■節子への挽歌2700:言行一致のむずかしさ
節子
この挽歌もついに2700になりました。
ということは、節子がいなくなってから今日は2700日目ということです。
まさかこれだけ長く続くとは思いませんでしたが、しかしあっという間の2700日のようにも思います。
最初の数年は惰性で生き、そのあとの数年は粗雑に生き、きちんと生きようと思う気になってきたのは、つい最近のような気がします。
頭では「誠実さ」を大切にしなければいけないと思っているのですが、生きることに誠実でなければ、それは単なる標語でしかありません。
したがって、言行一致には程遠いわけで、私が一番嫌いな生き方を自らがしてきたことになります。
それだけでも自己嫌悪におちいります。
しかし、言行一致という生き方は、なかなか難しい。
さまざまな不幸な事件が毎日のように報道されていますが、そうした事件に対する「識者」のコメントなどに触れていると、言行不一致どころか、自分のことを懺悔しているのではないかと思うような相手への攻撃に出会うことも少なくありません。
言葉とは恐ろしいもので、いつも発言者自身にも向かっているのです。
私も、心しなければいけません。
こんな生き方をしていると、彼岸であった時に、節子に叱られそうですね。
今日は少し懺悔した気分の多い日になりました。
諭す人がいなくなると、人は世界が見えなくなるものです。
伴侶は、そのための存在だったのかもしれません。
注意しなければいけません。
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