそうです。
「我孫子の佐藤さん」というと、思い出すのだそうです。
でももしかしたら、電話口には節子がいると思ったかもしれません。
しかし、口調はお元気そうでした。
実にうれしい話です。
節子が元気だったら、野路さんももっと早く回復したかもしれません。

ご主人は毎日野路さんのリハビリなどを含めてケアしているそうです。
笑いながら、記憶が戻ってくるにつれて自我が出てきて、わがままになってくるので疲れますと言いました。
そして、それに続いて、でも「元気でいるだけでうれしいです」と付け加えました。
それが夫婦でしょう。
何やらとてもうらやましい思いがしましたが、私自身もうれしくなりました。
こうやって節子の友人たちが節子を思い出してくれるだけでうれしいものなのです。
節子にとっては、野路さんは闘病に際しての目標だったのです。
野路さんは、病気の先輩だったのです。
辛い手術の時も、節子は野路さんのことを思いながら頑張ったはずです。

節子と野路さんとは、ほかにも福岡や岡山に住んでいる2人の仲良しがいて、わが家にも来てくれたことがあります。
節子がいなくなってからも、みんなで来てくれました。
家族づきあいをしていた頃、私はあまり付き合いの良いほうではありませんでした。
それもまた悔やまれる思い出です。

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■多様性という言葉

「異なっていることこそ正常」その4は前回出てきた「多様性」です。
このシリーズの発端の松永さんの講演会で、たまたま隣にお座りになった人が、講演の後、意見を述べられました。
非常に寛容な、そして人間を信頼する感動的な発言でした。
その方は、トリソミーの子どもを授かった父親です。
なによりも感動したのは、今もその子どもとともに、「静かに暮らせている」と話し出したことです。
このブログにも書きましたが、先日、まさにその静かな生活「Still life」(邦題「おみおくりの作法」)という映画を観たのですが、これも何かの縁を感じます。

その方は、2つのことをお話になりました。
一つは出生前診断が広がることには反対ではない。問題はそうしたことをしっかりと受け止めて判断することができるかどうかという、人間側の問題だというのです。
そこに、人間という者に対するゆるぎない信頼を感じました。
そして、自らが「静かに暮らせている」ということの自信と喜びも。
信頼と自信から、「寛容さ」が生まれてくるのでしょうか。

2点目は、「多様性」に関してです。
「多様性」が大切だということが盛んに叫ばれている風潮への違和感が述べられたような気がします。
たぶん、「多様性のためではなく、違うものが存在すること、そのことこそに意味がある」というような発言だった気がします。
実はその時、私はいささか心身が震えていて、正確な発言が思い出せないのですが、ともかくその言葉に感動して、その後、その人に話しかけてしまったのです。
声がうまく出ない自分に驚いたのですが。

翌日、その方からメールが来ました。

なかなか理解力がなくて、「多様性」の本質をどこまでわかっているのかはなはだ疑問ではあるのですが、どんな人間であれ、一人一人が穏やかに生活していくためになにか「論理」が必要だというのは、その「論理」がなければ「優生思想」に傾く恐れがあるためだとは思います。
しかし、「論理」に頼れば、他の「論理」の攻撃に晒される危険もあるという直観のようなものがあります。
シンプルに「みんな、支えあって、穏やかに」という人の温かい心が広まっていくことが大切なのではと感じております。
心から共感します。
「みんな、支えあって、穏やかに」という人の温かい心が広まっていくこと。
私が理想とする社会のありようです。

そして、「論理」に頼れば、他の「論理」の攻撃に晒される危険もあるという指摘には、はっとさせられました。
私も、どこかで「論理」を求める心性があります。
もしかしたら、そこにこそ問題があるのかもしれないと気づかされました。
人は言葉を得たことが、最大の間違いだったかもしれないとさえ思い至りました。

多様性という流行語が、社会を均質化されかねない危惧に関しては、その3で少し言及しましたが、流行語には気をつけないといけません。

存在するものは、すべてそれぞれに違うのです。
ただ素直に、その事実を受け入れればいいだけの話かもしれません。
海部町の住民たちが思っているように、気持ちよく暮らしていくためには、「いろんな人がいたほうがよい」のですから。
そして、現実にいろんな人がいるのですから、無理にそろえることも合わせることもないのです。
まさに、「異なっていることこそ正常」なのです。

最初の話に戻ったのでこのシリーズはこれでおしまいです。

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