■経済成長のための企業か社会をよくするための企業か
「新しい経済を考えるシリーズ」その4です。
現在の経済活動を主導しているのは、企業と言っていいでしょう。
その企業の目的はなんでしょうか。
私が会社に入った時に、会社の経営者から聞いた言葉のひとつは、雇用の場を増やしていくことでした。
松下幸之助は、松下電器は家電製品だけではなく、人をつくる会社だと言っていました。
また、水道の蛇口から出てくる水のように、低価格で良質なものを大量供給することでみんなの生活を豊かにしたいという「水道哲学」を松下幸之助は唱えていました。
当時、いずれにも、私は共感していました。
私が、経営者に違和感を持ち出したのは、1980年前後からです。
それにしても、最近の企業の経営者は何を目的にしているのでしょうか。
いとも簡単に従業員を解雇し、会社は、人をつくるどころか、人を壊す場所になってきています。
多くの経営者が考えているのは、目先の利益であり、経済成長への寄与だけのような気もします。
経済成長への寄与が、会社の目的になったようにすら感じます。
日本企業の統治スタイル(コーポレート・ガバナンス)の変質の結果が、それを加速させました。
経済は、本来は「経世済民」といわれるように、社会のため人々の生活のためのものでした。
そのために経済の健全な(社会や生活に役立つ)成長が大切だったのです。
しかし、いつの間にか、その手段や結果であった「経済成長」が目的になってきました。
そして、成長をはかる基準は「金銭」になっていきます。
「金銭経済成長至上主義」「マネタリーエコノミクス」です。
金銭を介さない活動は、価値を失い、金銭を得ることだけが「仕事」と評価されるようになり、女性たちもまた「社会進出」という名目で、金銭市場に取り込まれてきたわけです。
次第に、経済成長と社会の豊かさとは切り離され、社会全体の「汎市場化」が進みます。
つまり、生活や文化が「市場化」され、社会を壊すことで経済成長が実現していくようになっていきます。
その結果、経済成長も壁にぶつかることになるでしょう。
そうした事例は私たちのまわりにいくらでもあります。
地方の荒廃の原因の多くは、その結果です。
こういうことに関しては、このブログでも何回も書いてきていますし、私自身、そうした経済スキームから少しずつ抜け出す生き方に変えてきていますが、そう簡単には抜けられません。
先日も九州の友人が、夫婦2人であれば、月に10万円もあれば豊かに暮らせると話してくれました。
その友人は、いまはその数倍の収入を得ていますが、一度そういう生活に慣れてしまうと、なかなか10万円生活には移れないのも事実です。
経済や企業の変化は、人々の生活や文化、そして意識を変えてきてしまっています。
しかし、金銭経済成長はそろそろ限界にきているような気がします。
どこから変えていくかは難しいですが、まずは可能な範囲で、それぞれが生き方を変えることから始めないと流れは反転できないように思います。
逆に、そうしようと思えば、個人にもできることはたくさんあるように思います。
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