■自分に禍をもたらすように見えるものにも感謝する
コメリアンス村のロレンツォは、自分の畑の野菜を荒らしに来る野生のシカに、野菜を荒らさないでほしいと畑の外側にエサを置いています。
それは、荒らされないための防衛策だと考えることもできますが、野菜を与えてくれる自然への感謝の思いを込めたお返しとも考えられます。
皆さんはどうお考えでしょうか。
私は、ロレンツォの心情は後者だと思います。
自然とともに生きている人たちは、自然の恵みは自分だけのものではなく、みんなものと自然に考えているだろうと思うからです。
日本でも農家の人たちはできた野菜を通りがかりの人にまであげてしまうことを私も体験しています。
そこに、私は2つの深い意味を感じます。
まずひとつは、自然の恵みは独占してはいけないということです。
たしかにそれを収穫するために、個人的にも大きな努力をしたでしょう。
しかし、努力すれば収穫できたわけでもありません。
自然の恵みがあればこその収穫です。
そういうことをきちんと知っているのだろうと思います。
水俣の芦北で漁業をやっている緒方さんは、海の魚はまさに自然の恵みであり、
昔は漁師はとってきた魚を村中に配ったといいます。
もう一つは、災いを与えるものも含めて社会は構成されているということです。
災いかどうかは、受け取り方次第です。
シカは確かに畑を荒らしますが、シカも生態系の重要な一員です。
シカがいればこそ、自然の循環環境は守られているのです。
私たちは、目先の損得で考えてきた結果、いまのような不安定な世界になったのかもしれません。
「災いを与えるものも含めて社会は構成されている」という考えを、私たちは強く持つべきでしょう。
ロレンツォは、本能的にそのことを知っているのでしょう。
いやロレンツォに限りません。
自然とともに生きている人たちは、たぶんそのことを知っているはずです。
そして、そう考えている人は、決して、相手の存在を否定はしないでしょう。
そうであれば、パリの反イスラムデモもあんなに攻撃的な雰囲気になるはずもない。
反ユダヤ主義も在特会のようなヘイトスピーチデモも起きないはずです。
最近、多様性が大切だと盛んに言われています。
しかし本当に多様性が大切だと思い、行動している人はどれほどいるか。
もっとロレンツォから、私たちは学ばなければいけません。
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