■節子への挽歌2680:雲の向こうの初日
節子
また年が明けました。
節子がいた時と同じように、屋上で初日の出を待ちました。
雲が多かったのですが、雲の向こうに少しだけ初日を感じました。
節子のいない8年目が始まりました。
今年は少し前に進みだそうと思います。
そうしないと、いつになっても、彼岸にたどりつけないような気がしてきたからです。
正月の過ごし方は、節子がいなくなってから、大きく変わりました。
家族みんなで食べる正月料理は何やら「合理的」になってしまいました。
そういえば、活け花も小さくなりました。
日常と非日常の差がどんどんなくなっている時代の流れには抗いがたいものがあります。
朝、次女夫婦と合流して、初詣ででしたが、今年は人が少なかったような気がします。
帰り際に雪がちらつきましたが、残念ながらすぐにやんでしまいました。
ホームページを更新しましたが、いつも年初に書いている2つのメッセージを今年は簡素化しました。
以前書いたものを読み直してみると、その時々の私の状況がわかります。
何やら迷路の中で止まっている自分を見るようです。
今年は少し前に進もうと思います。
雲の向こうの初日を見るには、進まなければいけません。
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コメント
佐藤様 新年ですね
私は何かと時流に逆らって生きてきました。
最悪なのが「この逆らって生きたこと」を自覚できたのが数か月前のことです。
このような私でしたが、「変わり者」と言われながらも、何事もなく生きてこれたのは
やはり家内のお蔭さんでした。
このことを悟ったのも数か月前のことでした。
影となり出しゃばらずに、バカな夫を支えてくれていた46年間、妻は何を思っていたのでしょうか
いくらでもある夫の欠点を誰にも愚痴らずに過ごすことなど
人間には出来るのだろうか・・と
今日は日本中がお正月気分に浸れる一月一日
そんな中、私はいつもの仕事をしております。
旅館の管理人なのですが、一週間前から支配人が入院し、老体に鞭うちながら孤軍奮闘しています。
もし仕事やボランティアもなく、余裕でお正月を祝っていれば、私はうつ病になってしまようなきがしてしまいます(^_^.)
佐藤様も今年はお元気になられそうで、安堵の気持ちが漂ってきております。
今後私は佐藤様とは逆行していくような気がしていますが、時流に逆らって生きることが今の私の「幸福」かもしれません
悩み苦しんでいると、すぐ傍に幻の人が現れてくれるようで・・・
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
投稿: 鳥取太郎 | 2015/01/01 21:25
太郎さん
いつもありがとうございます。
私も、ありがとうございました。あんまり普段と変わらない三が日を過ごしています。
ところで、「時流に逆らう」のは勇気がいることです。
まあ、時に間違うことがありますが、時流に安直に乗ってしまうのよりは、失敗しても誇りにしていいと思います。
決して、私と逆行などはしておら、まあ同じような生き方をしているような気もします。
自分を責めるあまり、過剰なご無理はされませんように。
人はそんなに生き方を変えられませんから、まあ、「ぼちぼち」行くのがいいかもしれません。
いつかお会いするのを楽しみにしています。
投稿: 佐藤修 | 2015/01/03 15:08