■一緒に生きている社会
昨日、書いた「誠実な生き方」につなげて、しばらく「新しい経済」に関して書くことにします。
昨日、韓国で暮らしている佐々木夫妻にお会いしました。
雑談の中で、私が百済と新羅の文化圏では今も何か違いがありますか、と質問したのですが、やはり違いはあるそうです。
そして、こんなことを教えてもらいました。
百済のあった朝鮮半島南西部の全羅道は豊かな穀倉に恵まれていたので、食べ物には困らず、住民たちは誰にでも食べ物を振る舞い、そのため、むかしは食堂がなかったのだそうです。
いまでも「食は全羅道」と言われているそうです。
今は食堂もたくさんありますが、ソウルとは出てくる量や味がずいぶん違うそうです。
とても興味深い話です。
以前、水俣に行った時に、水俣病が引き起こした地域問題の解決に尽力した吉本さんのお宅に泊めてもらいました。
朝、寝坊してしまったのですが、起きたら誰もいません。
食事するところには朝食が用意されていて、勝手にご飯をおひつからよそって食べた記憶があります。
食べていたら、誰かが来たような気もします。
もちろん鍵はあいていて、誰でもが勝手に入ってきてご飯を食べられるようになっていました。
私の勝手な記憶違いかもしれませんが、たしかそんな文化がまだ残っていたような気がします。
ノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センは、1943年のベンガル飢饉を分析し、実際には、飢饉発生時には飢饉以前よりも多くの食糧生産量があったことを証明しました。
要するに、その食料が適切に配分されなかったために大飢饉が起こったのです。
飢饉は食料不足から起こるだけではなく、経済や社会の仕組みからも起こるのです。
これは、全体の経済成長と個々人の生活とは決して比例関係にはないことを示唆しています。
昔の全羅道や水俣のような社会では、食事に関しては金銭のやり取りはありません。
つまり現在の経済基準では、経済成長はおろか、低所得の貧困地域にみなされかねません。
しかしお金がさほど流通していなくとも、豊かさは実在するのです。
自然からの恵みは、たとえそれを得るために特定の個人が汗をかく必要があるとしても、基本はみんなのものという認識があれば、いまとは違った経済が育っていくはずです。
全羅道や水俣の話、あるいはセンの主張は、それを示唆しているように思います。
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