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2015/01/20

■節子への挽歌2698:縦も横もつながりが切れだした社会

節子
昨日は少し重い話を聞きすぎて、疲れてしまい、パソコンに向かえませんでした。
しかも、その重い話はまた、私自身にも返ってくる話でしたので。

最近いろいろな人に会って感ずるのは、家族を通じた世代間の支え合いの文化が薄れているのではないかということです。
老老介護という言葉が以前よく使われましたが、どこかの時点で世代間の交流の関係が変わってしまったのでしょう。
日本の家族関係は、世代単位へと向かってしまっているわけです。
変わったのは、世代間という、いわば「縦の関係」だけではなく、親戚づきあいといった「横の関係」も変わっているようです。
家族づきあいも、大きく変わってきているようです。
私自身の場合も考えてみても、両親の時代に比べて、親戚づきあいは極端に減っています。
親戚の数が少なくなったということもあります。
私の生き方の問題もあるでしょうが、湯島にやってくる人たちの話を聞いていると、どうも私だけでないようです。

社会のかたちと家族のかたちは、どちらが原因でどちらが結果かはともかく、深くつながっています。
そして、それは、私たちの生き方を規定していきます。

伴侶がいる場合、お互いに元気な時には、世代や横のつながりが弱まっても、そう不都合は感じないでしょう。
お互いに支える存在がいるからです。
しかし、どちらかに問題が起きると、途端に、そうした人とのつながりの大事さが実感できます。
今まで支えになっていた存在や関係が、逆に負担になって押し寄せてくることさえあるのです。
支えと負担は、時に共存しますが、どこかで疲れが出てきてしまう。
そうなると、すべてが「反転」することもあり得ます。
老老介護の疲れから起こる悲劇もよく報道されます。
そうならないような仕組みが、もっと広がっていくことが望ましいと思いますが、社会の構造が変化していく状況の中では、問題が見えだしてこないと、その仕組みへの関心は生まれてきません。
私は、そうした場や仕組みをゆるやかに広げたいと思っていますが、なかなか広がりません。
元気な人は必要性を感じず、元気でない人は、それをつくる元気もないからです。
その中間の仕組みだった、家族や親戚や地域社会は、いずれも機能を失いだしているのです。

湯島は、そんな人たちのたまり場にもしたかったのですが、私一人ではやはり荷が重すぎると感じだしています。
つくづく節子がいなくなったことを残念に思います。
何か仕組みを変えていかないといけないと、昨日は湯島に来た人の話を聞きながら、改めて思いました。
そしたら、私自身の問題に思いが広がり、それで疲れがどさっと出てしまい、挽歌も書けなかったのです。
さて妙案はないものでしょうか。

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