■節子への挽歌2660:たくさんの人に会う夢を見ました
節子
最近よく夢を見ます。
残念ながら節子の夢ではありません。
いずれも、いろんな人たちに会う夢です。
時々、雰囲気的に節子が出てくるような気もしますが、姿かたちは出てきません。
最近、あまり人に会っていません。
そのせいかもしれませんが、ともかくいろんな人に会う夢が多いのです。
今朝、目が覚める前に2つの夢を見ました。
最初に見た夢は、懐かしい人がなぜかたくさん集まっている夢です。
いまもはっきりと顔を思いだす人もいますが、さほど親しかったわけではない友人知人です。
なぜかその人たちと、最初にどこで出会ったんだっけ、という会話をしていました。
その過程で、夢に出てきていない人の名前まで私が口にしたのが記憶に残っています。
その後、うとうとしてしまい、また夢をみました。
今度は全く知らない人ばかりでした。
しかしなぜかとてもリアリティのある集まりです。
なぜかみんな私のところに来て、名刺をくれます。
ただし、きちんとした名刺ではなく、紙切れにパソコンで印刷した名刺です。
一挙に10数枚の名刺をもらったので、名前は覚えていませんが、いずれも特徴のある人です。
なかには本名と違う名前になっていますが、と断って名刺をくれた人もいます。
私が気になっていて、まったく取り組めていない問題を体現した人もいました。
最近は、夢を見ても、目が覚めるとほとんど忘れてしまい、夢を見たという余韻が残っているだけですが、今朝のはふたつともかなりリアルでした。
なぜでしょうか。
挽歌の読者から、「佐藤さん、とても寂しい気持ちなのだという気がします」とメールが来ました。
たぶん最近の私の挽歌には、そうした気分が現れているのでしょう。
確かに、最近、無性にさびしい気がします。
節子がいないからというよりも、時代がだんだん遠のいていくという気がするのです。
歳をとるということは、そういうことなのかもしれません。
次第に人嫌いになりながら、一方では人に会いたくなっているのです。
世間も嫌いになってきていますが、未練もまた高まっています。
こんな社会でいいのか、と。
私の価値観とみんなの価値観が、どんどん離れていく。
どちらが動いているのか、最近はよくわからなくなってきました。
選挙の結果で、もしかしたらわかるかもしれません。
社会に未練がなくなるような、不幸な結果にはなってほしくはないのですが。
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