« ■真実を語れるのは体験者だけです | トップページ | ■恐ろしいのは無責任な自粛と自粛のない無責任さです »

2015/01/08

■節子への挽歌2687:勘違いの自画像

節子
挽歌をよく読んでくださっている、まだお会いしたこともない方が、私たちのことを想像して描いてくれたエクセル画を、メールで送ってきてくれました。
正月返上で働いているとお聞きしていましたので、時間のない合間に描いてくださったのです。

20150106_2

この方も4年ほど前に伴侶を亡くされています。
メールにはこう書かれていました。

4年も経ち、いまだ家内の死を真正面から受け入れることの出来ない私は、間違いなく変人でしょうね
決して変人ではなく、むしろ、それが普通なのではないかと思います。
それへの対応の仕方が、私もこの方も不器用なだけでしょう。
不器用だからと言って、そう簡単には考えは変えられません。

この方は、以前もエクセル画を描いてくださいましたが、今回はこう書いてくれています。

お会いしたこともない佐藤様ご夫婦を、想像しながら描いた絵を添付させて頂きました。
場所も特定の場では御座いませんが、京都辺りを創作いたしました。
今年は、佐藤様にお会いできるような気がしております。
この絵に描かれている「私たち」には、私自身は大きな違和感があるのですが(太郎さん、すみません)、挽歌からはこういうイメージが生まれてくるのでしょうか。
この絵からは、品格のあるおしゃれな大人の雰囲気が感じられますが、実際の私たちはそれとは正反対でした。
品格とは縁もなく、おしゃれでもなく、たぶん成熟した大人の雰囲気もない夫婦でした。
気分的には、ふたりとも、かなり若い気分でもありました。
それに、私はコートも帽子も不得手でした。
私は、娘からカジュアルウェアが似合わない人と言われ続けていますが、たしかに我ながらそう思います。
しかし、本当はいまでも、若い人が着用するようなものが好みなのです。
カジュアルなものでないものも、おしゃれではありません。
一度くらい、高級な背広をつくったら、と言われながら、いつも互助会か何かで安い背広をつくってもらっていました。
その背広も節子が元気だったころのものですから、もう10年近く前のものしかありません。
しかも保存が悪かったため、何着かはよく見ると虫に食べられた小さな穴があるのです。
いやはや困ったものです。
ですから、エクセル画のような品格のある雰囲気にはならないのです。

ただそのくせ、いろいろとこだわりはあるのです。
おしゃれではない上に、着用するものの条件がたくさんありすぎるのです。
そのため節子は私の衣服の買い物につきあうのは好きではありませんでした。
私が着たくなるようなものに出会うことは少ないからです。

ところで、このエクセル画で感じたのですが、自分で持っているイメージと第三者に見えているイメージとは、違うのでしょうね。
事実、私は、私よりも若い60代の人たちをテレビなどで見ても、どうしても自分よりも年上に見えてしまうのです。
そして、歳相応に扱われることにむしろ違和感があるのです。

人はみんな、勘違いの自画像を持っているのでしょうね。
とりわけ伴侶のいない人は、そうではないかと思います。
困ったものです。

|

« ■真実を語れるのは体験者だけです | トップページ | ■恐ろしいのは無責任な自粛と自粛のない無責任さです »

妻への挽歌14」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■節子への挽歌2687:勘違いの自画像:

« ■真実を語れるのは体験者だけです | トップページ | ■恐ろしいのは無責任な自粛と自粛のない無責任さです »