« ■経済とはだれのため、何のためにあるのか | トップページ | ■加害者保護に向かう原子力損害賠償制度の意味を考えるカフェサロンのお誘い »

2015/01/11

■節子への挽歌2690:年賀状の返事を書き出しました

節子
年賀状を読みだして、返事を少しずつ書き出しました。
そのなかに、とてもうれしい人からの年賀状もありました。
数年間、音信不通のOさんです。
昨年はメールでしたが今年は年賀状でした。
立ち直りだしているようです。
節子が必死に生き抜こうとしていた時に、自殺予告のメールをくれた人です。
時期が時期だけに、節子も私もいささか「怒り」を感じてしまいました。
その時期でなければ、私たちももう少し彼を応援できたのですが。
そのため極めてささやかな応援しかしなかったのに、Oさんは覚えてくれています。
そして、元気になって仕事も始めたことを報告してきてくれました。
今年は東京にも行きたいと書かれていましたので、再会できるかもしれません。

新しい活動に取り組みだしたという報告もいろいろとありました。
いつもなら素直に喜べるはずですが、なんとなく嫉妬心が浮かびます。
欲が深いのか、私もそうした活動に巻き込まれたいなと思ったりしてしまうのです。
歳をとるとだんだん僻みっぽくなるのかもしれません。
困ったものです。
もちろん中には応援したくなるような、うれしいものもあります。
しかし、いずれにしろ、みんなが元気になっていくのと反比例して、私の元気がなくなっていくのは、これもまた健全なあり方でしょう。

途中でまた用事ができてしまいました。
電話に出ると、ついつい余計なことを引き受けてしまうのです。
結局、今日はちょっとしか年賀状の返事はできませんでした。
山と積まれた年賀状をみると気力が萎えてしまい、理由をつけてはほかのことをしてしまうからです。
まあ、ここまで遅くなったのですから、急ぐこともないだろうと、勝手な理由を見つけて。
明日から少しずつ書くことにします。
全て終わらないうちに、やめてしまうかもしれません。
困ったものですが、頑張らないのも大切なことですから。
それにしても、注意しないと今年は忙しくなりかねません。
やはり携帯電話はできるだけでないほうがよさそうです。

|

« ■経済とはだれのため、何のためにあるのか | トップページ | ■加害者保護に向かう原子力損害賠償制度の意味を考えるカフェサロンのお誘い »

妻への挽歌14」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■節子への挽歌2690:年賀状の返事を書き出しました:

« ■経済とはだれのため、何のためにあるのか | トップページ | ■加害者保護に向かう原子力損害賠償制度の意味を考えるカフェサロンのお誘い »