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2015/01/01

■小さな変化の中に、大きな変化の予兆が含意されています

新しい年が始まりました。
最近は、しかし、新年を迎えたという感激を感じません。
歳のせいもあるかもしれませんが、大晦日も元旦も、平板化してしまい、特別な日というような気がしなくなってきています。
近くのスーパーは、今日も朝からいつもと同じように営業していました。
生活にリズムをつける節目がどんどんなくなっているようです。

元日の新聞からメッセージや呼びかけが感じられなくなってきたのは、いつからでしょうか。
テレビに至っては、メッセージどころか、内容のない番組だらけになってきています。
私の印象論ですが、日本の社会はどんどん「痴呆化」しているような気がします。
時代は、大きな岐路にあると思うのですが、ジャーナリズムの世界の人たちの「やる気」があまりにも伝わってこないのです。
今日は、新聞は10分ほど、テレビはほとんど見ないで終わってしまいました。

こうしたことは、この数年、じわじわと進んでいる変化のような気がしますが、今年は、それが加速されているように感じます。
社会がどんどん劣化しているようで不安です。
社会の劣化は、個人の生活ばかりか生命さえも危険にさらしかねません。
80年前の日本やドイツは、こんな感じだったのかもしれないと思うと、恐ろしくなります。
杞憂であればいいのですが。
しかし、小さな変化の中に、大きな変化の予兆が含意されています。
見逃さないようにしなければいけません。

新年最初の時評は、もう少し元気なものを書きたかったのですが、今年はこんなことしか書けません。
今年は、好ましいと思われる予兆をできるだけ見つけていきたいと思いますが、いささか心配の年の始まりでした。
気になって仕方がない「小さな変化」が、あまりにも多すぎます。

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