■節子への挽歌2664:時代と人生
節子
我孫子では雪が降ってきました。
まだ目には見えませんが、外に出ていると感じる程度の雪ですが。
昨夜の電話によると、福井の敦賀では今、20㎝ほども積もっているそうです。
今年は雪が多い冬になるそうです。
選挙結果にめげていてはいけないので、気を入れなおして、生活することにしました。
それにしても、なんでみんな選挙結果でめげないのか不思議です。
私も節子も、ほんとうに「良い時代」に生を受けました。
両親にも娘たちにも、申し訳ないほど「良い時代」でした。
もっとも、両親も娘たちも、そうは思っていないかもしれません。
自分たちこそ「良い時代」に生まれたと思っているかもしれません。
たしかにそれも一理あります。
人は自分が生きる時代の中でこそ、自分を捉えられます。
人生は時代とともにあるからです。
私の実感で言えば、節子がいた時といなくなってからでは、社会の風景や時代の雰囲気が一変しました。
平たく言えば、節子がいなくなって、世界は変わったのです。
時代はまた、自らの人生とともにあるのでしょう。
雪の意味合いもまた変わってきています。
人はすべてのものを自らの人生とのかかわりの中で見ているからです。
例えば、節子がいたころの冬は、とてもあったかなイメージがありました。
こたつでみかんを食べながら談笑しているイメージです。
あるいは家族で鍋をつつきながら談笑しているイメージです。
しかし、いまは、ただただ寒いだけです。
雪もまた、冷たいだけです。
昔は雪が降るとうれしくて、会社を休んだことさえありました。
私は雪が大好きでしたから。
しかし、今日は雪を感じながら湯島に出かけます。
会社時代の先輩が久しぶりに会いたいと言って来てくれるからです。
もう20年近く会っていない人です。
仕事でご一緒したことはないのですが、なぜか昔の会社時代の人が最近声をかけてきます。
それが歳をとるということかもしれません。
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