■節子への挽歌2667:あっという間の1年
節子
昨日、寒い中をコートも着ずに外出していたら、やはり風気味になってしまいました。
今日は家を出ずに自宅で休んでいたのですが、これまたいろいろとややこしい電話などもあり、落ち着かない1日でした。
さらに悪いことに、いろんなことがうまくいかない日でもありました。
節子に報告できることといえば、花かご会の山田さんが例年のカレンダーを持ってきてくれたことです。
12月に入って、2回ほど我孫子駅前の花壇で作業している花かご会をお見かけしましたが、今はとてもきれいになっています。
今年はついに差し入れをする機会がありませんでした。
カレンダーと言えば、ポラスの小久保さんもまたカレンダーを持ってきてくれました。
いまのこの家を建てる時にお世話になったのが小久保さんですが、節子がいれば、付き合い方もまた変わったのでしょうが、いまはもうカレンダーを持ってきてくれる時に話すだけになってしまいました。
節子はカレンダーが好きでした。
どの部屋にもカレンダーをはりたがっていました。
節子がいなくなってからは、その文化は消え、わが家にはほとんどカレンダーはなくなりました。
花かご会の手づくりカレンダーは、毎年、節子の仏壇に置かれています。
今年も余すところ、もう10日ほどです。
友人が、あっという間の1年でしたと、今日メールをくれましたが、本当にあっという間でした。
人生の最後に思うことも、そんなことでしょうか。
あっという間の一生だった、と。
節子は、あの時、そう思っていたでしょうか。
たぶんそうではないでしょう。
1年はあっという間だったとしても、一生は決してそうではないでしょう。
1年と一生とは、どこが違うのか。
もしかしたら、節子がいないために「あっという間」感があるのでしょうか。
だとしたら、私のこれからの人生は、たぶん、あっという間に過ぎるでしょう。
でもまぁ、その前の40年間の人生があるので、最後に息を引き取る時には、「いろいろとあったな」という思いになるかもしれません。
さてどちらでしょうか。
そう思うと、人生最後もまた、楽しみです。
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コメント
お久し振りです。
前回コメントさせて頂いた頃から
ズンズンと心が闇に吸い込まれるように落ち込んでしまいました。
私の場合まだ妻が逝ってからは四年ほどですが
毎年、いや毎日のように悔しさが大きくなって行くのを感じております。
言葉では三年経ったとか四年経ったと言ってはおりますが、ほんとうはつい昨日のような気がします
私の勝手な思いなのですが、佐藤様も奥様を愛し過ぎられたように感じられ
「あ~よく似てるな~」と挽歌を拝見するたびに思っております。
この思いを素直に妻に伝えればよかったのですが
結局は言葉には出来ずに昭和のオヤジを演じ続けた不器用な夫でした。
この三カ月ほどはエクセル画も暗い絵ばかりになってしまいブログも閉鎖し
一旦はアップしていた記事(画)も削除しておりましたが、二週間まえから養護学校から要請があり
生徒さん達へエクセル画を教える機会ができました。
三学期も続けて以来して頂けるようで、嬉しく思っております。
そのお蔭さまで生徒さんのリクエストにて、マンガチックな明るい画も描くことが出来るように
なり、大変ありがたく感謝をしております。
また、養護学校に通われておられる生徒さんの、清純無垢な人柄に触れることが出来たことは
おそらく妻の仕業ではないかと思ったりしております。
不覚にも帰りの車の中で、清純な妻との出逢いを思いだし、涙のようなものを流してしまいました。
長くなりました。申し訳ありません
投稿: 鳥取太郎 | 2014/12/20 10:30
鳥取太郎さん ホッとしました。
気になっていたのですが、自分の体験から、そういう時もあると思いながら、でもちょっと長いなと思っていた矢先でした。
私もいまも、年に1回ほどは気力とか生きる意欲とかがダウンします。
その時は、まあそれに抗わずに最低限のこと、私の場合は挽歌書きですが、それだけをしています。
それでも1週間ほどかけないこともあります。
まあ無理をすることもありませんので、ただただ暗く過ごします。
まあ外には結構、見栄を張って元気を装おいがちですが。
太郎さん
来年には会えますかね。
投稿: 佐藤修 | 2014/12/20 21:39