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2014/12/30

■節子への挽歌2678:同じ目線での生活

節子
同じ目線で生きることの意味を、最近改めて感じています。
水俣病事件に誠実に取り組まれ、水俣学を提唱された原田正純さんは、晩年、奥様と一緒に行動されていたそうです。
「苦界浄土」の著者の石牟礼道子さんは、そのエッセイで、原田さんの奥さんの言葉を書いています

「結婚して以来、こんなに一緒にいる時はございませんでした。もうあとのなか命ですもんね。一緒にいなきやと二人で言い合っています。とっても幸福です。原田が世間に出て、なにをしているのかだんだんわかってまいりましてね。私も協力しなきやと思うようになりましたの。とても楽しくて、こんな幸福なことはありません。」
同じ目線での生活が、夫婦の関係性を確かなものにしていくのでしょう。
私は、一緒に暮らすようになった時に、このことを節子に話した気がします。
私たちは、いつも一緒に考え行動することを心がけていました。
隠し事はなく、意見は言い合うために口喧嘩はよく起こりました。
しかし、会社に勤めていた頃は、目線の違いが少しずつ広がっていたような気がします。
それが破綻まで行きそうな時もなかったわけではありません。
私が、もし会社生活を続けていたら、節子との関係もいまとはかなり違ったものになっていたかもしれません。
私が会社を辞めてからは、その溝はなくなり、目線もそろって来ていたと思います。
夫婦と親子との違いはここにあるような気がします。
親子は、決して同じ目線には立てないからです。

これはなにも夫婦に限ったことではありません。
「同じ目線」というのは、社会活動をする時にはとても大切なことです。
社会活動に取り組んでいる人と会っていて、時に私が拒否感を持ってしまうのは、この「目線」がためです。
社会のため、困っている人のため、などという言葉が出てくると、頭のどこかがプツンと切れてしまうのです。

節子の胃がんが発見されてから、私は基本的に仕事をやめ、再発して以来は、ほとんど自宅で過ごしました。
病院もいつも一緒でした。
節子が一時期、回復した時には、遠出はできませんでしたが、日帰り旅行もよくしました。
その4年半、私たちの目線はほぼそろっていたと思います。
その時に、節子が幸せだったかどうか、確信は持てませんが、私たちが一緒にいた時間は多かったことは間違いありません。

そして節子が逝ってしまった後は、さらに私たちはいつも2人一緒にいる感覚です。
しかし、「幸福か?」と言われると、「幸福だ」とは言いかねます。
挽歌を書くよりも、節子との語らいのほうが、楽しいだろうからです。
語らう伴侶がいないことは、さびしいものです。
特に寒い冬には、そう感じます。

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