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2014/12/08

■国益と公益と私益

選挙に向けての発言で、「国益に沿った」という発言がよく出てきます。
たとえば、TPPは「国益に沿うように進めていく」、というようにです。
この「国益」とはなんでしょうか。
そこには、時に全く相反する2つの意味が込められています。
たとえば、国民の視点と国家の視点です。
これは、何も「国益」に限った話で社ありません。
「社会のため」「会社のため」というような言葉にも当てはまります。
国益と似た使われ方をする言葉に「公益」という言葉もあります。
「国益」「公益」「私益」。
その関係はどうなっているのでしょうか。

アダム・スミスを代表とする古典派経済学では、「私益」の追求が「見えざる手」によって「公益」につながるとされます。
そこには、しかるべき「社会の仕組み」が前提にされています。
正確に言えば、社会の構成員の私益を公益につなげていくような、「社会」あるいは「市場」を築いていくべきだということでしょう。
どんな社会でも、私益が公益につながるわけではありません。

日本の経世済民の学徒、柳田國男は「私益を総計しても公益にはならない」と明言しています。
彼は、「国民総体の幸福」が「公益」だとし、「公益」が「国益」だと考えます。
私は、そうした考えに共感できます。
しかし、国家の利益(国益)が国民の利益(公益)とは別個に存在するという発想は、柳田にはなかったと評伝を書いた藤井隆至さんは書いています。
それは、柳田が生きた時代の国家と国民の関係を反映しています。
いまの時代状況とはまったく違います。

「国益」「公益」「私益」の関係は、時代によっても、テーマによっても、違ってくるでしょう。
しかし、「国益」のために「公益」や「私益」が犠牲にされることがあることは間違いありません。
最悪の場合は、それらがゼロサム関係に陥ることさえあるのです。
最近の日本状況は、かなりそうした方向になっているように思います。
国益と公益と私益は、つながるどころか、むしろ相互に奪い合う構図が感じられます。

「国益に沿った」という甘い言葉に騙されてはいけません。
国益とはなんなのか。
「国益」と「公益」と「私益」は、同関連しているのかをしっかりと具体的に捉えていくことが大切です。

選挙に向けての話を聞いていると、まさに本音が垣間見えてきます。
「言葉」ではなく「結果」を見通すようにしなければいけません。
そのためには、私たちはもっと学ばなければいけません。
国民が、学ばなくなれば、国は亡ぶしかないでしょう。

投票日はもうすぐです。
投票率が高くなることを祈っています。

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