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2014/12/14

■節子への挽歌2662:八田さんの思い出

節子
友人からのお勧めで、いま、台湾に関する本を何冊か読んでいます。
その1冊は、司馬遼太郎の「台湾紀行」です。
司馬さんの「街道をゆく」シリーズ40です。
そこに、土木技師の八田與一の名前が出てきます。
台湾が日本領だった時代に、台湾で大規模な水利工事を成功させ、台湾を豊かにするうえで大きな功績を残した人です。
いまも銅像が残っているそうです。

八田與一は、富山県の金沢で明治19年に生まれました。
夫人は外代樹(とよき)といい、同じく金沢生まれだそうです。
大活躍した八田夫妻の生涯は、しかしとても悲しい最後で幕を閉じます。
太平洋戦争が始まって間もなくの1942年、八田與一は陸軍に徴用されてフィリピンに向かう途中、乗っていた船がアメリカの潜水艦に撃沈されてしまうのです。
享年56歳でした。
妻の外代樹は、その3年後、夫が尽力して建設された烏山頭ダムに身を投ずるのです。

読んでいて、急に金沢の八田夫妻のことを思い出しました。
私たちがエジプトに旅行に行った時に、メンバーの中にいたのが八田さんご夫妻でした。
とても気が合い、帰国後の付き合いが始まりました。
八田拡さんは、たしか金沢市の教育関係のお仕事をされていたと記憶していますが、お会いした時にはすでに定年で辞めていたようでした。

一度、節子と一緒に金沢に行ったことがあります。
その時に、八田さん自らが金沢の古い街並みを案内してくださいました。
遺されていた旧家にも、そこを管理している人ともおなじみだったようで、家の中まで丁寧に案内してくれました。
奥様もわざわざ出てきてくれて、ご一緒の食事をさせてもらいました。
宿泊も、たしか、八田さんのお薦めのところだったような気がします。
とてもおしゃれな、金沢らしい民宿でした。

その八田さんご夫妻も、もうお亡くなりになっていますが、なぜか八田さんから送られてきた広辞林がわが家にあります。
なぜ広辞林を贈ってくださったのか思い出せませんが、いまもなお、かくしゃくとした個性的な話しぶりは覚えています。

台湾紀行を読んでいて、八田さんという名前で八田さんのことを思い出したのは、司馬さんが取り上げている日本人とどこかでイメージがつながっているからです。
もしかしたら、八田與一と八田拡さんはつながっているかもしれないとネットで探してみましたが、見つかりませんでした。

八田ご夫妻は、わが家では一時、よく話題になっていました。
私たちは旅でご一緒した人とのつながりを大事にしていたのです。
しかし、節子がなくなってからは、そうしたつながりも消えてしまってきました。
私たちより年上の方が多かったので、今頃は彼岸で節子は交流を楽しんでいるかもしれません。

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