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2014/12/01

■節子への挽歌2647:思い出してくれるだけでうれしい

節子
節子の友人の野路さんと久しぶりにお話ができました。
ご主人に電話したら、うれしそうに、ちょっと待って下さいと言われ、代わって電話口に出てきたのが野路さんでした。
階段から落ちたことがきっかけで記憶を失い、身体にも障害が出てしまい、私との電話にもこれまで出られなかったのですが、少しずつ記憶が戻り、話もできるようになったのだそうです。
「我孫子の佐藤さん」というと、思い出すのだそうです。
でももしかしたら、電話口には節子がいると思ったかもしれません。
しかし、口調はお元気そうでした。
実にうれしい話です。
節子が元気だったら、野路さんももっと早く回復したかもしれません。

ご主人は毎日野路さんのリハビリなどを含めてケアしているそうです。
笑いながら、記憶が戻ってくるにつれて自我が出てきて、わがままになってくるので疲れますと言いました。
そして、それに続いて、でも「元気でいるだけでうれしいです」と付け加えました。
それが夫婦でしょう。
何やらとてもうらやましい思いがしましたが、私自身もうれしくなりました。
こうやって節子の友人たちが節子を思い出してくれるだけでうれしいものなのです。
節子にとっては、野路さんは闘病に際しての目標だったのです。
野路さんは、病気の先輩だったのです。
辛い手術の時も、節子は野路さんのことを思いながら頑張ったはずです。

節子と野路さんとは、ほかにも福岡や岡山に住んでいる2人の仲良しがいて、わが家にも来てくれたことがあります。
節子がいなくなってからも、みんなで来てくれました。
家族づきあいをしていた頃、私はあまり付き合いの良いほうではありませんでした。
それもまた悔やまれる思い出です。

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