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2015/01/13

■節子への挽歌2692:輝きに満ちた瞬間

節子
昨夜、久しぶりに節子の夢を見ました。
それも最初に会ったころの節子でした。
節子の冷たい手を、私が温めてやっている夢でした。
本当は、私の手の方が冷たいはずなのですが。

なぜそんな夢を見たのか。
心当たりが一つだけあります。

時々、書いていますが、私の好きな番組のひとつに「小さな村の物語 イタリア」があります。
昨日、北イタリアの谷間の村のコメリアンスの話(第190話)をみました。
http://www.bs4.jp/document/italy/onair/190.html
いつもながら、番組は深いメッセージを含意していましたが、それは近々、時評編で取り上げるとして、夢の原因と思われるのは、最後のナレーションです。
少し文脈が違うのですが、私の心に響いたものを紹介させてもらいます。

一度、足をとめて、昔のことを思い出してみる。
そうすれば、ささやかだけれど、輝きに満ちた瞬間を感じるはずだ。

このナレーションだけ切り取って引用するのは、プロデューサーの田口さんに叱られそうですが(文脈も違えば、表現も少し違います)、「昔のことを思い出してみる」とつなげて、「輝きに満ちた瞬間」という言葉が、なぜか深く心に響いたのです。

私は過去を思い出すことが不得手です。
過去にはほとんど関心がないからです。
にもかかわらず、「節子という過去」に呪縛されて生きています。
もしかしたら、私の中では、いまだ「過去」になっていないのかもしれません。
節子に話しかける場合の心情は、過去の節子にではなく、いまここにいる節子にです。
なかなかうまく表現できないのですが、節子はまだ私とともに「いる」という感じなのです。

ですが、昨日、そのテレビのナレーションを聞いてから、少し昔の節子を思い出しました。
未来を見つめながら素朴に誠実に現実を生きている節子の前に、おそらく経験もしたことのない、いささか常識的でない私が現れたのです。
混乱しないわけがありません。
そして気がついてみたら、一緒に住んでいたわけです。
私は、当時は、毎日を創出するような姿勢で生きていた気がします。
大げさな生き方ですが、過去の呪縛を捨てて、節子との生活を一から創っていくというつもりだったのです。
つまり、毎日が創造的な「輝きに満ちた瞬間」だったのです。

それが私たちの最初の1年でした。
残念ながら、そうした生活は1年もすれば、日常化し、輝きは消えていきます。
私の考えていた反常識的な生活は、現実化していきました。
しかし、そのおかげで、私たちの結婚生活は破綻もせずに、持続したのです。
後で聞いた話ですが、そうは続かないだろうと言っていた人もいたようです。

いまにして思うのですが、節子だからこそ、続いたのかもしれません。
節子を洗脳するはずの私が、洗脳されてしまったのかもしれません。
不思議なほどに、節子は私に反発せずに、私のスタイルを受け入れてしまったのです。
現実感のない、かなり変わった生き方を、です。
何しろ、最初は6畳一間の「神田川」生活でした。
もちろん家具など何もなかったのです。
古い借家で、暖房器具もなく、冬は寒くて仕方がなかったです。
それが、私の理想の同棲生活だったのです。
いまから思えば、節子はよく付き合ってくれました。
私が妥協してしまったこともありますが。

しかし、何もなくても輝きはありました。
あの頃の節子は、輝いていました。
節子はたぶん、私と結婚したことで、「輝きに満ちた瞬間」を少しは体験したと思っています。

一緒に住みだしてしばらくして、会社の広い社宅に転居しました、
そして東京に転勤。
それで、私たちのいささかスリリングな生活は、退屈なものに変質したように思います。
あの1年は、私たちの生き方を決めた1年だったような気がします。

休日はいつも京都か奈良を歩きました。
そして、駅から20分もかかる畳一間の借家への暗くて寒い夜道を、いつも手をつないで歩きました。
私の手はいつも冷たかったのです。

いささか長すぎる昔話でした。
これだけ書いたので、今日はもう夢は見ないでしょう。

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