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2014/12/05

■政治から人間がいなくなった?

選挙の政見放送を見ていて、気づくことはたくさんあります。
今朝は共産党の、確か神奈川県の小選挙区の政見放送を見ていたのですが、個人がほとんど出てきません。
見事に主役が「個人」から「政党(組織)」に変わっています。
これは、たぶん小選挙区制度の影響でしょう。
小選挙区制度に関しては、私は以前からとんでもない制度だと思っていました。
それに関しては何回か書いてきていますが、改めて今回、そう思いました。

中選挙区制時代の選挙の主役は「人物」でした。
しかし、小選挙区制度になってから、選択の対象は「政党」になってきました。
それでもそれが、まだ「政策」であればいいのですが、国民投票ではそれが可能ですが、総選挙の場合は、さまざまな問題が包括されますから、実際には政策を選ぶなどということは不可能です。
ある問題は自民党、ある問題は民主党というように、問題によって支持できる政党は異なることが多いからです。
その結果、とんでもない人が当選することがあります。
当選するとは思ってもいなかったと、当選後、明言する人さえいるほどです。
いまの選挙制度では、人物が選ばれるのではなく、政党が選ばれます。
そして、強い党議拘束とお金によって、政治家は「やとわれ人」になってしまいかねません。
雇われ政治家が増えているように思います。
そこをしっかりと認識しておかないと、「投票したい人がいない」などということになるわけです。

全員を比例代表制にして、支持率に応じて政党(組織)が政治家を選ぶ時代がくるかもしれません。
政治から、人がいなくなるということですが。
最近の状況を見ていると、何かそんな恐ろしさを感じます。

私は、できるだけ人間に投票したいですし、政治家の人柄を大事にしています。
しかし、私にとっての魅力的な政治家は、みんなあまり人気がありませんし、どんどん排除されているような気がします。
それはたぶん、私自身が社会から脱落しているということでしょう。

今回は人でも政党でもなく、政府の暴走を止めるためのⅠ票を投じたいと思っています。
投票したい人がいないから、投票に行かないということは、安倍政権を支持するということですから、何が何でも投票には行かなくてはいけません。

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