■節子への挽歌2691:年賀状を読んでいると自分の心境がよくわかります
節子
今日はメールをやっている人たちにほぼ全員、年賀状の返信をさせてもらいました。
ハガキでの返信は先延ばししてしまいましたが。
年賀状を読むと、その人の1年が伝わってきます。
そこにはいろんな人生があります。
まさにそこには、喜怒哀楽に満ちた社会の縮図があります。
こういう感じで年賀状をゆっくりと読んだことは最近あまりありません。
同世代の人の年賀状には、健康に関係した記事も少なくありません。
健康を害したために、好きなテニスを禁じられたとか、書こうと思っていた本を諦めたとか、東京が歩きにくいことがわかったとか、いろいろとあります。
そういう人はみんな、私に無理はしないようにとアドバイスしてくれます。
自分が健康を害して、その大切さに気づくのでしょう。
たしかに、頭でわかっているのと自分がそうなるのとでは、まったく違うことでしょう。
アドバイスはきちんと聞き入れなくてはいけません。
ご夫婦で旅行に行っている写真も少なくありません。
以前は、そうした社員を見ると何やら私までもがうれしい気持ちになりましたが(節子がいなくなってからもです)、なぜか今年は寂しさを強く感じました。
節子がいないことが、実感できるようになったからかもしれません。
一番さびしいのは子供やお孫さんと一緒にいる写真です。
私は娘が2人いますが、残念ながら孫がいません。
新しい活動に取り組んでいるという話は、これまではただただうれしいだけでしたが、今回は少しうらやましい気がしました。
私がもう新しい活動に早々取り組めなくなってしまったからかもしれません。
これは「嫉妬」かもしれません。
無理して私も巻き込んでくださいと書きたい気分ですが、相手には迷惑にしかならない年齢になってしまいました。
とまあ、年賀状を読んでいると、まるで自分の心境がえぐられるように実感できるのです。
そんなわけで、今日はたくさんの人の人生を感じながら、私自身の今の心境(認めたくないことも含めて)に触れることになりました。
たくさんの喜怒哀楽に襲われた感じで、いささか疲れた1日でした。
そんなわけで、ハガキの返信は先延ばしにさせてもらった次第です。
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