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2015/01/14

■節子への挽歌2693:「幸せ」の思い出

節子
昨日の「小さな村の物語 イタリア」(190話)のことを、時評で書いているうちに、やはり挽歌にしようという気になりました。
というのも、節子が元気だったら、私たちもロレンツォ夫妻の幸せは私たちの夢に通じていることに気づいたからです。

ロレンツォとは、その番組に出てくる71歳の主人公です。
私とほぼ同世代です。
舞台は、北イタリアの谷間の村コメリアンス。
そこで48年間、ロレンツォは妻と2人でバール(バー)と食料品店をやっていました。
しかし、ロレンツォは店を閉じることに決めました。
奥さんはもう少し続けたかったようですが、彼はむしろ趣味の狩りをやったり、もっとゆったりした暮らしを望んだのでしょう。
どんなにうまくいっていても、歳に合わせて、生き方を変えるのは大切なことです。

48年続いたバールをやめることにした時、感謝の気持ちで谷間中の人たちに自由に飲んでもらうことにしました。
たくさんの人たちが集まったでしょう。
私には、ロレンツォ夫妻は最高の幸せを味わっただろうなとうらやましく思いました。
ロレンツォはこう話しています。

バールをやっていて本当によかったです。
だれもが挨拶に立ち寄ってくれた。
谷中の人が家族のような感じだったんです。
たくさんの人と知り合って、多くの現実を知り知恵も増えました。
それぞれがいろんな経験があり語るべきことがありますからね。
ボクらはお互いの人生や人柄を知り尽くしているんです。
実は、時評編にこう書いてきて、はっと気がついたのです。
私たちにも、ちょっと似た小さな体験があったことを。

私たちは湯島のオフィスで毎月最後の金曜日の夜、オープンサロンを開催していました。
いまも続いていますが、雰囲気は全く違っていました。
いささかバブリーでしたが、軽食やお菓子も節子が用意してくれていました。
ビールもコーヒーも飲み放題でした。
だれでも歓迎で、会費もなく、出入り自由でした。
多い時には20人を超す参加者がありました。
テレビの取材があったこともあります。

最初は、節子はこの集まりがあまり好きではありませんでした。
それに参加者が増えてくると買い物も大変で、いつも上野の松坂屋で買ってタクシーで湯島まで持ってきてくれました。
当時もあまりお金がなかったので、節約もしなければいけません。
しかし、節子も私の思いを知っていたので、会費をとろうなどとは言い出しませんでした。
そのうちに、参加者がいろいろと持ってきてくれるようになりました。
しかし、それが多くなりすぎて、これまた節子は大変だったようです。

しかし、だんだんと節子もそのサロンになじみだしました。
節子も知り合いが増えていきました。
それに私がどんな活動をしているかも、理解してくれるようになっていきました。

ところが、私があまりに忙しくなり、体調が悪くなってしまいました。
「大きな福祉」を理念にした活動では、どんな相談にも乗ると公言してしまったからです。
おかげで、仕事をする暇もなくなり、人生は変わってしまいました。
借金もそれなりに増えました。
それで、サロンを一時中断し、私自身、生き方を見直すことにしたのです。
最後のサロンにはたくさんの人が集まってくれました。
最後の最後に遅れてやってきた人からは立派な花束まで、節子はもらいました。
ロレンツォ夫妻ほどではありませんが、少しだけ私たちは幸せを味わいました。

そのあと、私は健康診断をしましたが、節子も一緒に行きました。
そして異常が発見されたのは、私ではなく、節子でした。
幸せの後には不幸が来るものなのかもしれません。
ロレンツォ夫妻がそうでないことを心から祈ります。
しかし、ロレンツォはそうはならないでしょう。
その生き方が私とは比べようもないほど、誠実なのです。
それについては、時評編に書こうと思います。

長い思い出話になってしまいました。

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