■節子への挽歌2681:ドキッとしたりホッとしたりの年賀状
節子
最近、年賀状も年賀メールもやめてしまいました。
ただ届いたものには返信するだけにしています。
印刷された年賀状や相手が特定されていない挨拶メールはほとんど読まないのですが、それでも時々、ドキッとしたりホッとするものも少なくありません。
ずっと気になっていたMさんからは、例年通りの印刷されただけの年賀状でしたが、届いただけでもとてもホッとしました。
三が日が明けたら電話しようと思います。
節子も会ったことがあるYさんからのメールを読んだ時には心が凍ってしまいました。
娘さんが急逝されたというのです。
Yさんは、会社時代に私の職場に入ってきました。
その後、結婚し、パートナーの転勤でスイスに転居、いまもスイス在住です。
毎年、近況報告のメールが新年に届くのです。
Yさんのことを少しだけ知っている私としては、彼女がその悲しみを乗り越えようとしている姿が、頭に浮かびます。
私と違って、外部に私情をそう見せるタイプではありません。
ましてや、海外でのこと、いささか心配ではあります。
メールには、こう書かれていました。
あまりの突然のことで、私たちも、信じられない気持ちで「でした」と過去形で書かれているところも、いかにもYさんらしいです。
長い旅行に行っていて、そのうちに戻ってくるのではと思えてなりませんでした。
Yさんのお父上も存じ上げていますが、さぞかしつらかったことでしょう。
Yさんが書いている「長い旅行」という気持ちはよくわかります。
実は、私はいまも、時々、節子のことをそう思うことがあります。
そういう思いを長年もっていると、それがとても現実感を持ち出すのです。
それに、実際にそうかもしれないのです。
さすがに最近は戻ってくるような気はしませんが、いつか旅先で会えるだろうというような思いが浮かぶことはあります。
ショックを受けることもあります。
伴侶の訃報を聞いた人から、再婚の報告があると、よかったねと思うと同時に少しだけショックも受けます。
私が悲しがることはないのですが、何かさびしさに襲われます。
娘に話したら、生前から別居したり憎悪関係になったりする人もいるのだから、祝福すべきでしょうと言われましたが、どうも割り切れません。
私が特殊すぎるのかもしれません。
そういえば、長い年賀?電話もありました。
今日の午前中は何本かの電話で、せっかくの箱根駅伝を見損なってしまいました。
三が日のテレビで、私が唯一見る番組なのですが。
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