■節子への挽歌2670:「すまんが先にいく」
節子
今年は久しぶりに、NHKの大河ドラマを観ていました。
その「後藤官兵衛」は、昨日が最終回でした。
ちょっとうらやましいセリフがありました。
妻子や仲間に看取られて息を引き取る場面で、官兵衛がこう言うのです。
「すまんが先にいく」
私もこんなセリフがいいたかったです。
私はまだ生きていますので、このセリフが言えないわけではありません。
しかし、妻もなく、仲間と一緒に活動していない立場では、「すまんが」と言う相手がいません。
むしろ先に行くことが当然のような状況にいますので、言えるのは「順番通りいく」という言葉でしょうか。
こんなセリフでは、言わないほうがいいでしょう。
思い出すのは、節子が「先にいくこと」を家族に詫びていたことです。
特に私には何回も繰り返していました。
官兵衛は、後を安心して託せる状況で逝きました。
残念ながら、節子は安心はしていなかったでしょう。
そして、案の定、その後はいろいろと大変でした。
いまも、そうですが。
そんなことを思いながら、官兵衛のセリフを聞いていました。
今年ももう残り少なくなりました。
せわしなさの中に、生活の節目を感ずる年末は、私は子供のころから大好きでしたが、節子がいなくなってからの年末は平板になってしまいました。
生活を共にしていた人が、先に逝ってしまうと、やはりリズムが狂います。
順番はやはり守られなければいけません。
考えても仕方がない、そんなことを改めて思っています。
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コメント
佐藤様 こんにちわ
来年のことを言うと鬼が笑うかもしれませんが、来年こそはお会いできることになればと
心に念じております。
私は「思い立ったら吉日」というような生き方をしており、身勝手そのものの人間なのかもしれません
私の心は佐藤様に近づいているように感じており、自分では人生の自然流などと思っています。(^_^.)
この記事で佐藤様がおっしゃるとおり、逝く順番が入れ替わってしまうと
その後の人生はハチャメチャになってしまいます。
どう考えても納得がいく答えは出てきませんね
そろそろ新年が来て大半の皆さんは、新しい目標に向かわれるのですが、私の新年は家内の命日ということになっております。
当然、クリスマスも素通りでお正月も仕事があり、出勤することになります。
これほど有り難いことはありません。
それもこれも、家内のお蔭さんだと感謝しております。
ですので、新年のご挨拶も致しませんが、どうかご承知おきくださることを願っております。
若い方の自殺についてお書きになっておりますが、ほんとうに残念なことです
死ななくてもいい若い方を含め、年間3万人もの命が自らの手で失われることなど
先進国で起こることなのでしょうか?
実際私も「いつ死んでも構わない」と心のどこかにあるのですが、まだ守るべきものがありそうで
なかなか今すぐにとは考え難いことです。
子供たちにとっては邪魔者なのでしょうが、こちらからはまだ頼ってくれることがあるのではと
勘違いのようなことを考えたりしてしまいます。
それではまたメールでもさせて頂きます。
投稿: 鳥取太郎 | 2014/12/25 14:47