■節子への挽歌2648:陽だまりの中の無為
節子
体調の関係もあって、この1か月はあまり人には会いませんでした。
正確に言えば、人と会わない日が多かったということです。
いささか人嫌いになってきているからです。
土との触れ合いも少なかったです。
天候のせいもありますが、畑に行く気が起きませんでした。
幸いに、この季節になると野草もあまり生えてこないのです。
これほど自宅に居る日が多かったのは、節子を見送ってからの1年以来かもしれません。
あの頃は、友人たちが何かと私を引き出してくれましたが、最近はそれもあまりありません。
しかし、考えてみれば、これが歳相応ということなのかもしれません。
今日は午後から在宅していましたが、適度な陽当たりの気持ちの良い午後でした。
陽だまりの中でお茶を飲みながら無為に過ごす。
それこそが、人生の最高の行き着き先かもしれません。
事実、私はそれを望んでいました。
しかし、それをひとりで演ずることは、いかにも退屈なのです。
一人で無為を楽しむ境地には、まだ辿りつけていないようです。
しかし、平和な午後でした。
人生とは実にうまくできていて、素直に生きていると、自然と幕が下りていくのかもしれません。
| 固定リンク
「妻への挽歌14」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌2800:不安や怒りのはけ口のような存在(2015.05.23)
- ■節子への挽歌2799:支えてくれる人が無性にほしくなりました(2015.05.22)
- ■節子への挽歌2798:来客の合間(2015.05.21)
- ■節子への挽歌2797:ひがみ根性を捨てなければいけません(2015.05.20)
コメント