■戦争経済への傾斜への不安
今回の衆議院選挙で、日本の国民は「平和」を捨てる決断をしました。
憲法9条は、戦争ができる国家へと変更され、この数十年、死刑を別とすれば、国家の承認を得て人を殺すことのなかった日本人の生き方は変わっていく可能性が出てきました。
平和で国を守ろうとはせずに、暴力で国を守ろうとする、歴史とは逆行する道を選んだといえるかもしれません。
国民の思考を変えていく教育への道も着々と進められています。
もちろん政府に異論を唱える人は窮屈になっていくでしょう。
まさに80年前の日本に戻っていくような気がします。
余計なひと言を加えれば、そういう状況の中での「子育て支援」は、私には実に不気味に感じます。
かなり極端に書きましたが、おそらく現実はさらに極端に進むでしょう。
歴史の動きは、加速されるのが常だからです。
そのためのティッピングポイント(事態が急変する臨界点)は、今回の選挙で超えてしまったような気がします。
超えないまでも、この数十年とは違った方向へ、日本が向かいだすことは間違いありません。
世界は多様な存在によって構成されており、歴史には一進一退もまたつきものですから、いまのこの動きを非難するつもりはありません。
私の思いとは違った世界に向かいだしたというだけの話です。
平和で成長を感ずることのできた時代を過ごしてきた私にとっては残念ですが、戦いを好む人も少なくないでしょう。
私自身も、戦いこそ好みませんが、変化や不安定さを好む面があります。
人は非論理で不条理な存在です。
にもかかわらず、私が腹立たしいのは、戦争さえもが経済の道具にされていることです。
憲法9条を変えることの目的が、経済成長にあるような気がしてなりません。
昨日書いたように、経済成長は外部の存在からの富の調達です。
そのために、新たな外部をつくりだすために、憲法9条を変えるという発想が情ないのです。
経済のために国民を死(過労死、自殺、事故死)に追いやる社会も変えたいと思っていますが、経済のために他者を殺めるような国には絶対なってほしくありません。
日本人は、かつて「エコノミックアニマル」といわれました。
最近はそういう言葉は聞かれませんが、最近のアベノミクスブームをみていると、やはり日本人はエコノミックアニマルになってしまったのだと思わざるを得ません。
朝鮮戦争特需で敗戦の荒廃から立ち直った日本経済に埋め込まれてしまった思考なのかもしれません。
100年以上続いてきた、あの「美しい文化の国」は変質してしまったのでしょうか。
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