■「苦界浄土」を読みなおそうと思います
年末になって、少し思うところがあって、石牟礼道子さんの本を読むことにしました。
私が最初に石牟礼さんの「苦界浄土」を読んだのは1972年でした。
十分に受け止めることができなかった気がしますが、その本を読んだ後、水俣病のことを知りたくなり、かなりの本を読んだ記憶があります。
しかし、どちらかといえば、知識ベースの読み方でした。
「苦界浄土」は正直、私には難解な本でしたが、どこか心の真底に響く本でした。
石牟礼さんの、「苦界浄土」の続編も読みましたが、ますます歯が立たないものになっていました。
それはたぶん私自身がまだ論理の世界にいたからでしょう。
最後に読んだのは、もう30年程前です。
考えてみると、会社を辞めてからは、石牟礼さんの本を読んだことがありませんでした。
しかし、その間、水俣と無縁だったわけではありません。
水俣を訪れて市長に会い、吉井さんには山形で開催したイベントに来てもらうお願いをしました。
名物職員の吉本さんには水俣を丁寧に案内してもらい、ご自宅にまで泊めてもらいました。
語り部だった杉本栄子さんにもお会いし、杉本さんのとびきりおいしいシラスも味わせてもらいました。
原田さんの水俣学も学ばせてもらいました。
新潟水俣病に関わっている塚田さんにお会いし、水俣病問題へのお思いを聴かせてもらいました。
意図したわけではなく、気づいてみたら、水俣問題にも少しですが、触れさせてもらっていたのです。
それで、もしかしたら、いまなら「苦界浄土」のメッセージが受け止められるかもしれない。そう思ったのです。
石牟礼さんは、彼岸と現世、心身と魂の世界を往来している人のように感じます。
私にはまだ遠い人ですが、私も最近、そうした生き方がわかるような気がしてきています。
自殺や認知症に、「心ならずも」虜にされているのは、そのためかもしれません。
昔読んだ「苦界浄土」を書庫から探し出して机の上に置きました。
文庫本ですが、まだ読みだせてはいませんが、年が明けたら読みだそうと思います。
その前に読む本(もちろん水俣病関連ですが)も何冊かありますし、見直すべきテレビ番組もあります。
めげなければいいのですが。
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