■誠実な生き方
私の好きなテレビ番組「小さな村の物語 イタリア」の190話のことを挽歌に2回ほど書きましたが、その最後に、「誠実な生き方」という言葉を使い、それに関しては時評編で書くと予告してしまいました。
それを読んだ読者から、楽しみにしているというメールをもらいました。
番組を見ていた時には、71歳のロレンツォ・パルマーノの生き方に、私とは比べようもないほどの誠実さを感じたのですが、改めてそれについて書こうと思ったら、なかなか考えがまとまりません。
しかし、メールをもらったからには書かなければいけません。
さてさて困ったものです。
しかし、ロレンツォの生き方から私たちが学べることは多いと思います。
たとえば、こんな生き方です。
ロレンツォは、挽歌に書きましたが、狩りが趣味です。
猟犬を数匹飼っており、もう年老いて猟ができない老犬も2匹います。
彼らの食事づくりも、ロレンツォの仕事です。
愛犬の食事が終わると、なぜかまた別の食事づくりです。
そしてそれを畑の外に置きに行きます。
実は森にいるシカが畑を荒らさないように、畑の外に食事を置いておくのです。
私はイスラム過激派への抗議のデモを思い出しました。
ロレンツォの態度とあまりにも違います。
シカに畑を荒らされるのは、ロレンツォにとっても嫌なことでしょう。
だからと言って、畑に網をめぐらすわけではありません。
もちろん抗議デモをして、行政に解決を求めるわけでもありません。
その代わりに、森に食べ物がなくなってしまったシカのために、わざわざ食事をつくって提供してやっているのです。
ナレーションでは、「自然へのレスペクトを忘れない」と語られていました。
レスペクトは感謝に通じます。
自分に禍をもたらすように見えるものにも感謝する。
私が最近、「誠実」と感ずる生き方は、こんな生き方かもしれません。
パリの市民たちには、こうした誠実さがありません。
イスラム過激派と言われている人たちも、好きこのんで暴挙に出たわけではないでしょう。
追い詰められて、これ以上、生きてはいられなくなっての暴挙かもしれません。
もしそうなら、「敵」(もしいるとしたらですが)はほかにいる。
むしろ一緒になって解決策を考えるのが、私が考える「誠実な取り組み」です。
「対立」は、誠実の欠如から生まれるのかもしれません。
暴挙には屈しないと声高に叫んで、あえて風刺画を再掲するような行為は、相手の思いを逆なでするだけで、言論の自由を大切にする姿勢とは思えません。
ロレンツォの行動とパリ市民の行動は、私には真反対に感じられます。
ちなみに、ロレンツォの誠実さは、シカや自然に対してだけではないでしょう。
だからバールの最終日に、谷間中の人たちが来てくれたのでしょう。
誠実さは、いつも幸せをもたらすのです。
私のお別れ会にはどれほどの人たちが、自発的に行こうと思ってくれるでしょうか。
ついでに、同じ番組に出てきた91歳の木工職人ルイージ・スクレムさんの言葉も紹介しておきたいと思います。
彼はこう語っています。
人生、誠実に仕事をすることが大切です。私が誠実に生きていないことの証は、時々、いい眠りにつけないことです。
支払いもなんでもごまかすことはしてはいけないんです。
そうすれば大きな問題なく、毎晩いい眠りにつける。
稼ぎは少なくても、安心できて心おだやかなのが一番です。
誰かをごまかすことはしていないつもりですが、ルイージには遠く及ばない生き方なのでしょう。
反省しなければいけません。
長くなりました。
また続きを少し書いていきます。
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