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2015/01/29

■「恫喝」よりも「祈り」

矢部宏治さんの「日本はなぜ、「基地」と「原発」をとめられないのか」という本が話題になっていますが、その中で、矢部さんは自民党の憲法改正草案をみれば、日本の現在の水準は「近代文明の尺度で測れば、3歳の幼児くらいでしょう」と言われても仕方がないと書いています。
もちろん戦後、日本人のことをダグラス・マッカーサーが「近代文明の尺度で測れば、12歳の少年」と言ったことをもじっている言葉です。
私も自民党の憲法改正草案は、その解説まで含めてきちんと読みましたが、唖然とする内容です。
それに関しては、以前、このブログでも10回にわたり私見を書きました。
私のホームページにもまとめて転載しています。
http://homepage2.nifty.com/CWS/kenpo13.htm
自民党の憲法改正草案をきちんと読んだ人は、おそろしくて自民党には投票しなくなるだろうという気はします。

イスラム国日本人拘束事件の報道を見ていて、矢部さんが書いたことを思い出しました。
テレビ界に登場している人が、もし日本人の知的水準を示すのだとしたら、いささかおそろしさを感じます。
日本人は、いわゆる「有識者」たちよりはまともだと思っているからです。
しかし、日本人は世界的に見て、異常にマスコミへの信頼度が高い国民だそうですので、テレビ界での有識者のレベルに知的水準が落とされる恐れは十分にあります。

一番驚いたのは、イスラム国でも戦略発想する人がいるのかという、有名なキャスター役の人のいかにも相手をバカにしたコメントを聞いた時です。
さすがにその時には、フセイン政権時代の優秀な人材などがイスラム国には移っているという中東に詳しい人のコメントがありました。
今回の事件でのイスラム国の展開は、実に戦略的だったと思いますし、最初から首尾一貫していて、着実にシナリオ展開してきているように私には思えます。
また今回のヨルダンの対応も見事に感じます。
もしかしたらイスラム国とヨルダンは仕組んでいるのではないかとさえ思えます。
ただし、こうした思いも、私があんまり信頼できないでいるテレビから得た情報からの組み立てですので、まあ砂上の楼閣的推測でしかありません。

しかし、はっきりしていることはいくつかあります。
日本の政府や事件を報道する人たちの「目線の高さ」と「恫喝的な姿勢」です。
発言を聞いていると、相手を卑劣だとか残虐だとか、言語道断だとか、非難だけで、相手を理解しようという姿勢が感じられません。
それでは交渉どころか、コミュニケーションも成り立ちません。
政治的なパフォーマンスという側面もあるでしょうが、相手の立場を認めて、相手が聴く耳と大義を得られるような配慮は必要でしょう。
少なくとも、首相という役割を踏まえれば、「最低の品格」は維持すべきだと思います。
世界に向けては、日本人の代表なのですから。
それにくらべて国民の多くは「祈り」を基本にしています。
「一刻も早く解放しろ」よりも「無事帰ってきてほしい」の方が、たぶん相手の心には響くでしょう。

この事件から見えてくるのは、日本の政治と社会の実相のような気がします。
しかし、どうやら先が見えてきたようでほっとしています。

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