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2015年1月

2015/01/31

■節子への挽歌2708:風邪をひくと死んでしまいかねない歳になったようです

節子
風邪をひいてしまったようです。
久しぶりと言えば久しぶりです。

今日は世界初の「箸ピー大会」が川口で開催されるので、私も参加させてもらう予定だったのですが、行けなくなってしまいました。
注意していたのですが、最近の疲労の蓄積と昨日の寒さでやられてしまったようです。
困ったものです。
昨夜は恒例のサロンだったのですが、常連の武田さんから、今日は寒いからサロンはやめた方がいい、お互いに風邪をひいたら死んじゃうかもしれない歳になっているんだから気をつけろと、昨日、余計なお世話の電話があったのですが、どうも余計なお世話ではなく、現実になってしまいました。
サロンは早く切り上げようと思っていたのですが、話が面白くて切り上げられませんでした。
たしかに駅から自宅までの間、寒かったですし、そのうえ、帰宅後、お風呂に入ってからついつい寒いところで、エアコンも入れずに、何とはなしにテレビを観てしまっていました。

今日はいい天気になりましたが、薬を飲んで、こたつに潜っている予定です。
風邪は今日で治らせないと、せっかく戻りそうになっている生活リズムがまた崩れてしまいかねませんので。

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■イスラム国にどう立ち向かうか

イスラム国による日本人拘束事件は硬直状況に陥ってしまっているようです。
この事件が起きた時に、メアリー・カルドーの「新戦争論」を読み直したのですが、改めてカルドーの指摘が心身に響いてきました。
もしカルドーのいう「コスモポリタン・アプローチ」を取り入れていたら、9.11以降の世界の歴史は変わっていたように思います。
また今回の事件に対する対応も、別の道があったはずです。
日本政府は、相変わらずアメリカ依存の対応に終始しています。

カルドーは同書でこう書いています。

(「新しい戦争」においては、)恐怖と憎悪を蔓延させる戦略に対抗して、人々の「感情と理性」を育むという戦略が取られなければならない。
排除の政治に対して、包容の政治が行われなければならない。
日本政府の対応はどうでしょうか。

ちなみに、カルドーの言う「コスモポリタン・アプローチ」は、「アイデンティティ・ポリティクス」と対比されていますが、決して、アイデンティティを否定しているものではありません。
カルドーの説明によれば、「地球規模で多様なアイデンティティが存在することを尊び、複数の相重なるアイデンティティを受け容れるとともに、むしろ肯定的なものと考え、そして同時に、全ての人間存在の平等と、人類の尊厳を尊重するため主体的に取り組む」ポリティクスです。

カルドーはまたこうも書いています。

コスモポリタン・アプローチは、紛争当事者の政治目標を受け容れてしまってはどのような解決策も機能しないことから、コスモポリタンな原則に沿って機能するような代替的な政治に基づいてのみ、正統性の回復が可能になるという前提に立っている。
「イスラム国」という呼び方の是非がようやく議論されだしていますが、問題は「言葉」ではなく、その実体をどう捉えるかでしょう。
そして大切なのは、「代替的な政治」というビジョンと理念に基づいた対応ではないかと思います。

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2015/01/30

■「祈り」よりも「自分の生き方の見直し」

昨日、イスラム国による日本人拘束事件も、先が見えてきたようでほっとしていると書きましたが、どうもそうでもないような感じに展開しています。
さらに事件の向こう側が見えてきて、ほっとするどころかやはりぞっとするべきかもしれません。
まだ私の推測は捨てきれずにいますが、いささか甘かったと反省もしています。

ところで、昨日の記事では「恫喝」よりも「祈り」だと書きました。
しかし、今日は「祈り」より「自己反省」だと言いたい気分が強まっています。
祈りを否定するつもりはありませんが、単に「祈る」だけではなく、こうした事件をひき起きしたことに対して、自らの生き方を一度問い直すべきだということです。

「I am Kenji」の運動が広がっています。
あるいは、後藤さんを支援するサイトもいろいろとできてきています。
私の友人も立ち上げていますし、私も一つだけあるサイトにサインしました。
しかし、やはりどこか違和感があって、心が動きません。
「I am Kenji」のカードをもった写真を何回も見ているうちに、その違和感はますます高まっています。
ましてや「私はシャルリー」の呼びかけの写真とつなげて考えると、むしろ否定的にさえなります。
少なくとも「私はシャルリーではない」の方が、私にはぴったりくるからです。
ジョージ・クルニーでさえ始めたというニュースには驚きました。
これを機に、私はクルーニーファンであることをやめました。
事の発端の一つは、シャルリーの恥ずべき行為だったと私は思っているからです。
すべての物語には始まりがあるのです。

日本の「I am Kenji」運動は西前さんの純粋な思いからスタートしているようです。
西前さんの純粋な思いには微塵の疑いもありません。
その言葉には心から共感できます。
しかし、その運動に参加している有名人の写真を見ているうちに、どうも違和感が出てきてしまうのです。
あなたたちの活動がイスラム国を生み出したのではないかとさえ思ってしますのです。
いや、イスラムの一部の人たちが、自爆テロまでして抗議している今の世界を作ってきたのは、有名人だけではありません。
私たちの生き方が、それを支えてきたのです。
そうであれば、私にも責任はある。
世界を変える出発点は、いつも自分にあります。
祈りは、そうした自己反省、自らの生き方の問い直し、そして生き方を変えていくことがあってこそ、力を持ちます。
祈りが意味を持つのは、祈る人自身の誠実さです。
誠実さは自らの生き方に裏付けられていなければいけません。

この事件を契機に、多くの人たちの生き方が変わっていけば、世界はいつか変わるでしょう。
しかし、祈る一方で、問題を相手に帰責しているようでは、イスラムの人たちや貧しい人たちをますます窮地に追い込んでいく世界になりかねません。
私は、祈りの中に、自らが生き方を変えられるようにという祈りも加えたいと思います。

たしかにイスラム国の取り組みには憤りを感じます。
しかし、彼らがなぜそういう行動をとるのか。
相手を責めるだけでは、前に進みません。
相変わらず好戦的で攻撃的な発言を繰り返している日本の政府にこそ、矛先はむけられるべきだろうと思います。
そして、こういう世界を支えている私自身の生き方にも批判の目を向けるべきだろうと思います。
祈りも大事ですが、まずは私の日常行動を変えなければいけません。
だれかに帰責しても、誰かを非難しても、事態は変わりません。

私に何ができるのか。
すぐには何も変化は出ないと思いますが、100年後には世界が変わっていることを念じながら、その方向に向けて、さらに一歩を踏み出したいと思います。

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2015/01/29

■節子への挽歌2707:背広を着るとしゃきっとしてしまう哀しい習性

節子
今日も背広を着てきました。
背広を着ると気分がしゃきっとします。
私も、そういう風に仕立てられてしまっているわけです。
今は、月に1回か2回しか背広を着ませんので、基本的に私はしゃきっとはしていないことになります。
そういう生活がこの数年続いていますので、時々、背広を着るとなぜかうれしくなります。
困ったものです。

しゃきっとしていると一人でも立っていられるのですが、しゃきっとしていないとどうも一人では立っていられないのです。
当然ながら、一人では立ち続けていられないのは健全な人間の証拠です。
しかし、しゃきっとできないので、仲間がほしくなります。
背広を着ていない人は、なぜかスキが多いので、仲間は必然的に背広を着ない人が多くなります。
しゃきっとしない人が集まると、全体もまたしゃきっとせずに、わけがわからない集まりになることもあります。
私は、いまは「しゃきっとしない族」にいますが、かつては「しゃきっと族」の一員でしたので、ある程度、しゃきっとしていないと居心地が悪いのです。
その上、時々、しゃきっと生活の楽しさを思い出して、一時的しゃきっと族言動に陥るのです。
そうなると始末が悪いのです。
中途半端なしゃきっと族への嫌悪感が湧きおごってしまうのです。
そして、たいがいにおいて、後で自己嫌悪に陥るわけです。

こう書いてきて、気づいたのですが、最近は逆転しているかもしれません。
今日は、これからビジネススクールに2回目の講義に行くのですが、前回の受講者はあんまりネクタイをしていませんでした。
私だけがネクタイだったかもしれません。
背広でネクタイの大企業正社員とフリーランスのアントレプレナーを比較すると、しゃきっとしているのは後者ですね。
気づくのが、あまりに遅すぎました。

私の今日の講義はアジテーションの要素が強いのですが、背広を着た老人からアジテーションされても迫力はないでしょうね。
次回は背広はやめましょう。
もし次回があれば、の話ですが。

さてそろそろ会場に向かいます。
始まりの時間に遅れた実績も少なくありませんので。
やはり背広を着てもしゃきっとするわけではなく、要はその人次第ですね。
私がしゃきっとしていないのは、背広のせいではないようです。
困ったものです。はい。

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■節子への挽歌2706:気分破産の3日間

節子
また時間破産に陥ってしまい、挽歌を休んでしまいました。
あまり書かないでいると、また電話がかかってくると悪いので、書くことにしました。
時間破産の始まりは、月曜日からでしたが、破産するとすべてがおかしくなることを今回は改めて実感しました。

まずは27日。
午後から来客続きの日だったのですが、その準備もしなければと思い、早めに家を出ました。
オフィスについたのは11時過ぎでした。
ところが、オフィスの前に10時半に約束した人が待っていたのです。
2年に一度くらい体験する光景です。困ったものです。
私が完全に失念していたのです。
その方は、しかし怒ることもなく、待っている間に気分転換できたと言ってくれました。
部屋が空いていたらそうだったかもしれませんが、何しろオフィスは私が行かないと鍵がかかっているのです。
ですからオフィスの前で立って待っていてくれたのです。

でもまあ、その方との約束はまあ無事終わりました。たぶん。
これに懲りることなく、また来てくれるでしょう。
メールで、お詫びをしたら、「とっても居心地がよかったです」と返してきてくれました。

しかし、こういう不手際をやると、そこから私のリズムが壊れてしまい、その日は最後まで尾を引きました。
午後からいろいろな来客があり、さらに夜は少し難しいテーマのサロンでした。
食事をする暇がなかったのですが、それを予想してか、夕方のお客様はあんまんを持ってきてくれました。
なんで私が食事をしていないのがわかったのだろうかと思いましたが、最近の私の生活のリズムが狂っているのを感じてくれたのかもしれません。
しかし、せっかく来てくださったみなさんへの対応が、うまくできたかどうか不安です。
少なくともお一人には、十分な対応ができませんでした。
たぶんその方は私に少し何かを相談するつもりだったと思うのですが、私の余裕のなさを感じて、それを持ち出さなかったような気がします。
それを翌朝気づき、メールをさせてもらいました。

28日も調子は戻らずに、なにか不安感が残っていました。
節子がいれば、そうしたものを解消でき、翌日には絶対に持ち越すことはなかったのですが、一人だと解消できず持ち越すのです。
困ったものです。
朝、出際に友人から電話がありました。
いささか私がイライラしていたせいか、いつも以上に辛辣な発言をしてしまいました。
まあよくあることなのですが、言わなくてもいい発言をしてしまったのです。
実は同じことを別の友人にも26日にしてしまい、後悔していたのですが、またやってしまったわけです。
それがまた尾を引き、この日もますます落ち込み気味で、うまくいきませんでした。
夜は初対面の方もいる集まりでしたが、いつもとは違う気分で参加しました。
見るもの聞くもの、なぜか無性に腹立たしいのです。
一応、自重したつもりですが、かなり発言してしまったので、不快感を与えなかったことを祈るばかりです。

まあ、こんなわけでこの数日、少し荒れています。
こんなことでは、いつになっても前に進みだせません。
さてさて今日は時間破産から抜け出さなければいけません。

破産から抜け出すのは実は簡単なのです。
気分次第で変わるからです。
経済的にも問題を抱えているのですが、それにはなぜか何の危機感もありません。
要は、「破産」とは精神の問題なのだろうと思います。
これもまた、節子との暮らしの中で身についたことなのですが。
それに「破産」などという言葉を使うこと自体、逃げの姿勢です。
これからは「破産」という言葉を使うのはやめることにしました。
そもそも私の人生そのものが、最初から「破産」気味だったのですから。

明日から、たぶん正常化します。
性格も少しは良くなると思います。

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■「恫喝」よりも「祈り」

矢部宏治さんの「日本はなぜ、「基地」と「原発」をとめられないのか」という本が話題になっていますが、その中で、矢部さんは自民党の憲法改正草案をみれば、日本の現在の水準は「近代文明の尺度で測れば、3歳の幼児くらいでしょう」と言われても仕方がないと書いています。
もちろん戦後、日本人のことをダグラス・マッカーサーが「近代文明の尺度で測れば、12歳の少年」と言ったことをもじっている言葉です。
私も自民党の憲法改正草案は、その解説まで含めてきちんと読みましたが、唖然とする内容です。
それに関しては、以前、このブログでも10回にわたり私見を書きました。
私のホームページにもまとめて転載しています。
http://homepage2.nifty.com/CWS/kenpo13.htm
自民党の憲法改正草案をきちんと読んだ人は、おそろしくて自民党には投票しなくなるだろうという気はします。

イスラム国日本人拘束事件の報道を見ていて、矢部さんが書いたことを思い出しました。
テレビ界に登場している人が、もし日本人の知的水準を示すのだとしたら、いささかおそろしさを感じます。
日本人は、いわゆる「有識者」たちよりはまともだと思っているからです。
しかし、日本人は世界的に見て、異常にマスコミへの信頼度が高い国民だそうですので、テレビ界での有識者のレベルに知的水準が落とされる恐れは十分にあります。

一番驚いたのは、イスラム国でも戦略発想する人がいるのかという、有名なキャスター役の人のいかにも相手をバカにしたコメントを聞いた時です。
さすがにその時には、フセイン政権時代の優秀な人材などがイスラム国には移っているという中東に詳しい人のコメントがありました。
今回の事件でのイスラム国の展開は、実に戦略的だったと思いますし、最初から首尾一貫していて、着実にシナリオ展開してきているように私には思えます。
また今回のヨルダンの対応も見事に感じます。
もしかしたらイスラム国とヨルダンは仕組んでいるのではないかとさえ思えます。
ただし、こうした思いも、私があんまり信頼できないでいるテレビから得た情報からの組み立てですので、まあ砂上の楼閣的推測でしかありません。

しかし、はっきりしていることはいくつかあります。
日本の政府や事件を報道する人たちの「目線の高さ」と「恫喝的な姿勢」です。
発言を聞いていると、相手を卑劣だとか残虐だとか、言語道断だとか、非難だけで、相手を理解しようという姿勢が感じられません。
それでは交渉どころか、コミュニケーションも成り立ちません。
政治的なパフォーマンスという側面もあるでしょうが、相手の立場を認めて、相手が聴く耳と大義を得られるような配慮は必要でしょう。
少なくとも、首相という役割を踏まえれば、「最低の品格」は維持すべきだと思います。
世界に向けては、日本人の代表なのですから。
それにくらべて国民の多くは「祈り」を基本にしています。
「一刻も早く解放しろ」よりも「無事帰ってきてほしい」の方が、たぶん相手の心には響くでしょう。

この事件から見えてくるのは、日本の政治と社会の実相のような気がします。
しかし、どうやら先が見えてきたようでほっとしています。

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2015/01/26

■節子への挽歌2705:問題が起こったら寝てしまう

節子
ユカからは、お父さんは学習しないね、といつも言われていますが、また時間破産してしまいました。
いろんなことを引き受けすぎる癖に、引き受けたことをすぐに忘れ、締め切り間近になって思い出すという、悪い性癖は一向になおりません。
そんなわけで、この週末は暇で暇で仕方がなかったのですが、今日の午後から宿題をやりだしたら、あまりにたくさんありすぎるのと、肝心の資料をオフィスに忘れてきたりで、もう大変でした。
今日は午後からずっとパソコンにかじりついていました。
しかし、挽歌も時評も書けませんでした。
まあ、こういうこともあるのが人生です。

しかし、ずっとパソコンに向かっていると、さすがに疲れます。
それに最近また高血圧の薬を飲み忘れがちなので、頭痛までしてきました。
困ったものです。
予定をみたら、明日から毎日、来客やらミーティングがあるようです。
それに、夜もずっと何かあるようです。
しかも、明日の集まりの案内をきちんと出していないことに、いま気がつきました。
参加者が少なかったわけがわかりました。
今さら出すわけにはいきません。
そういえば、カフェサロンの企画も最近は忘れていました。
さてさてどうしたものか。
泣きたい気分とは、こんなことでしょうか。

今年から前に進もうと思いながら、どうもまだリズムがとれません。
先がまだ見えてきませんが、今日は寝ることにします。
問題が起こったら寝てしまう。
最近気に入っている方法です。

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2015/01/25

■節子への挽歌2704:一人の死とたくさんの死

節子
シリアではいま国際的な内戦が広がっています。
そのなかで、2人の日本人がイスラム過激派に拘束され、1人は殺害されるという事件が起こっています。
これに関しては、この数日、時評編に何回か書きました。
節子にも書いておこうと思います。
こういう事件が起きると、私たちはよく話し合ったものです。
あの頃が実に懐かしいです。

2人の日本人が殺害されるかどうかで、世界は大きな騒ぎになっています。
しかし、その一方では、まったく報道もされずに、たくさんの人たちが、内戦で毎日のように殺害されています。
イスラム国が外国のジャーナリストなどを殺害する方法は残虐だと言われていますが、空爆で無差別に突然殺害される場合の方がむしろ残虐かもしれません。
しかし、そうした視点は誰からも指摘されません。

こうした報道を見ていつも思うのは、大騒ぎになる「ひとりの死」と騒がれることもない「たくさんの人の死」とを、どう考えればいいのかということです。
人の命の重さには変わりがないと言われますが、にもかかわらず、騒がれたり騒がれなかったりするのはどうしてでしょうか。

愛する人の死を体験した人であれば、どんな人の死にも、たくさんの「物語」があることに気づくでしょう。
有名人だけに「物語」があるわけではありません。
シリアの内戦で殺害されたたくさんの人の死には、それぞれに物語があります。
にもかかわらず、だれにも気づかれずに死にいく人たちがいる。
その事実こそが、むごくて残虐なのではないのか。

一人の死の向こうにある、たくさんの死を思わずにはいられません。
しかし、なんで人は殺し合うのでしょうか。
実に哀しいです。

シリアにはパルミュラ遺跡があります。
節子と一緒に行きたいと思いながら、ついに行けなかった遺跡です。
来世では行けるかもしれません。
破壊などされていないといいのですが。
こんなことを思うのは、いささか不謹慎ですね。

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■子どもたちの目

後藤健二さんの撮影した子どもたちの写真を少しだけ見せてもらいました。
後藤さんは子どもたちにも好かれていたようです。

それをみながら思い出した2つの記事を紹介します。
長いですので、今回はコメントなしです。

まずは先日読み直したカルドーの「新戦争論」に出てくるものです。
ノルウェー人の心理学者による、ボスニアの少年イヴァンとの面談記録です。

9歳の子供に、自分の父親が親友を銃で殺したことをどのように説明することができるだろうか?
私はその子自身にどう考えているかを話してくれるよう頼んだ。
彼は私の目をじつと見て言った。
「彼らは、脳にとって毒となるものを飲んでいるんだと思う」。
そして彼は突然付け加えた。
「だけど今はみんな毒におかされているから、きっと水の中に毒が入ってるんだと思う。汚染された貯水場をきれいにする方法を見つける必要がある」。
そこで私が子供も大人と同じように毒におかされているのかと質問すると、彼は首を振って言った。
「ううん、全然。子供の体は小さいから、毒もあまりたまらない。それに子供や赤ん坊はほとんど牛乳を飲んでいるから、毒には全然おかされていないよ」。
私は彼に、政治という言葉を開いたことがあるかと質問した。
すると彼は飛び上がらんばかりの勢いで、私を見て言った。
「そうそう。それが毒の名前だよ」
もう一つは、ヴィクトル・ユーゴーの情景詩「1871年6月」です。
1871年のパリ・コミューン事変について書かれたものだそうですが、私は最近読んだ川口幸宏さんの「19世紀フランスにおける教育のための戦い」で知りました。
同書からの引用です。
流れた罪深い血と清らかな血で染まる
石畳の真ん中の、バリケードで、 
12歳の子どもが仲間と一緒に捕らえられた。
- おまえはあいつらの仲間か? - 子どもは答える、我々は一緒だ。
よろしい、ではおまえは銃殺だ、将校が言う。
順番を待っておれ。 - 子どもは幾筋もの閃光を見、
やがて彼の仲間たちはすべて城壁の下に屍となった。
子どもは将校に願い出た、ぼくを行かせてください、この時計を家にいるお母さんに返してくるから。
- 逃げるのか? - 必ず戻ってくるよ。
- このチンピラ恐いのだろ! 何処に住んでるんだ?
- そこだよ、水くみ場の近くだよ。だからぼくは戻ってきます、指揮官殿。
- 行ってこい、いたずら小僧! 
- 子どもは立ち去った。- 見え透いた罠にはめられたわ!
それで兵士たちは将校と一緒になって笑った、
瀕死の者も苦しい息のもとで笑いに加わった。
が、笑いは止んだ。思いもかけず、青ざめた少年が
璧を背にして、人々に言った、ただいま、と。

愚かな死は不名誉である、それで将校は放免した。

それぞれから強いメッセージを受け取れます。

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■イスラム国からのメッセージ

イスラム国によって拘束されていた一人が殺害されたかもしれないという報道がなされています。
もし事実だとしたら、とても残念なことであり、その行為は許されるべきではありません。

しかし、その一方で、私にはとても気になることがあります。
ほぼすべての報道が、一方的にイスラム国を非難するだけであることです。
しかも、残虐だとか非道だとか、感情を込めた非難が繰り返されています。
もちろん、それを否定する気はありませんが、彼らがなぜそうした状況に追いやられているのかも考えるべきではないかと思うのです。
イスラム国のメンバーもまた、平和のために戦っていることを忘れてはいけません。
そうした想像力が少しでもあれば、事態は違った方向に向きだすかもしれません。

人の命が、もし大事であるとすれば、イスラムの人たちの命も同じように考えなければいけません。
最近の報道は、イスラム国側の非道さ、残虐さばかりを報道していますが、その「自分たちは正義」と言わんばかりの姿勢には違和感を持たざるを得ません。
報道されているイスラム国の姿勢と何が変わるというのでしょうか。

殺害予告の映像を見た時に、そして2億ドルの要求を聞いた時に、私が感じたのは、日本人に対するイスラム国からの強いメッセージでした。
私たちもまた、イスラム諸国の人たちが追いやられている世界を支えているのではないか、少なくとも、そうした世界状況に無関心のまま、中東での「非人道的な状況」を見過ごしているのではないか、ということを、イスラム国は警告しているのではないか。
さらに、日本はその道を意識的に進みだそうとしているのではないか。
昨年の集団的自衛権の閣議決定(7.1クーデター?)は、その始まりを予感させます。
そして、この時期におけるエジプトでの2億ドル支援も、そうした文脈で考えれば、人道支援に名を借りた体制づくりと受けとめられても仕方がないとも思います。
ましてや、こうした状況(拘束された2人の日本人の解放交渉を水面下で進めていたと思われる状況)のなかで、首相が声高らかに明言することは、イスラム国にとっては、実に挑発的な行為に見えても仕方がありません。
「お金」こそが、いまのような状況をもたらしてきたのですから。

念のために言えば、私はイスラム国を弁護するつもりもなく、日本政府を非難するつもりもありません。
ただ、私たちはこの事件でイスラム国の非道さを責めるだけでいいのかということです。
私たちの考え方や行動も、これを契機に問い直す姿勢が必要ではないかと思うのです。

少なくとも、私たちはもう少しイスラム世界のことを知る必要があります。
お互いに知り合い、学び合うことから、平和は始まります。
非難するだけでは状況は変わっていきません。
私が、カルドーの「新戦争論」を改めて読み直したのも、そのためです。

イスラム国からのメッセージを無駄にはしたくありません。
私たちはもっとイスラム世界で起こっていることに、関心を持ちたいものです。
そして、私たちがそこにどうつながっているのかを考えたい。
それこそが、グローバル化された世界の生き方だと思います。
そして、問題は、私の生き方にまでつながっていることを忘れたくはありません。
問題は決して「お金」では解決しないことも。

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2015/01/24

■節子への挽歌2703:「おい、暇か?」

節子
ついでにもうひとつ書きます。
最近、気に入っている言葉があります。
長く続いているテレビドラマの「相棒」をよく観るのですが、私が気に入っているのは主役の2人ではなく、脇役の捜査1課と2課の刑事です。
特に気に入っているのが、2課長がよく使う言葉です。
「おい、暇か?」
実にいいですね。
それでわが家でも、娘たちによく使いますが、あんまり対応してもらえません。
暇なのはお父さんでしょう、と手厳しいのです。
まったくわかっていません。

節子ならきちんと対応してくれるでしょう。
「おい、暇か?」への応対は、「はい、あなたほどではありませんが」がいいと思いますが、残念ながら「おい、暇か?」と私に言ってくれる人がいないのです。
私の場合は、「忙しそうですね」と言われることが多いのですが、これが私にとってはうれしくない言葉なのです。
そういう人には必ず、「暇で暇で死にそうです」と答えています。
まあそれもまた事実でもあるのです。
正直、最近は心が燃え出すような面白いことに出会うことがありません。
だから時間破産になっても、暇で退屈な気分なのです。

節子がいなくなってから、何をやっても退屈です。
困ったものです。
もう少しこの退屈な人生を過ごさなければいけないのですから。

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■節子への挽歌2702:なぜか体調がいいので心配です

節子
どうも節子に再会する時期がまた延びそうです。
私の本意ではないのですが。

先日書いたかもしれませんが、マクロビオティックに取り組んでいるおふたりの方から玄米食を勧められて、敦賀の義姉に頼んで送ってもらいました。
玄米食など修さんには無理だよと言いながらも、送ってくれたのですが、食べてみたらこれがおいしいのです。
前に食べた時はダメだったような記憶がありますが、なぜでしょうか。
玄米食にすると長生きすると言われたので、あまり乗り気ではなかったのですが、まあ食べることにしました。
でも毎日ではなく、白米と日替わりにしようと思いますので、さほど長生きにはならないと思っていました。

ところが、一昨日、やってきた宇賀さんたちが、ステビアの茎や葉でつくったものを飲むと、さらに長生きするというのです。
長生きは好みではないというと、長生きしてもらわないと困りますと叱られました。
いやはや人生はうまくいきません。
それまで飲むと、さらに節子との再会が遅れることになります。
困ったものです。
それで海洋はうやむやにしておきました。
私は、一応言葉に出したことは守ることにしているものですから。

実はあんまり良いニュースではないのですが、今年になってから体調がなぜかいいのです。
いろんなところに問題は発生していますが、昨年の中頃とは大違いです。
昨年の中頃は、もしかしたら意外と早いかもと思ったりしていますが、状況が一変してしまったのです。
そのうえ、玄米とステビアです。

そして、さらに悪いのは、何やら相変わらず時間がとられてしまう相談が増えているのです。
まあ、相談に応じるだけであれば、そう問題はないのですが、何か話を聞くと相手が思っている以上のことをやりたくなってしまうのです。
今年はきちんと対価をもらう仕事をして、身辺を整理しようと思っているのですが、どうもそういうことにはなかなかなりません。

こういうと、何やら忙しそうに思うかもしれませんが、実際には暇で暇でしょうがないほど忙しいのです。
私には忙しいと暇は同義語なのです。
節子はたぶん理解してくれるでしょうが。

昨日も今日も暇すぎて、挽歌を書けずにいましたので、まとめて書いてしまいます。

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2015/01/23

■メアリー・カルドーの提言

イスラム国による日本人拘束事件はまだ解決されずにいますが、この報道を見ながら、昔読んだメアリー・カルドーの「新戦争論」を思い出しました。
副題に「グローバル時代の組織的暴力」とあるように、カルドーは、戦争の概念を拡大し、国家間の戦争とは違った「新しい戦争」が生まれてきていることをとてもわかりやすく説いています。
出版した2年後に、9・11事件が起きていますが、日本語の翻訳がでたのは2003年でした。
そのおかげで、日本語訳には9・11事件に関する小論が付け加えられています。
そこで危惧されていることが、最近のイスラム国の動きをみていると、まさに起こっており、いまもって世界は的確な対応ができていないのではないかと思わせられます。
カルドーの指摘をきちんと受けて対応していたら、イスラム国事件は起きなかったのではないか。
世界は戦争の構図を読み違えてしまっているのではないか。
そんな気がします。

カルドーの指摘を受けて世界をみれば、かなり違った世界が見えてきます。
もしかしたら、今回の事件も起きなかったかもしれません。
安部首相のエジプトでの2億ドル発言への評価も、違って見えてきます。

カルドーの「新戦争論」の「日本語版へのエピローグ」だけでも読むと、世界の見え方が少し変わるかもしれません。
私が昔、メモしていた部分を少しだけ紹介します。

カルドーは、9・11事件をアメリカへの敵対行為としてではなく、「人道に対する罪」と表現しています。
イスラム対アメリカではなく、人道への攻撃と捉えます。
戦いの構図が変わります。
キリスト教徒もムスリムも、一緒になって立ち向かう構図になります。
人道に反する結果を引き起こす空爆行為は、その構図からは生まれないでしょう。

ではどういう対抗策がありうるのか。
カルドーは、「人道の原則に対する主体的関与と人間の多様性に対する尊重」を信条とする「コスモポリタン」のネットワークを育てていくことだと言います。
そして、グローバル化によって疎外され、困窮に陥っている人たちをどう支援していくかにこそ、暴力の連鎖から抜け出す鍵があるというのです。

とても共感できます。
しかし、私がこの本を読んでから10年近く立ちますが、相変わらず「古い戦争」の呪縛の中で、世界はますます暴力にシフトしているような気がします。

世界を捉えるパラダイムを変えなければいけないのではないかと、テレビの報道をみながら思い、カルドーの「新戦争論」を少しだけ、今日、読み直しました。

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2015/01/22

■節子への挽歌2701:わくわくキラキラ

節子
今日もまた寒い日です。
最近、寒くて雨なのに、湯島に来なくてはいけないことが多いのです。
雨の日は自宅で読書、という晴耕雨読の生活に変えたいのですが、なかなかそうはいきません。
これまであまり「良い生き方」をしていなかった天罰かもしれません。

今日は、しかも、大企業の経営管理者の人たちとのミーティングまであります。
私が関わっている活動のチーム研究のアドバイザー役を長年しているのですが、今期のチーム研究のテーマは「わくわくキラキラする企業文化」です。
難しいテーマよりも、こういうテーマが私は好きですが、このテーマを選んだのは私ではありません。
チームメンバーが決めたのです。
大企業の経営幹部の人たちが、「いきいき」とか「キラキラ」というテーマで話しあう時代になったのです。
いいかえれば、いまの大企業は「わくわく」「キラキラ」していないということです。

社会はどうでしょうか。
社会もまた「わくわく」「キラキラ」などしていないように思います。
当然のことながら、多くの人の生き方も同じかもしれません。

私が学生だった頃、学校を卒業して会社に入ることは「わくわく」することでした。
会社に入って、先輩たちが「キラキラ」と見えたこともおぼえています。
いつから変わってしまったのでしょうか。
大学生たちから、社会に出ていくことは「不安」で仕方がないという話を最近よく聞きます。
社会がおかしくなってきているのは否定しようがないようです。

考えてみると、私たち(私も節子も)はわくわくする時代、キラキラする時代を生きてこられたのかもしれません。
一緒に暮らしだしたころの社会は、まだ貧しかったかもしれませんが、いきいきとしていました。
どうも私が元気が出ないのは、時代のせいもあるかもしれません。

最初のお客様が見えたようです。
これからずっと来客続きの1日です。

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2015/01/21

■ムスリム国家との関係の行方

イスラム国による日本人殺害予告映像が流れ、大きな問題になっています。
とうとうここまできたかという思いでいっぱいです。
この映像には、いささかの違和感がありますが、それはそれとして、日本ももう戻れなくなりそうです。
信頼関係は、構築するのは時間がかかりますが、壊れるのは瞬時です。
その瞬時が、まさに昨年の7月1日だったのかもしれません。
憲法学者の水島朝穂さんは、最近の著書(「立憲的ダイナミズム」)の中で、こう書いています。

彼(安倍首相)が「閣議決定」でやったことは、憲法の大原則である平和主義の根幹(首)を斬り落とす「憲法介錯」にほかならない。
内閣は、憲法に違反する内容の「閣議決定」を行ったのである。
これは「平成の7.1事件」として記憶されるべきだろう。
「憲法介錯」は、憲法解釈に欠けて言葉です。念のため。
学者の言葉としては、いささか過激ですが、そこに水島さんの真情が感じられます。

「立憲的ダイナミズム」は数名の方が書かれている本ですが、そこにやはり憲法学者の君島東彦さんがこんなことを紹介しています。

NGOの一員として、12年間にわたってイラクの民衆に寄り添い、イラクの状況を見てきた米国の平和活動家、ペギー・フォー・ギッシュは、「イスラム国」に対する米国等の空爆はテロリズムを封じ込めることにはならず、むしろテロを拡散・強化することになるだろうと予想している。
まさにそうなってきています。
戦いの構図の捉え方を変えなければいけません。
これも君島さんの論文の中に出てきていますが、イギリスの国際政治学者ケン・ブースは、われわれにとっての脅威は、敵国の兵器や軍隊ではなくて、互いに対峠する兵器システム、戦争システムであり、われわれの敵は、攻撃しようとするテロリストではなくて、テロリズムを選択肢にしてしまうような歴史的不正義であるといっているそうです。

人同士の戦いではなく、人とシステムの戦いだと考えると、世界の風景は違って見えてきます。
いささかSF風に聴こえるかもしれませんが、チャールズ・ライクが半世紀前に喝破した通り、敵は「システム」なのです。
問題の構造を見誤ると、事態はますます泥沼化するようで不安です。

もうひとつ気になることがあります。
2004年のイラク日本人人質事件で起こった「自己責任論」ブームのような動きが出なければいいのですが。
当時の日本の有識者たちの反応は、いかにも哀しくさびしいものでした。
たとえば、上坂冬子さんの発言を知った時には、衝撃的でした。
http://c-oizumi.doorblog.jp/archives/51313768.html
こういう風潮に加担しないように注意しなければいけないと改めて当時を思い出しています。
そして、私たちの政府が何をしているかを問い直す契機にもしたいと思っています。
これは決して、私と無縁な事件ではないのですから。

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■節子への挽歌2700:言行一致のむずかしさ

節子
この挽歌もついに2700になりました。
ということは、節子がいなくなってから今日は2700日目ということです。
まさかこれだけ長く続くとは思いませんでしたが、しかしあっという間の2700日のようにも思います。
最初の数年は惰性で生き、そのあとの数年は粗雑に生き、きちんと生きようと思う気になってきたのは、つい最近のような気がします。
頭では「誠実さ」を大切にしなければいけないと思っているのですが、生きることに誠実でなければ、それは単なる標語でしかありません。
したがって、言行一致には程遠いわけで、私が一番嫌いな生き方を自らがしてきたことになります。
それだけでも自己嫌悪におちいります。

しかし、言行一致という生き方は、なかなか難しい。
さまざまな不幸な事件が毎日のように報道されていますが、そうした事件に対する「識者」のコメントなどに触れていると、言行不一致どころか、自分のことを懺悔しているのではないかと思うような相手への攻撃に出会うことも少なくありません。
言葉とは恐ろしいもので、いつも発言者自身にも向かっているのです。
私も、心しなければいけません。
こんな生き方をしていると、彼岸であった時に、節子に叱られそうですね。

今日は少し懺悔した気分の多い日になりました。
諭す人がいなくなると、人は世界が見えなくなるものです。
伴侶は、そのための存在だったのかもしれません。
注意しなければいけません。

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2015/01/20

■節子への挽歌2699:ハグだけは女性にすると決めている

節子
福岡の藏田さんから本が送られてきました。
「ディセットⅡ」、川柳の句集です。

藏田さんが川柳にはまっていることは、北九州市の友人からも聞いていました。
毎日新聞の人気コーナー「仲畑流万能川柳」(万柳)に蔵田さんの句がよく入選されているというお話でした。
それを聞いた時に、私もネットで調べてみたら、藏田さんの作品があった記憶がありました。
いまも調べてみたら、いくつか出てきました。
たとえば、着物というお題での藏田さんの作品です。

亡き母の泥大島を案山子着る
藏田さんは畑もやっています。
藏田さんの畑は、案山子がいるほどの大きな畑なのでしょうか。
凝り性の藏田さんのことですから、畑も半端ではないのかもしれません。
いつぞや奥さんが、お金のかかる畑だと言っていましたが、案山子にまで泥大島を着せるとは、さすがに藏田さんです。

藏田さんは私より年上ですが、定年を迎えたら、さっと会社を辞めて、故郷の福岡に帰ってしまい、自然を相手に優雅な生活を始めました。
これもまた藏田さんらしい鮮やかさでした。
藏田さんとは仕事の関係でお付き合いが始まりました。
実は、藏田さんには多大な迷惑をかけてしまったにもかかわらず、それ以来、ずっと親しくお付き合いさせてもらっています。
節子も藏田さんのことを知っていて、藏田さんのダンディさにほれ込んでいました。
今回送っていただいた句集にも藏田さんの写真が出ていますが、ますますダンディな趣味人を感じさせます。

藏田さんは、節子が亡くなった後、わが家にまでわざわざ献花に来てくれました。
そしてその後も、いろいろと野菜だとか魚だとかアサリだとか、ご自分が育てたり採取したりしたものを送ってきてくれるのです。
お礼のしようもありません。

句集に載っている藏田作品は、いずれも藏田の人柄や生活を感じさせるものです。
いくつかを紹介しましょう。

薬より息子の顔が効くらしい
お盆には生きた息子を待っている
糠の床ご先祖様の息聞こえ
「悩みない」ズバリ言う人悩んでる
見つめれば相手も見てる誰だっけ
ハグだけは女性にすると決めている
満腹で飛べなくなった蚊を叩く
人間は幸せ祈り戦する
節子が元気だったら、きっと川柳が気にいったでしょう。
節子も時々、旅行先で句を読んでメモしていたのを思い出します。

川柳は人の香りがするように思えると藏田さんは書いています。
藏田さんの香りも確かに伝わってきます。
私が一番気に入ったのは、

ハグだけは女性にすると決めている
です。
いかにも藏田さんらしく、それに藏田さんでなければ言えないことですので。

一昨日(18日)、新春北九州市川柳大会があったようです。
藏田さんも、8つのお題で16句を発表したようです。
どんな句を詠まれたのでしょうか。

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■節子への挽歌2698:縦も横もつながりが切れだした社会

節子
昨日は少し重い話を聞きすぎて、疲れてしまい、パソコンに向かえませんでした。
しかも、その重い話はまた、私自身にも返ってくる話でしたので。

最近いろいろな人に会って感ずるのは、家族を通じた世代間の支え合いの文化が薄れているのではないかということです。
老老介護という言葉が以前よく使われましたが、どこかの時点で世代間の交流の関係が変わってしまったのでしょう。
日本の家族関係は、世代単位へと向かってしまっているわけです。
変わったのは、世代間という、いわば「縦の関係」だけではなく、親戚づきあいといった「横の関係」も変わっているようです。
家族づきあいも、大きく変わってきているようです。
私自身の場合も考えてみても、両親の時代に比べて、親戚づきあいは極端に減っています。
親戚の数が少なくなったということもあります。
私の生き方の問題もあるでしょうが、湯島にやってくる人たちの話を聞いていると、どうも私だけでないようです。

社会のかたちと家族のかたちは、どちらが原因でどちらが結果かはともかく、深くつながっています。
そして、それは、私たちの生き方を規定していきます。

伴侶がいる場合、お互いに元気な時には、世代や横のつながりが弱まっても、そう不都合は感じないでしょう。
お互いに支える存在がいるからです。
しかし、どちらかに問題が起きると、途端に、そうした人とのつながりの大事さが実感できます。
今まで支えになっていた存在や関係が、逆に負担になって押し寄せてくることさえあるのです。
支えと負担は、時に共存しますが、どこかで疲れが出てきてしまう。
そうなると、すべてが「反転」することもあり得ます。
老老介護の疲れから起こる悲劇もよく報道されます。
そうならないような仕組みが、もっと広がっていくことが望ましいと思いますが、社会の構造が変化していく状況の中では、問題が見えだしてこないと、その仕組みへの関心は生まれてきません。
私は、そうした場や仕組みをゆるやかに広げたいと思っていますが、なかなか広がりません。
元気な人は必要性を感じず、元気でない人は、それをつくる元気もないからです。
その中間の仕組みだった、家族や親戚や地域社会は、いずれも機能を失いだしているのです。

湯島は、そんな人たちのたまり場にもしたかったのですが、私一人ではやはり荷が重すぎると感じだしています。
つくづく節子がいなくなったことを残念に思います。
何か仕組みを変えていかないといけないと、昨日は湯島に来た人の話を聞きながら、改めて思いました。
そしたら、私自身の問題に思いが広がり、それで疲れがどさっと出てしまい、挽歌も書けなかったのです。
さて妙案はないものでしょうか。

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2015/01/19

■経済成長のための企業か社会をよくするための企業か

「新しい経済を考えるシリーズ」その4です。

現在の経済活動を主導しているのは、企業と言っていいでしょう。
その企業の目的はなんでしょうか。
私が会社に入った時に、会社の経営者から聞いた言葉のひとつは、雇用の場を増やしていくことでした。
松下幸之助は、松下電器は家電製品だけではなく、人をつくる会社だと言っていました。
また、水道の蛇口から出てくる水のように、低価格で良質なものを大量供給することでみんなの生活を豊かにしたいという「水道哲学」を松下幸之助は唱えていました。
当時、いずれにも、私は共感していました。
私が、経営者に違和感を持ち出したのは、1980年前後からです。

それにしても、最近の企業の経営者は何を目的にしているのでしょうか。
いとも簡単に従業員を解雇し、会社は、人をつくるどころか、人を壊す場所になってきています。
多くの経営者が考えているのは、目先の利益であり、経済成長への寄与だけのような気もします。
経済成長への寄与が、会社の目的になったようにすら感じます。
日本企業の統治スタイル(コーポレート・ガバナンス)の変質の結果が、それを加速させました。

経済は、本来は「経世済民」といわれるように、社会のため人々の生活のためのものでした。
そのために経済の健全な(社会や生活に役立つ)成長が大切だったのです。
しかし、いつの間にか、その手段や結果であった「経済成長」が目的になってきました。
そして、成長をはかる基準は「金銭」になっていきます。
「金銭経済成長至上主義」「マネタリーエコノミクス」です。
金銭を介さない活動は、価値を失い、金銭を得ることだけが「仕事」と評価されるようになり、女性たちもまた「社会進出」という名目で、金銭市場に取り込まれてきたわけです。
次第に、経済成長と社会の豊かさとは切り離され、社会全体の「汎市場化」が進みます。
つまり、生活や文化が「市場化」され、社会を壊すことで経済成長が実現していくようになっていきます。
その結果、経済成長も壁にぶつかることになるでしょう。
そうした事例は私たちのまわりにいくらでもあります。
地方の荒廃の原因の多くは、その結果です。

こういうことに関しては、このブログでも何回も書いてきていますし、私自身、そうした経済スキームから少しずつ抜け出す生き方に変えてきていますが、そう簡単には抜けられません。
先日も九州の友人が、夫婦2人であれば、月に10万円もあれば豊かに暮らせると話してくれました。
その友人は、いまはその数倍の収入を得ていますが、一度そういう生活に慣れてしまうと、なかなか10万円生活には移れないのも事実です。

経済や企業の変化は、人々の生活や文化、そして意識を変えてきてしまっています。
しかし、金銭経済成長はそろそろ限界にきているような気がします。
どこから変えていくかは難しいですが、まずは可能な範囲で、それぞれが生き方を変えることから始めないと流れは反転できないように思います。
逆に、そうしようと思えば、個人にもできることはたくさんあるように思います。

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2015/01/18

■大義なき選挙

今日は我孫子市の市長選挙の投票日でした。
1時過ぎに投票に行ってきましたが、1時現在の投票率が12%強でした。
いかにも低いですが、今回はやむを得ません。

昨年末の衆議院選挙では、世間は「大義なき解散選挙」と騒いでいましたが、私は選挙はそれ自体に大義があると思い、そういう記事をこのブログに書きました。
しかし、もしかしたら、「大義なき選挙」というのもあるのではないかと、今日の投票の帰り道に考えました。
そして、今回の我孫子の市長選挙はまさにそれかもしれないと思いました。

ホームページには少しだけ書きましたが、今回、現職に対して立候補したのは私の知人の女性です。
彼女は、無投票はよくない、市政に対する住民の関心を高めるためにも、立候補するのは住民の義務だという思いで立候補したと私には話してくれました。
その考えには共感できるところがありました。
もし明確に現在の市政に異議があり、それに代わるビジョンを住民に伝えたいのであれば、そしてそれに私自身が納得できれば、私も彼女を応援するつもりでした。
しかし、直接会ってお話を聞いたのですが、それが伝わってこないため、彼女を応援するのをやめました。
彼女には、立候補を思いとどまるように2回かお会いしました。
彼女の思いを実現するためには、市長選への立候補はむしろマイナスだと考えたからです。
以前から準備してきたのであれば別ですが、告示の2週間ほど前に決断して動き出すような状況では、逆に選挙に対する住民イメージにもマイナスだと考えたのです。
厳しい言い方をすれば、もっと誠実に選挙に取り組んでほしいと思ったほどです。
選挙にかかる費用も住民の税金なのですから。
しかし、彼女の決意は固く、立候補したのです。
選挙期間は1週間。現職と私の知人の2人の選挙戦でしたが、あまり選挙カーも見かけませんでした。
そんな状況で、たぶん我孫子市の多くの住民は今日が投票日だとさえ気づかない人もいたでしょう。
必ず選挙に行く友人も、今回は投票には行きませんでした。
投票率を低くするのは、必ずしも住民の政治意識が低いだけではありません。
立候補する側の意識の問題も、大きく影響することに気づきました。
「大義なく選挙」もあるのです。

今回の投票率は33%弱でした。
選挙への信頼性や意義は、我孫子ではますます低下してしまったような気がします。
とても残念でなりません。

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■節子への挽歌2697:人生を変えた出会い

節子
一昨日、中西さんとの出会いが、私の人生を変えることになったと書きましたが、人との出会いは人生を変えるものです。
そもそも私の人生が大きく変わったのは、節子との出会いでしたし。

26年前に、私は会社を辞めて、生き方を大きく変えました。
その生き方に触れて、もしかしたら人生を変えてしまった人がいるかもしれません。
会社を辞めてから数年は、これまで体験しなかったさまざまな世界に触れて、わくわくした毎日を過ごしていました。
ですから、湯島に会いに来た人たちにも、世界は面白いと言い続けていたような気もします。
そして実際に会社を辞めてしまった人も数名います。
もちろん私の言葉で会社を辞めたわけではないでしょうが、少し後ろを押してしまう役割を果たしたかもしれません。
無責任と言えば、無責任でした。

しかしうれしいこともあります。
数日前に、大阪の若い友人からメールが来ました。
春に結婚して、これまでやっていたNPOも友人に任せて、島根に転居することになったという知らせです。
この友人との出会いは6年ほど前でしょうか。
私が主催したフォーラムに彼女が参加したのをきっかけにして、少しだけ相談を受けて、ささやかに応援していたのです。
彼女はいろいろと書いた最後に、こう書いてくれました。

佐籐さんとの出会いはまさに私の人生を変えた出会いです。
こういわれるとうれしいものです。
人の人生を変えることになれば、当然大きな責任が発生します。
しかし、そうした責任は実際には追うことなどできません。

節子は、間違いなく私に会って人生を変えてしまいました。
それがよかったのかどうかはだれにもわかりませんが、よかったと思うことにしましょう。

人生は、自分一人では成り立ちません。
人とのつながりの中で、育っていきます。
だれに出会うかによって、人生は変わってきます。
だからこそ、人と会うのは楽しいとともに、疲れます。

明日はまた、お互いにちょっとだけ、人生を変え合った人と会います。
節子もよく知っている人です。

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2015/01/17

■節子への挽歌2696:朝早く黙祷をしました

節子
阪神大震災から20年がたちました。
被災者の方が、長いと言えば、長いし、あっという間だと言えば、あっという間だったと話していました。
あの時のままで、時計が止まっているというようなことを話された方もいました。
そのすべてが、納得できます。
私もそうだからです。
時間感覚が全くおかしくなってしまっています。

被災者で家族や友人を亡くされた方と伴侶を病気で亡くしただけの私とは比べようもありません。
それでも、被災者のみなさんの思いには、何か共通するものを感じます。
しかし、テレビでさまざまな風景やさまざまな人の思いに触れるのは、あまり元気が出るものではありません。
3.11もそうですが、私はできるだけテレビを観ないようにしています。

今日は穏やかな暖かい日になりました。
昨日は、4人のエネルギッシュな人たちに会い、たくさんの刺激を過剰に受けてしまったので、その余韻がまだ残っているのですが、今日は、自宅で何もせずに過ごす予定です。
何事も起こらなければいいのですが。

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■マイナス面から考える経済

ロレンツォの話をもう一度書きます。

ロレンツォの趣味は狩りです。
畑の外側に、シカのために餌をつくって置いておくようなことをしながら、一方では時々、森に行ってシカを撃つのです。
これをどう理解すればいいでしょうか。

それぞれを別々に考えると矛盾するように思いますが、たぶんそれはセットのものなのでしょう。
つまり、関係性の中にはそれぞれにとってプラス面もあればマイナス面もあるということです。
どちらか一方にしか価値が流れない関係は、収奪か犠牲でしかありません。
それでは関係は持続しません。
持続する関係とは、プラス(利益)もマイナス(負担)も双方向に流れ合っている関係だろうと思います。
言い方を変えれば、プラスもマイナスも、同じコインの裏表かもしれません。
それは薬を考えればよくわかります。
どんな良薬も、マイナスの副作用を持たないものは、たぶんないでしょう。
効果が大きいものほど、劇薬性を持つものです。

昨今、私たちは商品のプラス面だけに着目しがちです。
つまり「プラス面しか考えない経済」になっているわけです。
「不足の時代」はそれでもよかったかもしれませんが、いまのような「過剰の時代」には、プラスの効用よりもマイナスの弊害の方が大切になってきているように思います。

関係性全体を、あるいは社会全体を、ホリスティックに考えていくことも大切です。
昨日も農業に造詣の深い方とお会いしたのですが、その人は農業は土から収奪するのではなく、土と一緒に育っていかないといけないということを話してくれました。
野菜を育てるために土の養分をもらう代わりに、土の健全性を維持し育てるために、土にもきちんとお返しをしていかねばいけないということです。
しかし、それは大量の化学肥料を施すということではありません。
それはますます土を死に追いやることになるからです。
化学肥料はプラス面もありますが、じわじわと土のいのちをむしばんでいく劇薬でもあるからです。
プラスだけを見てしまうと、マイナス面が見えなくなってしまうわけです。

農業に限らず、そうしたプラス面だけをみながらの経済が、あるいは生活が、社会を覆いだしているような気がしてなりません。
もっとマイナス面から考える経済があってもいいように思います。

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■自分に禍をもたらすように見えるものにも感謝する

コメリアンス村のロレンツォは、自分の畑の野菜を荒らしに来る野生のシカに、野菜を荒らさないでほしいと畑の外側にエサを置いています。
それは、荒らされないための防衛策だと考えることもできますが、野菜を与えてくれる自然への感謝の思いを込めたお返しとも考えられます。
皆さんはどうお考えでしょうか。
私は、ロレンツォの心情は後者だと思います。
自然とともに生きている人たちは、自然の恵みは自分だけのものではなく、みんなものと自然に考えているだろうと思うからです。
日本でも農家の人たちはできた野菜を通りがかりの人にまであげてしまうことを私も体験しています。

そこに、私は2つの深い意味を感じます。

まずひとつは、自然の恵みは独占してはいけないということです。
たしかにそれを収穫するために、個人的にも大きな努力をしたでしょう。
しかし、努力すれば収穫できたわけでもありません。
自然の恵みがあればこその収穫です。
そういうことをきちんと知っているのだろうと思います。
水俣の芦北で漁業をやっている緒方さんは、海の魚はまさに自然の恵みであり、
昔は漁師はとってきた魚を村中に配ったといいます。

もう一つは、災いを与えるものも含めて社会は構成されているということです。
災いかどうかは、受け取り方次第です。
シカは確かに畑を荒らしますが、シカも生態系の重要な一員です。
シカがいればこそ、自然の循環環境は守られているのです。
私たちは、目先の損得で考えてきた結果、いまのような不安定な世界になったのかもしれません。

「災いを与えるものも含めて社会は構成されている」という考えを、私たちは強く持つべきでしょう。
ロレンツォは、本能的にそのことを知っているのでしょう。
いやロレンツォに限りません。
自然とともに生きている人たちは、たぶんそのことを知っているはずです。
そして、そう考えている人は、決して、相手の存在を否定はしないでしょう。
そうであれば、パリの反イスラムデモもあんなに攻撃的な雰囲気になるはずもない。
反ユダヤ主義も在特会のようなヘイトスピーチデモも起きないはずです。

最近、多様性が大切だと盛んに言われています。
しかし本当に多様性が大切だと思い、行動している人はどれほどいるか。
もっとロレンツォから、私たちは学ばなければいけません。

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2015/01/16

■節子への挽歌2695:中西さんの時計

節子
昨夜、久しぶりにパオスの中西さんにお会いしました。
中西さんは、私の人生を変えたお一人です。
会社時代に中西さんに会うことがなければ、私は会社にずっといたかもしれません。
しかし、人生がこんなに大変で面白くなったのは、中西さんのおかげかもしれません。

中西さん主宰のデザイン戦略経営のビジネススクールで、昨夜はお話させてもらいました。
私の話は、ビジネススクールには向いていませんが、中西さんは毎年私に話させてくれています。
しかも今年は2回も話させてもらうことになりました。
それはともかく、中西さんは、私たちが湯島でオフィスをオープンする時に、自らがデザインした時計を持ってきてくださいました。
いまもその時計は湯島にあります。
ちょっと時計盤の表示が変わっていますので、時々、それに気づいて頭をかしげながら、しばらくしてはっと気づいて笑顔になる人がいます。
それはこんな時計です。

Clock

講義の最後で、私のオフィスへのお誘いとともに、その時計の話をしたら、中西さんもそれについて、私が以前たたいた軽口の話をされました。
私が、この時計はデザインはいいが正確に動かないといったそうです。
確かにそんな記憶がありますが、改めて中西さんからそういわれると身が縮こまります。

湯島のオフィスを開いた時、1週間、出入り自由のサロンを続けました。
100人を超える人たちが来てくれましたが、中西さんも結構ながくいてくれました。
中西さんの話は節子にはたびたびしていましたが、節子が直接会ったのは、その時です。
節子は一目ぼれではありませんが、すっかり中西ファンになってしまいました。
そんなことを思い出しました。

中西さんとの思い出はいろいろあります。
生きる世界はかなり違いますので、一緒に仕事をするとか活動するとかいうことはないのですが、なぜかとてもつながるところも感ずるのです。
私の生き方はかなり理解してくれていて、私が時々、愚痴をこぼすと、それがあなたの選んだ生き方でしょと笑いながらちくりというのです。
昨日もまた言われてしまいましたが。

昨夜は講義の前に、中西さんが京菓子の阿闍梨餅を2つくれました。
誰かにもらったおすそ分けだと言って。
こういう、わけのわからない中西さんの行動は私の好みです。

講義とは別に、一度また雑談に行きたくなりました。
節子がいたころに付き合っていた人ではない人との交流が最近は増えていますが、中西さんは節子が元気だった時代を思いださせてくれるお一人です。

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■一緒に生きている社会

昨日、書いた「誠実な生き方」につなげて、しばらく「新しい経済」に関して書くことにします。

昨日、韓国で暮らしている佐々木夫妻にお会いしました。
雑談の中で、私が百済と新羅の文化圏では今も何か違いがありますか、と質問したのですが、やはり違いはあるそうです。
そして、こんなことを教えてもらいました。
百済のあった朝鮮半島南西部の全羅道は豊かな穀倉に恵まれていたので、食べ物には困らず、住民たちは誰にでも食べ物を振る舞い、そのため、むかしは食堂がなかったのだそうです。
いまでも「食は全羅道」と言われているそうです。
今は食堂もたくさんありますが、ソウルとは出てくる量や味がずいぶん違うそうです。
とても興味深い話です。

以前、水俣に行った時に、水俣病が引き起こした地域問題の解決に尽力した吉本さんのお宅に泊めてもらいました。
朝、寝坊してしまったのですが、起きたら誰もいません。
食事するところには朝食が用意されていて、勝手にご飯をおひつからよそって食べた記憶があります。
食べていたら、誰かが来たような気もします。
もちろん鍵はあいていて、誰でもが勝手に入ってきてご飯を食べられるようになっていました。
私の勝手な記憶違いかもしれませんが、たしかそんな文化がまだ残っていたような気がします。

ノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センは、1943年のベンガル飢饉を分析し、実際には、飢饉発生時には飢饉以前よりも多くの食糧生産量があったことを証明しました。
要するに、その食料が適切に配分されなかったために大飢饉が起こったのです。
飢饉は食料不足から起こるだけではなく、経済や社会の仕組みからも起こるのです。
これは、全体の経済成長と個々人の生活とは決して比例関係にはないことを示唆しています。

昔の全羅道や水俣のような社会では、食事に関しては金銭のやり取りはありません。
つまり現在の経済基準では、経済成長はおろか、低所得の貧困地域にみなされかねません。
しかしお金がさほど流通していなくとも、豊かさは実在するのです。
自然からの恵みは、たとえそれを得るために特定の個人が汗をかく必要があるとしても、基本はみんなのものという認識があれば、いまとは違った経済が育っていくはずです。
全羅道や水俣の話、あるいはセンの主張は、それを示唆しているように思います。

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2015/01/15

■節子への挽歌2694:往来できる世界での別居

節子
節子も会ったことのある佐々木夫妻が来てくれました。
奥様が韓国から帰国されたので、お2人で来てくださったのです。
お2人は、節子が闘病中にわが家にも来てくれて、いろいろとアドバイスしてくれました。
節子がいなくなってからも、献花に来てくれました。
そして、まだ私が元気がなく旅行などとてもできなかった時に、私をわざわざ韓国にまで招待してくれました。
もしその招待がなければ、私は海外旅行など行く気にはならなかったでしょう。
節子が発病してから海外旅行はしていませんから、10年以上、パスポートは使っていませんでした。
あわててパスポートを取りに行きました。
まさか、海外に行くとは思ってもいませんでした。
韓国ではお2人にはお世話になりっぱなしでした。
私自身、まだ精神的にも不安定だった時期です。
せっかく、いろいろと案内していただいたのですが、私の反応は頼りないものだったことでしょう。
行くには行ったものの、心はまだわが家にあったような気がします。
それでも、その海外旅行のおかげで、その後、遠出もできるようになりました。
そして少しずつ自分自身を取り戻してきたのです。
そんなわけで、お2人にはとてもお世話になっています。

お2人は今、仕事の関係もあって、岐阜とソウルに、分かれて暮らしています。
岐阜とソウルでは、その日のうちにお互いに行ける距離です。
もしかしたら。とてもいい距離なのかもしれません。

私たちの場合は、此岸と彼岸です。
そう簡単には往来できません。
それに昔はともかく、最近は両岸をつなぐ通路も閉じられてしまったようです。
できることなら、私たちもせめて往来ができるところでの別居であってほしかったです。
時に、無性に会いたくなることもありますので。

私は、いつか此岸と彼岸とは往来できるようになるだろうと思っています。
残念ながら私の今回の現世滞在中には、それは実現できないでしょうが、もしかしたら、彼岸から此岸への道はもう開いているのかもしれません。
それに、そもそも肉体から自由になった魂は、時空間を超えて自由に飛び回れるような気がします。
だとしたら節子は私の今の人生を見ているのかもしれません。
そうであれば、たまには声をかけてほしいものです。
いや声をかけているにも関わらず、私がまだそれを受信する能力を身につけていないだけかもしれません。

仲の良い佐々木ご夫妻と話していて、そんなことを考えてしまいました。
仲良し夫婦を見ていると、とてもあったかくなります。

それでも、その後にちょっとさびしさもやってきますが。

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■誠実な生き方

私の好きなテレビ番組「小さな村の物語 イタリア」の190話のことを挽歌に2回ほど書きましたが、その最後に、「誠実な生き方」という言葉を使い、それに関しては時評編で書くと予告してしまいました。
それを読んだ読者から、楽しみにしているというメールをもらいました。
番組を見ていた時には、71歳のロレンツォ・パルマーノの生き方に、私とは比べようもないほどの誠実さを感じたのですが、改めてそれについて書こうと思ったら、なかなか考えがまとまりません。
しかし、メールをもらったからには書かなければいけません。
さてさて困ったものです。
しかし、ロレンツォの生き方から私たちが学べることは多いと思います。

たとえば、こんな生き方です。
ロレンツォは、挽歌に書きましたが、狩りが趣味です。
猟犬を数匹飼っており、もう年老いて猟ができない老犬も2匹います。
彼らの食事づくりも、ロレンツォの仕事です。
愛犬の食事が終わると、なぜかまた別の食事づくりです。
そしてそれを畑の外に置きに行きます。
実は森にいるシカが畑を荒らさないように、畑の外に食事を置いておくのです。

私はイスラム過激派への抗議のデモを思い出しました。
ロレンツォの態度とあまりにも違います。
シカに畑を荒らされるのは、ロレンツォにとっても嫌なことでしょう。
だからと言って、畑に網をめぐらすわけではありません。
もちろん抗議デモをして、行政に解決を求めるわけでもありません。
その代わりに、森に食べ物がなくなってしまったシカのために、わざわざ食事をつくって提供してやっているのです。
ナレーションでは、「自然へのレスペクトを忘れない」と語られていました。
レスペクトは感謝に通じます。
自分に禍をもたらすように見えるものにも感謝する。
私が最近、「誠実」と感ずる生き方は、こんな生き方かもしれません。

パリの市民たちには、こうした誠実さがありません。
イスラム過激派と言われている人たちも、好きこのんで暴挙に出たわけではないでしょう。
追い詰められて、これ以上、生きてはいられなくなっての暴挙かもしれません。
もしそうなら、「敵」(もしいるとしたらですが)はほかにいる。
むしろ一緒になって解決策を考えるのが、私が考える「誠実な取り組み」です。
「対立」は、誠実の欠如から生まれるのかもしれません。
暴挙には屈しないと声高に叫んで、あえて風刺画を再掲するような行為は、相手の思いを逆なでするだけで、言論の自由を大切にする姿勢とは思えません。
ロレンツォの行動とパリ市民の行動は、私には真反対に感じられます。

ちなみに、ロレンツォの誠実さは、シカや自然に対してだけではないでしょう。
だからバールの最終日に、谷間中の人たちが来てくれたのでしょう。
誠実さは、いつも幸せをもたらすのです。
私のお別れ会にはどれほどの人たちが、自発的に行こうと思ってくれるでしょうか。

ついでに、同じ番組に出てきた91歳の木工職人ルイージ・スクレムさんの言葉も紹介しておきたいと思います。
彼はこう語っています。

人生、誠実に仕事をすることが大切です。
支払いもなんでもごまかすことはしてはいけないんです。
そうすれば大きな問題なく、毎晩いい眠りにつける。
稼ぎは少なくても、安心できて心おだやかなのが一番です。
私が誠実に生きていないことの証は、時々、いい眠りにつけないことです。
誰かをごまかすことはしていないつもりですが、ルイージには遠く及ばない生き方なのでしょう。
反省しなければいけません。

長くなりました。
また続きを少し書いていきます。

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2015/01/14

■節子への挽歌2693:「幸せ」の思い出

節子
昨日の「小さな村の物語 イタリア」(190話)のことを、時評で書いているうちに、やはり挽歌にしようという気になりました。
というのも、節子が元気だったら、私たちもロレンツォ夫妻の幸せは私たちの夢に通じていることに気づいたからです。

ロレンツォとは、その番組に出てくる71歳の主人公です。
私とほぼ同世代です。
舞台は、北イタリアの谷間の村コメリアンス。
そこで48年間、ロレンツォは妻と2人でバール(バー)と食料品店をやっていました。
しかし、ロレンツォは店を閉じることに決めました。
奥さんはもう少し続けたかったようですが、彼はむしろ趣味の狩りをやったり、もっとゆったりした暮らしを望んだのでしょう。
どんなにうまくいっていても、歳に合わせて、生き方を変えるのは大切なことです。

48年続いたバールをやめることにした時、感謝の気持ちで谷間中の人たちに自由に飲んでもらうことにしました。
たくさんの人たちが集まったでしょう。
私には、ロレンツォ夫妻は最高の幸せを味わっただろうなとうらやましく思いました。
ロレンツォはこう話しています。

バールをやっていて本当によかったです。
だれもが挨拶に立ち寄ってくれた。
谷中の人が家族のような感じだったんです。
たくさんの人と知り合って、多くの現実を知り知恵も増えました。
それぞれがいろんな経験があり語るべきことがありますからね。
ボクらはお互いの人生や人柄を知り尽くしているんです。
実は、時評編にこう書いてきて、はっと気がついたのです。
私たちにも、ちょっと似た小さな体験があったことを。

私たちは湯島のオフィスで毎月最後の金曜日の夜、オープンサロンを開催していました。
いまも続いていますが、雰囲気は全く違っていました。
いささかバブリーでしたが、軽食やお菓子も節子が用意してくれていました。
ビールもコーヒーも飲み放題でした。
だれでも歓迎で、会費もなく、出入り自由でした。
多い時には20人を超す参加者がありました。
テレビの取材があったこともあります。

最初は、節子はこの集まりがあまり好きではありませんでした。
それに参加者が増えてくると買い物も大変で、いつも上野の松坂屋で買ってタクシーで湯島まで持ってきてくれました。
当時もあまりお金がなかったので、節約もしなければいけません。
しかし、節子も私の思いを知っていたので、会費をとろうなどとは言い出しませんでした。
そのうちに、参加者がいろいろと持ってきてくれるようになりました。
しかし、それが多くなりすぎて、これまた節子は大変だったようです。

しかし、だんだんと節子もそのサロンになじみだしました。
節子も知り合いが増えていきました。
それに私がどんな活動をしているかも、理解してくれるようになっていきました。

ところが、私があまりに忙しくなり、体調が悪くなってしまいました。
「大きな福祉」を理念にした活動では、どんな相談にも乗ると公言してしまったからです。
おかげで、仕事をする暇もなくなり、人生は変わってしまいました。
借金もそれなりに増えました。
それで、サロンを一時中断し、私自身、生き方を見直すことにしたのです。
最後のサロンにはたくさんの人が集まってくれました。
最後の最後に遅れてやってきた人からは立派な花束まで、節子はもらいました。
ロレンツォ夫妻ほどではありませんが、少しだけ私たちは幸せを味わいました。

そのあと、私は健康診断をしましたが、節子も一緒に行きました。
そして異常が発見されたのは、私ではなく、節子でした。
幸せの後には不幸が来るものなのかもしれません。
ロレンツォ夫妻がそうでないことを心から祈ります。
しかし、ロレンツォはそうはならないでしょう。
その生き方が私とは比べようもないほど、誠実なのです。
それについては、時評編に書こうと思います。

長い思い出話になってしまいました。

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2015/01/13

■節子への挽歌2692:輝きに満ちた瞬間

節子
昨夜、久しぶりに節子の夢を見ました。
それも最初に会ったころの節子でした。
節子の冷たい手を、私が温めてやっている夢でした。
本当は、私の手の方が冷たいはずなのですが。

なぜそんな夢を見たのか。
心当たりが一つだけあります。

時々、書いていますが、私の好きな番組のひとつに「小さな村の物語 イタリア」があります。
昨日、北イタリアの谷間の村のコメリアンスの話(第190話)をみました。
http://www.bs4.jp/document/italy/onair/190.html
いつもながら、番組は深いメッセージを含意していましたが、それは近々、時評編で取り上げるとして、夢の原因と思われるのは、最後のナレーションです。
少し文脈が違うのですが、私の心に響いたものを紹介させてもらいます。

一度、足をとめて、昔のことを思い出してみる。
そうすれば、ささやかだけれど、輝きに満ちた瞬間を感じるはずだ。

このナレーションだけ切り取って引用するのは、プロデューサーの田口さんに叱られそうですが(文脈も違えば、表現も少し違います)、「昔のことを思い出してみる」とつなげて、「輝きに満ちた瞬間」という言葉が、なぜか深く心に響いたのです。

私は過去を思い出すことが不得手です。
過去にはほとんど関心がないからです。
にもかかわらず、「節子という過去」に呪縛されて生きています。
もしかしたら、私の中では、いまだ「過去」になっていないのかもしれません。
節子に話しかける場合の心情は、過去の節子にではなく、いまここにいる節子にです。
なかなかうまく表現できないのですが、節子はまだ私とともに「いる」という感じなのです。

ですが、昨日、そのテレビのナレーションを聞いてから、少し昔の節子を思い出しました。
未来を見つめながら素朴に誠実に現実を生きている節子の前に、おそらく経験もしたことのない、いささか常識的でない私が現れたのです。
混乱しないわけがありません。
そして気がついてみたら、一緒に住んでいたわけです。
私は、当時は、毎日を創出するような姿勢で生きていた気がします。
大げさな生き方ですが、過去の呪縛を捨てて、節子との生活を一から創っていくというつもりだったのです。
つまり、毎日が創造的な「輝きに満ちた瞬間」だったのです。

それが私たちの最初の1年でした。
残念ながら、そうした生活は1年もすれば、日常化し、輝きは消えていきます。
私の考えていた反常識的な生活は、現実化していきました。
しかし、そのおかげで、私たちの結婚生活は破綻もせずに、持続したのです。
後で聞いた話ですが、そうは続かないだろうと言っていた人もいたようです。

いまにして思うのですが、節子だからこそ、続いたのかもしれません。
節子を洗脳するはずの私が、洗脳されてしまったのかもしれません。
不思議なほどに、節子は私に反発せずに、私のスタイルを受け入れてしまったのです。
現実感のない、かなり変わった生き方を、です。
何しろ、最初は6畳一間の「神田川」生活でした。
もちろん家具など何もなかったのです。
古い借家で、暖房器具もなく、冬は寒くて仕方がなかったです。
それが、私の理想の同棲生活だったのです。
いまから思えば、節子はよく付き合ってくれました。
私が妥協してしまったこともありますが。

しかし、何もなくても輝きはありました。
あの頃の節子は、輝いていました。
節子はたぶん、私と結婚したことで、「輝きに満ちた瞬間」を少しは体験したと思っています。

一緒に住みだしてしばらくして、会社の広い社宅に転居しました、
そして東京に転勤。
それで、私たちのいささかスリリングな生活は、退屈なものに変質したように思います。
あの1年は、私たちの生き方を決めた1年だったような気がします。

休日はいつも京都か奈良を歩きました。
そして、駅から20分もかかる畳一間の借家への暗くて寒い夜道を、いつも手をつないで歩きました。
私の手はいつも冷たかったのです。

いささか長すぎる昔話でした。
これだけ書いたので、今日はもう夢は見ないでしょう。

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■パリの大規模デモへの一抹の不安

連続テロ事件が起きたフランスの各地で11日、テロに屈しない決意を示す大規模な行進があったと各紙が報じています。
フランスのメディアによれば、200万人を超える人が参加したそうです。
しかも、パリでのデモ行進の先頭には、国家や宗教を超えて、さまざまな人たちが歩いていました。
オランド大統領の呼びかけに応じて、イギリス、ドイツの両首相らが腕を組んで行進し、その隣には、イスラエルのネタニヤフ首相、パレスチナ自治政府のアッバス議長の姿もありました。
それをテレビで見た時には、感激しました。
大きな困難の前には、団結が実現するのだと思ったのです。

しかし、テレビで見たパリの共和国広場の大群衆の映像が、気になってしまいました。
なぜかヒトラーの演説に集まった大群衆に、イメージが重なってしまったのです。
こんなことを思うこと自体、非難されそうですが、どこかに間違いが隠されているような気がしてなりません。

今朝のテレビでは、イスラム過激派ボコ・ハラムが、少女に自爆テロを強制した事件を報じています。
許されない非道な行為と報じられていますが、私もそう思います。
しかし、なぜ彼らがそこまでやってしまうのだろうか、という疑問も同じようにますます強まってきます。
本当に、イスラム過激派だけを責めていいものなのか。
パリの行進に集まった各国の首脳たちに、責任はないのか。
そして、イスラム過激派に関する報道は、果たして事実なのか。
そうした問いかけが、ますます大事になってきているように思います。

父親を水俣病で亡くし、自らも水俣病患者だった緒方正人さんは、その著書「チッソは私であった」の中で書いています。

私がチッソの中にいたらどうしただろう、30年、40年前、チッソの中にいたらどうしただろうかと考えることがヒントでした。今まで被害者、患者、家族というところからしか見ていないわけですね。立場を逆転して、自分が加害者側にいたらどうしただろうかと考えることは今までなかったことでした。そして、私も同じことをしたんじゃないかという恐ろしさを初めて感じました。
緒方さんは、問題の立て方を変えることにしました。
そして緒方さんは、チッソに対する訴訟からおり、新しい生き方にうつりました。
その基本にあるのは、人間の尊厳性の回復です。

対立からは、何も生まれません。
人として話し合えば、そして魂が通じ合えれば、殺し合うことは起こらないでしょう。
それに、人間は社会的な存在ですから、生物的な「生命」を奪わなくとも、相手を殺すことはできます。
そして、自分では気づかないまま、相手を殺していることもあるのです。
非道な行為を始めたのはどちらが先かは、大きな目で考えなければなりません。

共和国広場の大群衆に熱気の中から、何が生まれて来るのかに、いささかの不安があります。
歴史は繰り返すとよく言われますが、そうならないことを祈るばかりです。

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2015/01/12

■節子への挽歌2691:年賀状を読んでいると自分の心境がよくわかります

節子
今日はメールをやっている人たちにほぼ全員、年賀状の返信をさせてもらいました。
ハガキでの返信は先延ばししてしまいましたが。

年賀状を読むと、その人の1年が伝わってきます。
そこにはいろんな人生があります。
まさにそこには、喜怒哀楽に満ちた社会の縮図があります。
こういう感じで年賀状をゆっくりと読んだことは最近あまりありません。

同世代の人の年賀状には、健康に関係した記事も少なくありません。
健康を害したために、好きなテニスを禁じられたとか、書こうと思っていた本を諦めたとか、東京が歩きにくいことがわかったとか、いろいろとあります。
そういう人はみんな、私に無理はしないようにとアドバイスしてくれます。
自分が健康を害して、その大切さに気づくのでしょう。
たしかに、頭でわかっているのと自分がそうなるのとでは、まったく違うことでしょう。
アドバイスはきちんと聞き入れなくてはいけません。

ご夫婦で旅行に行っている写真も少なくありません。
以前は、そうした社員を見ると何やら私までもがうれしい気持ちになりましたが(節子がいなくなってからもです)、なぜか今年は寂しさを強く感じました。
節子がいないことが、実感できるようになったからかもしれません。

一番さびしいのは子供やお孫さんと一緒にいる写真です。
私は娘が2人いますが、残念ながら孫がいません。

新しい活動に取り組んでいるという話は、これまではただただうれしいだけでしたが、今回は少しうらやましい気がしました。
私がもう新しい活動に早々取り組めなくなってしまったからかもしれません。
これは「嫉妬」かもしれません。
無理して私も巻き込んでくださいと書きたい気分ですが、相手には迷惑にしかならない年齢になってしまいました。

とまあ、年賀状を読んでいると、まるで自分の心境がえぐられるように実感できるのです。
そんなわけで、今日はたくさんの人の人生を感じながら、私自身の今の心境(認めたくないことも含めて)に触れることになりました。
たくさんの喜怒哀楽に襲われた感じで、いささか疲れた1日でした。

そんなわけで、ハガキの返信は先延ばしにさせてもらった次第です。

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■加害者保護に向かう原子力損害賠償制度の意味を考えるカフェサロンのお誘い

福島の原発事故は、それまで隠されていた、さまざまな問題を露呈させてくれました。
しかし、それにもかかわらず、大きな流れは変わらないどころか、逆に問題が隠されたり、加速されたりしているような気がしてなりません。
私は、まさに60年前の水俣病事件と同じではないかと思っています。
それもあって、この年明けに、「国家」に見切りをつけて、新しい視点で活動をされた水俣病患者でもある緒方正人さんの「チッソは私であった」という本を読みました。

その中で、保険や補償の意味についても、緒方さんは鋭い問題提起をしています。
それで改めて、保険とか共済といった問題も考えてみようと思っていた矢先に、原子力損害賠償制度について、問題提起しつづけている本間さんから電話をいただきました。
本間さんは、加害者保護に向かう原子力損害賠償制度の動きに危機感を持たれています。
それで、本間さんとお話して、本間さんの危機感をテーマにサロンを開くことにしました。
本間さんは、「反原発の大事なことを見落としていないか」「だれが日本を動かしているのか」という問題も視野に入れて話し合いたいと考えています。
タイトルは「原子力損害賠償制度」ですが、そこから見えてくる社会の統治構造やいま私たちに問われていることがテーマです。
本間さんは研究者ですので、タイトルも専門的な問題ですが、むしろ「本間さんの怒り」をテーマにしたサロンができればうれしいです。
いまの社会は、なぜか「怒り」が、無意識のうちに抑圧され、おかしな方向を向いてしまっているのが恐ろしいです。
本間さんは、問題はシンプルで普遍性があるとお話になっています。

平日の夜になりますが、ぜひ関心のある方のご参加をお願いします。
そうしないと本間さんの怒りは解けませんので。

○日時:2015年1月27日(火曜日)午後6時半~9時
○場所:湯島コンセプトワークショップ
http://homepage2.nifty.com/CWS/cws-map.pdf
○テーマ:加害者保護に向かう原子力損害賠償制度を放っておいていいのか
○問題提起者:本間照光さん(青山学院大学教授)
最初に30~40分ほど、本間さんに問題提起していただき、その後みんなで話し合いです。
○会費:500円
○参加ご希望の方は私(qzy00757@nifty.com)までメールください。

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2015/01/11

■節子への挽歌2690:年賀状の返事を書き出しました

節子
年賀状を読みだして、返事を少しずつ書き出しました。
そのなかに、とてもうれしい人からの年賀状もありました。
数年間、音信不通のOさんです。
昨年はメールでしたが今年は年賀状でした。
立ち直りだしているようです。
節子が必死に生き抜こうとしていた時に、自殺予告のメールをくれた人です。
時期が時期だけに、節子も私もいささか「怒り」を感じてしまいました。
その時期でなければ、私たちももう少し彼を応援できたのですが。
そのため極めてささやかな応援しかしなかったのに、Oさんは覚えてくれています。
そして、元気になって仕事も始めたことを報告してきてくれました。
今年は東京にも行きたいと書かれていましたので、再会できるかもしれません。

新しい活動に取り組みだしたという報告もいろいろとありました。
いつもなら素直に喜べるはずですが、なんとなく嫉妬心が浮かびます。
欲が深いのか、私もそうした活動に巻き込まれたいなと思ったりしてしまうのです。
歳をとるとだんだん僻みっぽくなるのかもしれません。
困ったものです。
もちろん中には応援したくなるような、うれしいものもあります。
しかし、いずれにしろ、みんなが元気になっていくのと反比例して、私の元気がなくなっていくのは、これもまた健全なあり方でしょう。

途中でまた用事ができてしまいました。
電話に出ると、ついつい余計なことを引き受けてしまうのです。
結局、今日はちょっとしか年賀状の返事はできませんでした。
山と積まれた年賀状をみると気力が萎えてしまい、理由をつけてはほかのことをしてしまうからです。
まあ、ここまで遅くなったのですから、急ぐこともないだろうと、勝手な理由を見つけて。
明日から少しずつ書くことにします。
全て終わらないうちに、やめてしまうかもしれません。
困ったものですが、頑張らないのも大切なことですから。
それにしても、注意しないと今年は忙しくなりかねません。
やはり携帯電話はできるだけでないほうがよさそうです。

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■経済とはだれのため、何のためにあるのか

来週あるビジネススクールで、「社会性企業」というテーマで話をします。
「社会性企業」という言葉は、私の造語ではなく、数年前にあるビジネススクールの一こまを頼まれた時に、指定されたタイトルです。
私自身、この言葉の意味を考えあぐねましたが、話し手が理解できていないタイトルで講義もするのもいいものだと思い、引き受けてしまいました。
もう4年ほど引き受けていますが、講義の最初は、受講者たちに「社会性企業ってなんですかね、何か矛盾した言葉ではないですかね」と質問することから始めています。
しかも、最後もまた、「で結局、社会性企業ってなんなのでしょうか」という疑問で終わるのです。
困ったものです。

私の講義は1年間のカリキュラムの最後のセッションです。
一昨年は、後で湯島にやってきた受講生から、他のすべての講義と真反対のことを言われて頭が混乱したという人もいました。
頭が混乱することはいいことです。
学ぶということは、混乱からしか始まりませんから。

ところで、今回は、経済ってなんでしょうか、という問いかけをしようと思っています。
経済成長が生活をよくするとか、経済とは金銭の話だとか、最悪の場合は、全体が豊かになれば格差はなくなるだろう、などといまだに思っている人がいるからです。

とてもわかりやすい現象が今起きています。
「円安」です。
円安で大企業は、何も変えなくとも、輸出を通して利益を増加させられます。
その利益が下請け企業や従業員を通して社会に流れて、みんなの生活をよくすると言われます。
しかし、実は円安によって増加した利益の源泉は、円安によって負担の増加を強いられた下請け企業や生活者が負担しているのです。
以前、トリクルダウンのことを少し書いたことがありますが、要は格差拡大によって、豊かな人はさらに豊かになっていくのです。
最近は、それを経済と称する人が増えています。

最近、トマ・ピケティの「21世紀の資本」が話題になっています。
昨日はNHKまでもが取り上げていました。
本も売れているようですが、私にはとても読み切れる内容はないので、まったく関心はありません。
それにそんな膨大なデータ解析をしなくても、実際の生活者にはわかっていることだけですから。
何も知らない学者の難しい議論にごまかされるのは避けたいものです。
ほとんどの場合、事実は簡単なのです。
富の増加は、どこかから収奪してくるしかないのです。

昨日、挽歌に水俣の緒方さんのことを書きました。
漁師の緒方さんは、漁師は自然の海から魚を盗んでくる泥棒だと自分のことを言っています。
その罪の意識を持つことの大切さを教えてくれているわけです。

話がそれてしまいましたが、経済とはだれのため、何のためにあるのか、それを今回はみんなに訊いてみようと思います。
それだけでも、講義はいいのではないかと思いますが、それではいかにも愛想がないので、昨日、90枚を超えるパワーポイント作成しました。
疲れ切りました。

ところで、皆さんは、経済をどうお考えでしょうか。

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2015/01/10

■節子への挽歌2689:年賀状を書かないで10日を過ぎてしまいました

節子
まだ年賀状をほとんど読んでいないのです。
明日から読み出そうと思います。
私は数年前から年賀状を出すのをやめてしまいました。
しばらくは年賀メールを送っていたのですが、それもやめてしまいました。
それでも毎年年賀状をもらったら、メールをやっている人にはメールを、やっていない方には年賀状を出していました。
今年は、それもやめたばかりか、年賀状もきちんと読みませんでした。
とくに理由があったわけではありません。
年末以来の疲れで、なぜか世間と関わるのが無性に煩わしかったのです。
年賀状を一枚ずつ読んで、一人ひとりに返事を書くのはそれなりに面倒なので、先延ばししたくなるわけです。
フェイスブックをやっている人は、それでも私がほどほどに元気なのを知っていると思いますが、そうでない人は心配して電話までしてきてくれます。
なにしろ親戚にもほとんど出していないからです。

年が明けてからですが、なぜか面倒なことをする気が起きないのです。
三が日、ほとんど何もせずに気ままに過ごしたのが快適だったので、それになじんでしまったのかもしれません。
世間の付き合いを絶つことは、たぶん快適なことなのでしょう。
時々、それに引き込まれたくなりますが、それを体験していないので、そこに入り込む勇気がまだ出てきません。
煩わしいと思いながらも、いまはまだ、世間との付き合いの魅力が勝っているのです。

世間との付き合いを絶つことの究極は、現世での生を絶つことです。
いずれにしろ、いつかそうなるわけですから、まあ急ぐことはありません。

年賀状を全く読んでいなかったわけではありません。
元旦に届いた100枚ほどは、一応、さらっと目を通したのですが、後は名前だけです。
しかもだんだん読むのも面倒になり、いまは机に積んでいくだけです。
200枚ほどたまったでしょうか。
届く年賀状は激減していますが、でもまだこれだけの人が年賀状をくださるのだと思うと不思議な気もします。
昔はよくまあ、あんなにたくさんの年賀状を書き、多くの人と付き合っていたものです。

年賀状をくださった方、申し訳ありません。
明日から少しずつ返事を書いて出すようにします。

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■節子への挽歌2688:緒方正人さんの本を読みました

節子
もし節子が元気だったら、一緒に会いに行きたい人ができました。
詳しいことは知りませんでしたが、水俣市の芦北に住む緒方正人さんという人です。
お名前だけは以前から知っていたのですが、緒方さんの語った本を2冊、読ませてもらいました。
ただただ敬服しました。
本当に生きている人だと思いました。
読んだ本は、「チッソは私であった」と「常世の舟を漕ぎて」です。
緒方さんとはもちろん面識もなく、勝手に思い込んでいるだけですが、これほど魅力的な人はそうはいないでしょう。
感激したので、場違いの挽歌にも書かせてもらいます。
節子にも知ってほしいからです。

これまで私もそれなりに魅力を感じた人はいました。
もう少し若い時には、会いたくなったら会いに行きました。
最近はそんな元気はないのですが、もし節子がいたら、緒方さんには会いに行きたい気分です。

緒方さんは、自分の生き方や考え方を問い質す過程で「狂って」しまいました。
正真正銘の、凄絶な狂いだったようです。
そして、自分にたどりついたのです。
その緒方さんの語りは、すべてすんなりと心身に入ってきます。
これほど違和感なく読めた本は、今まで1冊もありません。

何がすごいのか。
私が何に感激したのか。
それはなかなかかけませんが、ともかく嘘のない生き方をしています。
しかも自分を生きています。
私が目指しながら実現できていない生き方です。
私のように、中途半端な狂いではだめなのでしょう。

緒方さんは、奥さんのことも少しだけ語っています。
語りは少ないのですが、緒方さんの隣に奥さんがいることは、読んでいるとたびたび伝わってきます。
素敵な夫婦なのでしょう。

いつかお会いしたいと思いますが、水俣まで一人で会いに行く元気はありません。
でも会いたいと思いつづけていたら、会えるかもしれません。
これまでも、会いたい人には会えることが多かったですから。
その時は、節子も同行したいと思います。

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2015/01/08

■恐ろしいのは無責任な自粛と自粛のない無責任さです

今朝の朝日新聞に「政治家のネタ、NHKで没」というコラム記事が載っていました。
ちょっと気になる記事がでていました。
お笑いコンビの爆笑問題がTBSのラジオ番組で、NHKのお笑い番組に出演した際、事前に用意していた政治家に関するネタを局側に没にされたことを明らかにしたのだそうです。

新聞記事によれば、爆笑問題の田中裕二さんが「全部ダメって言うんだよな。あれは腹立ったな」と語り、それを受けて、太田光さんが「プロデューサーの人にもよるんだけど、自粛なんですよ。これは誤解してもらいたくないんですけど、政治的圧力は一切かかってない。テレビ局側の自粛っていうのはありますけど。問題を避けるための」と話し、田中さんは「色濃くなってるのは肌で感じるね」と応じたようです。

爆笑問題のおふたりには、自粛させるということこそが圧力の存在だということへの認識はないようです。
それに、自粛した人の言い分に従うこともまた自粛であるという自覚もないようです。
いずれも商業主義的な世界でのせめぎ合いでしかありません。
爆笑問題のような、典型的な権力寄生型の道化師的御用芸人は、権力にとっては好都合な存在でしょう。

これについて、NHKの籾井会長は8日の定例会見で、一般論として「個人名をあげて、色々お笑いのネタにするのはちょっと品がないんじゃないか」と語ったそうですが、籾井さんと爆笑問題はきっと気が合いそうです。

それはともかく、パリでは、イスラム教を揶揄する風刺画を掲載した新聞社シャルリー・エブドが襲撃され、画家も含めて12人が死亡するという事件が起きました。
「表現の自由」への攻撃として、犯人たちは非難されています。
そういえば、少し前には金正恩暗殺を題材としたコメディー映画「ザ・インタビュー」に反発した北朝鮮がサイバーテロを起こしたと話題になりました。
これに対しても、表現の自由の侵害と世界的なキャンペーン活動が展開されました。
私は、表現の自由の大切さは十分に理解しているつもりですが、表現する側にも節度があって然るべきだと思っています。
テロを起こすのはよくありませんが、テロに駆り立てるのも、好ましくはありません。
いかに自由とはいえ、個人の尊厳を揺るがすようなことは許せませんし、それは私には風刺とは思えません。
権利を実行する人には、それなりの責任と覚悟が求められます。

シャルリー・エブド社は、言論の自由を守るためにこそ、自粛もできたはずです。
ただやみくもに批判し風刺すればいいわけではありません。

ふたつの事件は、正反対のように見えて、私には同じものに感じます。
恐ろしいのは無責任な自粛と自粛のない無責任さです。

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■節子への挽歌2687:勘違いの自画像

節子
挽歌をよく読んでくださっている、まだお会いしたこともない方が、私たちのことを想像して描いてくれたエクセル画を、メールで送ってきてくれました。
正月返上で働いているとお聞きしていましたので、時間のない合間に描いてくださったのです。

20150106_2

この方も4年ほど前に伴侶を亡くされています。
メールにはこう書かれていました。

4年も経ち、いまだ家内の死を真正面から受け入れることの出来ない私は、間違いなく変人でしょうね
決して変人ではなく、むしろ、それが普通なのではないかと思います。
それへの対応の仕方が、私もこの方も不器用なだけでしょう。
不器用だからと言って、そう簡単には考えは変えられません。

この方は、以前もエクセル画を描いてくださいましたが、今回はこう書いてくれています。

お会いしたこともない佐藤様ご夫婦を、想像しながら描いた絵を添付させて頂きました。
場所も特定の場では御座いませんが、京都辺りを創作いたしました。
今年は、佐藤様にお会いできるような気がしております。
この絵に描かれている「私たち」には、私自身は大きな違和感があるのですが(太郎さん、すみません)、挽歌からはこういうイメージが生まれてくるのでしょうか。
この絵からは、品格のあるおしゃれな大人の雰囲気が感じられますが、実際の私たちはそれとは正反対でした。
品格とは縁もなく、おしゃれでもなく、たぶん成熟した大人の雰囲気もない夫婦でした。
気分的には、ふたりとも、かなり若い気分でもありました。
それに、私はコートも帽子も不得手でした。
私は、娘からカジュアルウェアが似合わない人と言われ続けていますが、たしかに我ながらそう思います。
しかし、本当はいまでも、若い人が着用するようなものが好みなのです。
カジュアルなものでないものも、おしゃれではありません。
一度くらい、高級な背広をつくったら、と言われながら、いつも互助会か何かで安い背広をつくってもらっていました。
その背広も節子が元気だったころのものですから、もう10年近く前のものしかありません。
しかも保存が悪かったため、何着かはよく見ると虫に食べられた小さな穴があるのです。
いやはや困ったものです。
ですから、エクセル画のような品格のある雰囲気にはならないのです。

ただそのくせ、いろいろとこだわりはあるのです。
おしゃれではない上に、着用するものの条件がたくさんありすぎるのです。
そのため節子は私の衣服の買い物につきあうのは好きではありませんでした。
私が着たくなるようなものに出会うことは少ないからです。

ところで、このエクセル画で感じたのですが、自分で持っているイメージと第三者に見えているイメージとは、違うのでしょうね。
事実、私は、私よりも若い60代の人たちをテレビなどで見ても、どうしても自分よりも年上に見えてしまうのです。
そして、歳相応に扱われることにむしろ違和感があるのです。

人はみんな、勘違いの自画像を持っているのでしょうね。
とりわけ伴侶のいない人は、そうではないかと思います。
困ったものです。

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2015/01/07

■真実を語れるのは体験者だけです

昨日に続いて、4日のサロンでの発言をもう一つ。

サロンには福島で仕事をされている方が参加されました。
福島の原発事故の後、自らが線量計を24時間装着した生活をずっと続けています。
そのデータを踏まえて、事故後の福島の状況に強い危機感をお持ちです。
湯島でも何回か、報告をしてもらいましたが、今回のサロンに参加した人たちにとっては初めて聞く話も多かったようで、質問攻めで、やむなく途中で話題を変えなければいけなくなったほどでした。
そして、ある人が、そうした実情はどうしたら入手できるのかと質問しました。
その方は、それはここの湯島サロンですよ、と応じました。

そのやりとりで、私はふたつのことを思いました。
まず、福島原発事故後の福島の状況について、あまりに情報がないということです。
というよりも、意図的に事実を隠すために、違うところに焦点を当てた情報がマスコミによって広げられているように思います。
真実を隠す最良の方法は、情報を知りたい人が望むだろう情報をどんどんと流すことです。
別に嘘をつかなくとも、真実のある部分を切り取って編集して流せば、正反対の印象を与えることなど、そう難しいことではないのです。
人は、聞きたいこと聞き、見たいものを見るものですから。
福島の被災地ツアーに参加しても、みんな同じものを見てくるわけではありません。
大切なことは、事実はできるだけ直接に見聞することでしょうが、まずはその姿勢を持つこと、少なくとも与えられる情報ではなく、自分で調べようとすることです。

もうひとつは、情報を入手できるのは「ここの湯島サロン」という意味です。
その気になれば、そういう場所はつくれるのだというのが、その意味でしょう。
直接福島に知り合いはいないとしても、周りを探せば、事故後の福島を体験している人は必ず見つかるはずです。
その人が東京に出てきた時に、その人を囲んで話を聞く場をつくることは難しいことではないでしょう。
そういう場はすでにたくさんありますが、もっともっと増やしていくことが大切です。
それも講演会ではなく、相互に話し合い確認しあえる場です。
そして、そういう場をつくる人が増えてくれば、もっともっと多くの人が福島の現実を知ることになるでしょう。

原発事故問題に限らず、そういうサロンが日本全国にどんどん広がれば、日本は変わっていくでしょう。
少なくとも、たくさんの道があることに気づくことができるでしょう。

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■節子への挽歌2686:カサブランカの香り

節子
昨日まで気づかなかったのですが、朝起きて節子に般若心経をあげていたら、カサブランカの香りが部屋に充満しているのに気づきました。
年末は、お金の節約で、カサブランカは買えなかったのですが、それではいけないと思い、元旦に買ってきました。
とても立派なカサブランカです。
しかし、いつものように香りがしないなと思っていたのですが、考えてみると開花しだしたのが3日くらいからです。
いまは4つの大輪が咲いていますので、香りも豊かになってきたわけです。

カサブランカに、特別の思い出があるわけではありません。
ただ私も節子も、この花が好きだっただけです。

節子はおしゃれではありませんでした。
香水などにもあまり興味はありませんでした。
私は、節子以上に興味はありません。
そもそも女性の化粧には、むしろ違和感があるくらいです。
化粧しない女性の方が私は好きでした。
最近はそうでもなくなってきましたが。
それでも最初に仕事でパリに行った時に、節子に香水セットを買ってきたのですが、言葉が通じなかったためか、なんと男性用でした。
結局、使われることなく廃棄されました。
それくらい私も節子も知識も関心もなかったのです。

私が、カサブランカの花の香りが好きだと気がついたのは、節子を見送って、しばらくしてからです。
その香りが、なんとなく節子を思い出させてくれるのです。
節子の香りではなく、節子を思い出させてくれる、ちょっと悲しい香りなのです。
香りの中には思い出が込められていることを知ったのも、節子が逝ってしまってからです。

今日は、カサブランカの香りに包まれた部屋で1日を過ごそうと思います。
幸いに今日は、出かけなければいけない用事はありません。
「苦界浄土」を読みましょう。
きっと彼岸がもっと感じられると思います。
電話がなければいいのですが。

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2015/01/06

■学生時代のような熱い議論を取り戻そう

4日に新年交流サロンを急に思い立って、開催しました。
12人の参加がありました。
初めて湯島のサロンに参加してくださった方から翌日、メールが来ました。

昨日は久しぶりに学生時代に戻ったような
楽しい時間を過ごすことができ、本当にありがとうございました。
たしかに、言われてみると、湯島のサロンは、学生時代を思い出すような喧々諤々の議論がよくおこなわれます。
時には、ホットになりすぎて、少し雰囲気が険悪になることもあります。
ぎりぎりのところで、一応、ホストの私がストップをかけて、雰囲気を変えるスウィッチャー役を果たすのですが、時に私自身が議論で熱くなってしまい、うまくいかなくなってしまうこともありました。
メールをくださった方は、学生時代、弁論部だった50代の人です。
その方が書いているように、自由に話し合うのは楽しいものです。

当日、一番燃えた議論は民主主義と現在の政治の話でした。
国会に熟議がない現在、国民である私たちが本音をぶつけ合わなければいけません。

フェイスブックに参加者の笑顔の写真をアップしたら、参加した女性の方がこうコメントしてくれました

笑顔の写真もいいけど、皆さんの真剣な姿も悪くないなと思いました。
写真を見ると「楽しい」ように見えないかもしれませんが、様々なバトルが楽しかったですよ♪
大人になると、青臭い議論や真剣なバトルは避けるようになってきます。
私のような青臭い議論が大好きで、つい熱くなってバトルになってしまう大人はそう多くないかもしれません。
学校を卒業してもう50年以上たちますが、いまもなおバトル議論が大好きです。
ただし、相手が本音で語ってくれる場合ですが。
だから湯島のサロンは、時々、青くホットになるのです。

私は、いまこそ青臭い議論が必要だと思っています。
知識をため込んでわかったようになることが、一番罪深いことだろうと考えています。
自分で考え、それを隠すことなくぶつけ合い、相手からも学び、これからの社会に向けてのしっかりした生き方を実践しなければ、社会はますます砂上の楼閣になっていくように思います。

しかし、メールくださった方が感じたように、そうした「議論の場」が大人になるとなくなってしまうのです。
分別などというおかしなことに自己規制されて、本音を語ることをみんな躊躇してしまいがちです。
紅白歌合戦で、サザンが安倍首相を裸の王様にもじったような歌を歌ったそうですが、本音を語ることを控えている人たちも、私には裸の王様の仲間に見えます。
本音も話せず生きていても楽しくないでしょう。

今年は、若いころを思い出して、青臭い議論をどんどんするようにしませんか。
話したくなったら、ぜひ、湯島に来てください。
こんなテーマでサロンをしたいというご希望がある方には、湯島を喜んで開放させてもらいます。

人間は話しながら考え、実践策を見出していくものです。
対話や熟議の時代を取り戻したいです。
人間として生まれたからには、最後まで人間として生を全うしたいものです。

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■節子への挽歌2685:不幸に恵まれた人生

節子
運動不足のせいか、あるいは食べ過ぎのせいか、どうも心身の軽やかさがありません。
最近、睡眠はきちんととっているのですが、なぜか眠いのです。
永眠に入るにはちょっと早い気もしますが、困ったものです。

「苦界浄土」を読むつもりが、年が明けた途端に、本を読む気が失せてしまいました。
年末から年始にかけて、いろんなことがありました。
「苦界浄土」だけではなく、何冊かの本をパソコンの横に置いていますが、読む気が起きません。
気がないと読んでも頭に入りませんから、読まないほうがいいのです。

何かとやることは多いのですが、やらなくてもいいことばかりやっているのかもしれません。
私の場合、いつも「思うがまま」に、やるかどうかが決まってきます。
ですから時々、なんでこんなことをやっているのだろうかと自分で思うことも多いのです。
しかしやりだしたことは、途中で投げ出すわけにはいきません。
節子からはいつも「あなたの優先順序のつけ方はおかしい」と言われていましたが、たぶん私の判断基準は世間からずれているのです。
この性癖もまた、いつになっても直りません。

しかし、世の中には「やらなければいけないこと」が多すぎます。
誰かに頼まれたわけでもないのですが、頼まれていないからこそ、やらないといけないというのが私の気分なのです。
しかし、それをすべて受けているとまたまた時間破産に陥ります。

パスカルは「パンセ」で、人は部屋でじっとしていられずに外に出ていくために不幸になるのだと書いているそうですが、まったく同感です。
だれともつきあわずに、ひっそりと生きていれば、不幸にはならないでしょう。
「引きこもり」の魅力に、時々、身を任せたくなることもありますが、これもまた、私にはできそうもありません。
私はたぶん、不幸に恵まれた人生を送るように生まれついているのでしょう。
こんな寒い日は、自宅でゆっくりしていればいいものを、と我ながら思うのですが。
しかし、石牟礼さんも、そうやって「苦界浄土」の世界に引き込まれたのでしょう。
こんな言い方をすると叱られそうですが、その世界に魅了されれば、幸せや不幸などは超えられるのはないかと思います。
そして、時間もまた超えられる。
生と死の境界すら超えられるのかもしれません。

今日、少し遅れた年賀状がYさんから届きました。
そこに、「NPOにつまづきを感じながら頑張っています」と書いてありました。
YさんがNPO活動に取り組みだしたきっかけには、私もささやかに責任があります。
それで私も何回か足を運びました。
お礼に大根やそば粉をもらったこともあります。
お金をもらった仕事はすぐ忘れてしまいますが、漬物や大根をもらった仕事は決して忘れることはありません。
それに、Yさんはわざわざ作業用の軽トラックでKさんと一緒にわが家まで節子に花をあげに来てくれました。
その恩義を忘れるわけにはいきません。

この一言のメモを書いたのは、YさんもKさんもきっと何か困っているからでしょう。
その声を聞いてしまった以上、何かできることを考えなければいけません。
だから年賀状を読むのが好きではないのです。
人とつきあうと、本当に不幸になるのです。
パスカルは、どうしたのでしょうか。
間違いなく不幸だったでしょうね。

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2015/01/05

■節子への挽歌2684:永遠と一日

節子
ギリシア映画「永遠と一日」を有楽町のシャンテ・シネで一緒に観たのはもう15年ほど前になるでしょうか。
私はギリシア映画は苦手なのですが、古代ギリシアの会パウサニアス・ジャパンの事務局長をやっていたので、節子を誘って出かけたのです。
ギリシア映画は重いので、一人で見る自信があまりなかったからです。
節子はこういう形で、よく付き合わされて迷惑だったことでしょうが、いつも気持ちよく付き合ってくれました。

この映画の監督は、テオ・アンゲロプロスという巨匠です。
名作をたくさん残していますが、私は見た後、疲れ切ってしまうので苦手でした。
「永遠と一日」も、私には苦手の展開でした。
ところが、どうしたことか、最後になって、涙が止まらなくなったのです。
涙だけであれば、いいのですが、嗚咽を止められないほどでした。
終わってからも止まらず、映画館を出ても止まらないのです。
泣きながら有楽町の人混みのなかを歩いたわけですから、すれ違った人はどう思ったでしょうか。
節子はさほどでもなく、後でどうしてあんなになったのと笑われるほどでした。
しかし、無性に泣きたくなったのです。
最近は涙もろくなったのですが、当時はそんなことは滅多にありませんでした。

この映画のテーマは「愛と死」です。
ホームページでよく著書を紹介させてもらっている一条真也さんが、その映画を観て、感想をブログにお書きになりました。
http://d.hatena.ne.jp/shins2m+new/20150104/p1
一条さんらしく、とてもていねいに解説されていますので、みなさんもぜひ読んでみてください。
感受性豊かな一条さんの感想を読むと、きっと映画も観たくなります。

実は、私もこの挽歌でこの映画のことに言及しているだろうと思っていました。
しかし探してみましたが、記事の中に少しだけ言及されてはいましたが、きちんと書いたことがないことに気づきました。
節子を見送った後、この映画のことをよく思い出しています。
何回か見ようと思ったこともあります。
しかしやはり観ることはできませんでした。

私のホームページを探してみたら、アンゲロプロス監督の「エレニの旅」に関して書いた記事に、私が「永遠と一日」で号泣した記事(2005年3月)がありました。
「エレニの旅」は観ないと断言していますが、その時に私の気持ちが思い出されます。
2005年といえば、節子はもう発病後です。
観ないと明言することで、私の気持ちを表現していたのです。
ホームページには節子の病気のことは基本的に書かないようにしていたのです。

「永遠と一日」であんなに涙が止まらなかったのは、節子をもうじき見送ることを無意識に感じていたのではないかと思うことがよくありました。
そうでなければ、あんなに嗚咽するはずもありません。
しかし、私たちが「永遠と一日」を観たのは、節子の胃がんが発見される数年前です。

一条さんのブログに、この映画のタイトルの意味が書かれています。

アレクサンドレ(主人公)が亡き妻に「明日の時の長さは?」と問いかけると、妻は「永遠と一日」と答えます。
節子を見送って、数年して、私はこの意味をようやく実感できるようになりました。
私もどこかにDVDがあるはずなので、思い切って観てみようかと思います。

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2015/01/04

■節子への挽歌2683:湯島天神にお詣りしました

節子
今日は今年最初の湯島でのサロンでした。
年末に思い立って、案内をしたところ、11人の人が参加してくれました。
それも初めて湯島に来てくれた人が3人もいます。
3時間半の予定が5時間近くになってしまいました。

終わった後、久しぶりに湯島天神にお詣りしました。
実はサロンの始まる前に行こうと思ったのですが、なんとオフィスのあるビルの前まで行列で、交通規制をしていました。
並ぶのは性に合わないので、ベランダから下の通りを眺めていました。
お茶の水方面からどんどん人が来ます。
たぶん神田明神から流れてくるのでしょう。

Tenjin20152

節子とは毎年、年のはじめに車でやってきて、オフィスの大掃除をしたものです。
しかし、年々、参詣客が増え、年始には交通規制で入れなくなってしまいました。
それをしらずにやってきて、交通規制しているお巡りさんにむりやり入れてもらったことを思い出します。

節子がいなくなってから、しばらくは年末か年始に大掃除に来ていましたが、最近はやめてしまいました。
それで今日はサロンが始まる前に少しだけ片づけと掃除をしました。
節子のお気に入りのリトグラフも壁に掛け直しました。
お正月用の飾りもあるはずですが、探したのですが見当たりません。
しかたなく小さな鏡餅だけを用意しました。
しかし、掃除はやはり退屈で、途中でやめてしまったので、さほどきれいにはなっていません。
今年はトイレ掃除をきちんとしようと思います。
イエローハットの影山さんと一緒に湯元の公衆トイレの掃除をしたことを思い出します。

サロンには女性の方が3人参加してくれていましたが、終了後、私が誰かと話してくれているうちに、カップなどや炊事場をみんなきれいにしてくれました。
あげくのはてに、布きんなどまで新しいのを持ってきてくれました。
最近の湯島は、そんな文化になっています。
みんなが私の弱みを助けてくれるのです。
感謝しなければなりません。

サロンが終わってバタバタしていたら暗くなってしまいました。
湯島天神もすいていたので、久しぶりにお詣りしました。
節子がいなくなってから足が遠のいていたのですが、今年はもう少しお参りしようと思いまちょっとだけ懺悔をしました。
今年は、良い年になるといいのですが。


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2015/01/03

■節子への挽歌2682:何かを共有していると思えれば、人は会わなくてもいいのかもしれません。

節子
今日は朝からゆったりしています。
そうなったのは、たぶん暖かな陽射しのせいです。
窓から見える手賀沼の湖面が、きらきらととてもきれいでした。
この光景が節子は大好きだったのを思い出します。
天候や自然の景色は。心身に大きな影響を与えます。
まるで、今日が元旦のような感じがしてきました。

広島のOさんが、電話してきてくれました。
いろいろとお話したのですが、最後にはっと気づきました。
私はOさんに一度もお会いしていないのです。
一度も会ったこともないのに、Oさんは私がブログなどに弱音を書くと電話で元気づけてくれます。
いつぞやは美味しいお米まで送ってきてくれました。
そのお米のご飯を食べると、私が元気になると思ってくれたのです。
それで、ついついお会いしたことがあるという感じになってしまうのですが、会ったことは一度もありません。
実に不思議な関係です。
今年はお会いでしたいですね、と電話で話し合いましたが、離れているのでそう簡単には会えません。

そういえば、鳥取にも、一度もお会いしていないのに、よくメールをくれる方がいます。
人は会わなくても、心を通わせ会えるのかもしれません。

年賀状を見て、この人とはもう20年以上も会っていないなと気づくことがあります。
なかには40年ほど会っていない人もいます。
それでも、関係はつづいています。

スイスのYさんは、娘は長い旅行だといいました。
手賀沼の湖面を見ながら、節子もこの光景を見ているような気がしました。
何かを共有していると思えれば、人は会わなくてもいいのかもしれません。
いずれにしろ、そのうち、彼岸で会えるのですから。

と思いながらも、やはり会いたい気分は残ります。
そのせいか、今朝、節子の夢を見ました。
あまり良い夢ではなかったのですが。

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■ヘンリー・スティムソンの知恵(2015年1月3日)

最近、いろんなトラブルに巻き込まれたせいか、人への信頼感が揺らいでいました。
世の中には、もしかしたら「本来性悪の人」がいるのではないかと、少し思い出していました。
そう思うと、ますます人への不信感が高まります。
会いたくないなどと思うことさえあるようになってしまいました。
それでは、人生は楽しくなりません。
昨年の私の体調不良は、そのせいかもしれません。

昨日、真夜中にふと思いだしました。
ヘンリー・スティムソンの言葉です。
スティムソンは、アメリカのトルーマン政権の陸軍長官でした。
1965年の9月の閣議で、ソ連を威圧するために水爆開発に積極的なトルーマンに対して、彼は異を唱えます。
彼はこう語ったそうです。

私が長い人生で学んだ教訓。
それは、ある人間を信頼にたる人間にする唯一の方法は、こちらが彼を信頼することである。
こちらが不信感を示せば、相手は信頼できない人間になる。
この言葉を、私は昨年、オリバー・ストーンが語るアメリカ史で知りました。
とても納得できます。
信頼したければ、信頼すればいいのです。
その信頼が純粋のものであれば、絶対に裏切られることはないでしょう。
もし思った通りにならなかったとすれば、問題は自分にある。
実は、私も頭ではそう思っています。
しかし、なかなかうまくいきません。
どうしてでしょうか。
私の信頼の仕方が十分でないからなのでしょうか。
それとも、日本社会の本質が変わってしまったからでしょうか。

私が子供のころは、間違いなく、みんな他人を信頼していました。
人をだましたり、泥棒したりする人がいたとしても、それは生きるための苦肉の策であって、悪い人はいませんでした。
もう一度、みんながお互いに信頼できて、少しくらいの悪事は許容できる社会を目指せないものでしょうか。

今年は、もう一度、スティムソンの教訓を意識しなおそうと思います。
その手始めに、まずは自分を信頼することから始めようと思います。

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2015/01/02

■「歴史は人間をユートピアに導きはしなかった」

今日のタイトルは、昨年読んだ山崎憲さんの『「働くこと」を問い直す』(岩波新書)の書き出しの文章です。
この文章がずっと気になっています。
そして、「私たちは何か大きな間違いをしているのではないか」と思いだしています。
一言で言えば、今はまさにユートピアではないのかということです。
それに気づかず、人は常に先を目指す、つまり「進歩」を目指す。
でもそれは人を幸せにするのでしょうか。

人は、幸せであろうと同じ状況が続くと退屈します。

アーサー・C・クラークの「都市と星」はSFの古典ですが、そこには理想の都市ダイアスパーが登場します。
そこで暮らす人たちは、1000年の寿命を得て、平安な生活を楽しんでいます。
主人公のアルヴィンは、その快適な生活に甘んじることなく、禁断の「都市の外」へと出ていくのですが、そこはユートピアとは反対の不安と危険の世界です。
いまもってよく使われるSFのひとつのスタイルです。

安心と快適な暮らしが保証されている社会と明日に何が起きるかわからない社会と、どちらが暮らしやすいでしょうか。
私はずっと前者だと思っていました。
だから、誰もが安心して快適に暮らせる社会を目指す活動に取り組んできました。

しかしその一方で、その世界から出ていくことは魅力的だと感じ、実際にはその選択肢をとってくることが多かった気がします。
明らかに人は矛盾しています。

自分の居場所がしっかりと決まっていて、やるべきミッションも決められている社会は生きやすいでしょうか。
私は、そうした社会がいいと思っています。
最近の日本企業が元気がないのは、そういう組織になってないからではないかなどとも思っています。
しかし、これもまた本当にそうなのか。
よくよく考えてみると、そんな社会や組織は退屈ではないのか、
タイトルの文章を見た途端に、なぜかそんな疑問がふっとわいてきてしまいました。
もしそうなら、考えを改めなければいけません。

人は不安や危険を臨んでいるかもしれない。
そう思って社会のあり方を考えると、違うビジョンが出てきそうです。
なぜ低所得者たちはさらに格差を広げるアベノミクスが好きなのか。
なぜ若者たちは憲法9条を捨てて戦争を好むのか。
なぜ危険だとわかっている原発再稼働を選ぶのか。
みんなもしかしたら「平安」に退屈しているのかもしれません。
そう考えれば、いろんなことが納得できます。

何か皮肉に感じられるかもしれませんが、皮肉でも逆説でもありません。
そういう風に考えることもできるということです。
そう考えれば、厭世観や人嫌いが治るかもしれませんし。

最近の世間嫌いは、自分の身勝手な「正義感」や「価値観」に呪縛されているせいかもしれません。
思考の「公理」に呪縛されている人たちばかりだと嘆いている私自身が、まさにそうなのかもしれません。
時々、そう感ずることが増えてきています。
所詮は、みんな「時代の子」なのです。

今年は、その呪縛からもっと自由になろうと思っています。
ますますわけのわからないことを、このブログでも書くかもしれません。
困ったものです。

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■節子への挽歌2681:ドキッとしたりホッとしたりの年賀状

節子
最近、年賀状も年賀メールもやめてしまいました。
ただ届いたものには返信するだけにしています。
印刷された年賀状や相手が特定されていない挨拶メールはほとんど読まないのですが、それでも時々、ドキッとしたりホッとするものも少なくありません。

ずっと気になっていたMさんからは、例年通りの印刷されただけの年賀状でしたが、届いただけでもとてもホッとしました。
三が日が明けたら電話しようと思います。

節子も会ったことがあるYさんからのメールを読んだ時には心が凍ってしまいました。
娘さんが急逝されたというのです。
Yさんは、会社時代に私の職場に入ってきました。
その後、結婚し、パートナーの転勤でスイスに転居、いまもスイス在住です。
毎年、近況報告のメールが新年に届くのです。
Yさんのことを少しだけ知っている私としては、彼女がその悲しみを乗り越えようとしている姿が、頭に浮かびます。
私と違って、外部に私情をそう見せるタイプではありません。
ましてや、海外でのこと、いささか心配ではあります。

メールには、こう書かれていました。

あまりの突然のことで、私たちも、信じられない気持ちで
長い旅行に行っていて、そのうちに戻ってくるのではと思えてなりませんでした。
「でした」と過去形で書かれているところも、いかにもYさんらしいです。
Yさんのお父上も存じ上げていますが、さぞかしつらかったことでしょう。

Yさんが書いている「長い旅行」という気持ちはよくわかります。
実は、私はいまも、時々、節子のことをそう思うことがあります。
そういう思いを長年もっていると、それがとても現実感を持ち出すのです。
それに、実際にそうかもしれないのです。
さすがに最近は戻ってくるような気はしませんが、いつか旅先で会えるだろうというような思いが浮かぶことはあります。

ショックを受けることもあります。
伴侶の訃報を聞いた人から、再婚の報告があると、よかったねと思うと同時に少しだけショックも受けます。
私が悲しがることはないのですが、何かさびしさに襲われます。
娘に話したら、生前から別居したり憎悪関係になったりする人もいるのだから、祝福すべきでしょうと言われましたが、どうも割り切れません。
私が特殊すぎるのかもしれません。

そういえば、長い年賀?電話もありました。
今日の午前中は何本かの電話で、せっかくの箱根駅伝を見損なってしまいました。
三が日のテレビで、私が唯一見る番組なのですが。

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■新年湯島カフェへのお誘い

新年早々からのお誘いです。
昨年は、湯島ではさまざまなカフェサロンを開きました。
今年もまた、いろんなテーマやテーマなしの集まりをやろうと思っています。
時にテーマが重かったり、難しそうだったりすることがありますが、参加していただけるとわかりますが、いつもきわめてカジュアルで気軽なサロンです。
気楽に過ごせ、ほっとできる場を目指しています。
私が行けなくとも、誰かが開いてくれるような、みんなのカフェサロンの場に、湯島の空間がなればいいなと思っています。
普段はあまり接点のないような、いろんな立場の人が出会える場になれば、もっとうれしいです。

そんな思いを込めて、新年交流会を兼ねて、今年最初の湯島カフェサロンを開催します。
誰でも大歓迎ですので、コーヒーを飲む感じでお立ち寄りください。
もちろん時間内での出入り自由です。
まだお会いしたことのない、このブログの読者にも、お会いできればうれしいです。

○日時:2015年1月4日(日曜日)午後1時半~5時 (5時閉店)
ご都合のいい時間にコーヒーを飲みに来る感じでお立ち寄りください。
○場所:湯島コンセプトワークショップ
http://homepage2.nifty.com/CWS/cws-map.pdf
場所がわからなかったら、下記に電話ください。
03-6803-2575
○会費:500円

ではお会いできるのを楽しみにしています。

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2015/01/01

■小さな変化の中に、大きな変化の予兆が含意されています

新しい年が始まりました。
最近は、しかし、新年を迎えたという感激を感じません。
歳のせいもあるかもしれませんが、大晦日も元旦も、平板化してしまい、特別な日というような気がしなくなってきています。
近くのスーパーは、今日も朝からいつもと同じように営業していました。
生活にリズムをつける節目がどんどんなくなっているようです。

元日の新聞からメッセージや呼びかけが感じられなくなってきたのは、いつからでしょうか。
テレビに至っては、メッセージどころか、内容のない番組だらけになってきています。
私の印象論ですが、日本の社会はどんどん「痴呆化」しているような気がします。
時代は、大きな岐路にあると思うのですが、ジャーナリズムの世界の人たちの「やる気」があまりにも伝わってこないのです。
今日は、新聞は10分ほど、テレビはほとんど見ないで終わってしまいました。

こうしたことは、この数年、じわじわと進んでいる変化のような気がしますが、今年は、それが加速されているように感じます。
社会がどんどん劣化しているようで不安です。
社会の劣化は、個人の生活ばかりか生命さえも危険にさらしかねません。
80年前の日本やドイツは、こんな感じだったのかもしれないと思うと、恐ろしくなります。
杞憂であればいいのですが。
しかし、小さな変化の中に、大きな変化の予兆が含意されています。
見逃さないようにしなければいけません。

新年最初の時評は、もう少し元気なものを書きたかったのですが、今年はこんなことしか書けません。
今年は、好ましいと思われる予兆をできるだけ見つけていきたいと思いますが、いささか心配の年の始まりでした。
気になって仕方がない「小さな変化」が、あまりにも多すぎます。

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■節子への挽歌2680:雲の向こうの初日

節子
また年が明けました。
節子がいた時と同じように、屋上で初日の出を待ちました。
雲が多かったのですが、雲の向こうに少しだけ初日を感じました。
節子のいない8年目が始まりました。

Hatuhi20151

今年は少し前に進みだそうと思います。
そうしないと、いつになっても、彼岸にたどりつけないような気がしてきたからです。

正月の過ごし方は、節子がいなくなってから、大きく変わりました。
家族みんなで食べる正月料理は何やら「合理的」になってしまいました。
そういえば、活け花も小さくなりました。
日常と非日常の差がどんどんなくなっている時代の流れには抗いがたいものがあります。

朝、次女夫婦と合流して、初詣ででしたが、今年は人が少なかったような気がします。
帰り際に雪がちらつきましたが、残念ながらすぐにやんでしまいました。

ホームページを更新しましたが、いつも年初に書いている2つのメッセージを今年は簡素化しました。
以前書いたものを読み直してみると、その時々の私の状況がわかります。
何やら迷路の中で止まっている自分を見るようです。

今年は少し前に進もうと思います。
雲の向こうの初日を見るには、進まなければいけません。


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