■節子への挽歌2675:不運なトラブル
節子
昨日はさんざんな日になってしまいました。
来客や今年最後のサロンはとても面白く、よかったのですが、事件は帰りの電車で起こりました。
途中で座れたのですが、愛用のクラッチバッグを棚の上に置き、本を読んでいました。
思うことがあって、石牟礼道子さんの本です。
ついつい夢中になってしまったのですが、終点の下車駅である我孫子に着いて、棚の上を観たら、そこにあるべき私のクラッチバッグがないのです。
たまたまそこに駅員の人が回ってきたので、事情を話しました。
しかし、たしかバッグを置いた時に、似たようなバッグはありませんでしたから、取り違えられた可能性はありません。
だとしたら盗難しか考えられません。
もしそうだとしたら、よりによって私のバッグを選ぶとは盗んだ人も努力の甲斐がなかったでしょう。
私のバッグの中にあるのは、書籍とデジカメくらいのものなのです。
しかし、はっと気づきました。
今日、会った友人から、まだ公開できないので私どまりと言われて渡された1枚の資料が入っていることに気づいたのです。
デジカメはお金で買えるものですから、誰かが使ってもらえれば無駄にはなりません。
書籍も同じですが、その資料だけは回収しなければいけません。
それで駅の人に探してもらいましたが、やはりどの駅にも届いていません。
何やら気分が沈みこんでしまいました。
節子がいたら元気づけてくれるでしょうが、娘には、私の不用心さを注意され、日本も最近は注意しないといけないのだと諭されました。
私が基本的に悪い泥棒はいないと言い続けていることに娘たちは批判的なのです。
盗む人も悪いが、盗まれる人も悪いというのが、娘の論理なのです。
たしかにそうでしょう。
すきを与えて盗ませてしまったと考えれば、盗む人より盗まれる人の方が悪いということにもなります。
何やらしょんぼりして、節子に線香をあげていたら、電話がかかってきました。
三郷の警察からです。
いまここにバッグを持ってきてしまった人が来ているが、このバッグは佐藤さんのものかというのです。
手帳に私の電話番号が書かれていたのです。
なんで交番からの電話なのかと思いましたが、まあいろいろとあったようです。
それから3人の人と電話で何回か話す羽目になってしまいました。
遺失物でも盗難でもなく、担当が警察か駅かというような話になってしまったようです。
間違ってバッグを持ち去った人が、私に謝りたいというので、その人とも話しました。
内心、ちょっとだけむっとしましたが、まあ人には間違いはありますから、咎めるわけにもいきません。
しかし、ちょっと理解しにくい事件ではあります。
そんなわけで、今朝は埼玉県の三郷までバッグを引き取りに行ってきました。
無事、バッグは戻ってきたわけです。
今年は何かとトラブルの多い年でしたが、これが最後のトラブルだといいのですが。
そういえば、その帰りに、花かご会の山田さんに会いました。
花かご会の集まりのようでした。
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