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2014/12/09

■マーケティング型選挙から抜け出よう

アメリカの都市社会学者リチャード・セネットは、その著「不安な経済/漂流する個人」の中でこう書いています。

人々はウォルマートで買い物するように、政治家を選択してはいないか。
すなわち、政治組織の中枢が支配を独占し、ローカルな中間的政党政治が失われてはいないか。
そして、政治世界の消費者が陳列棚の名の知れたブランドにとびつくとすれば、政治指導者の政治運動も石鹸の販売宣伝と変わりないのではないか。
もし、そうであれば、政治の核心はマーケティングにあることにもなりうるが、これは我々の政治的生活にとって歓迎すべきこととはいえまい。
いまや政治の世界もまた、「経済の論理」「経営の論理」で覆われているのかもしれません。
この指摘のポイントは、「政治組織の中枢が支配を独占し、ローカルな中間的政党政治が失われている」ということだろうと思いますが(前に書いた柳田國男の指摘もそうだと思います)、「政治の核心はマーケティング」という点を、選挙の際には痛感します。
小渕優子さんは、まさに「ブランディング」されてきたわけで、父親の思いとは違って「政治家の見識」を育てられてきたわけではないことが、先の大臣辞職事件で明らかになりました。
彼女もまた、有名石鹸のひとつとして物語化されてきたわけです。
政治は、そうやって「人」を消費するようになってきました。
まさに「政治の変質」です。

どれを選んでいいかわからないというほど、商品の数が増えてくると、消費者は自分で選ぶことを放棄していきます。
どれほどの人が、自分の判断力と意思で購買活動をしているでしょうか。
たぶん意識していなくとも、私たちがどの商品を購入するかは操作されている面が今やとても大きくなっているように思います。
それにいまはどれを選ぼうと、さほどの違いはありません。
そして、その違いさえもが「マーケティング」手法で創られていることも多いのです。

こうした商品選択と同じことが、選挙でも展開されている時代になってきました。
まずは「経済」で慣らされた私たちは、政治にも同じ姿勢で対応し始めた。
自分でエネルギーを割いて選ぶよりも、与えられたとおりに、しかし自分で選んだ気分を持ちながら、選ぶことの方が楽ですから、ほとんどの人はそうしていくでしょう。
そして、その結果が悪ければ、選んだ相手を批判すればいいのです。

しかし、残念ながら、商品と違って、政治の世界では誰かがリコールを起こしてくれることはありません。
結局は自分たちで変えていかなければいけないのです。
商品選択の場合は、流行やマーケティングに流されてもさほど深刻な結果にはなりませんが、政治はそうではありません。
国家が危うくなれば、生活もまた危うくなります。
いや、生活が危うくなれば、国家が危うくなるというべきでしょうか。
経世済民の政治に向けて、しっかりとした眼で投票すべき人を選びたいものです。

14日の投票日にもしかしたら行けなくなる人は、ぜひ事前投票に行ってほしいです。
私も何が起こるかわからないので、今回は事前投票に行く予定です。

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