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2015/01/11

■経済とはだれのため、何のためにあるのか

来週あるビジネススクールで、「社会性企業」というテーマで話をします。
「社会性企業」という言葉は、私の造語ではなく、数年前にあるビジネススクールの一こまを頼まれた時に、指定されたタイトルです。
私自身、この言葉の意味を考えあぐねましたが、話し手が理解できていないタイトルで講義もするのもいいものだと思い、引き受けてしまいました。
もう4年ほど引き受けていますが、講義の最初は、受講者たちに「社会性企業ってなんですかね、何か矛盾した言葉ではないですかね」と質問することから始めています。
しかも、最後もまた、「で結局、社会性企業ってなんなのでしょうか」という疑問で終わるのです。
困ったものです。

私の講義は1年間のカリキュラムの最後のセッションです。
一昨年は、後で湯島にやってきた受講生から、他のすべての講義と真反対のことを言われて頭が混乱したという人もいました。
頭が混乱することはいいことです。
学ぶということは、混乱からしか始まりませんから。

ところで、今回は、経済ってなんでしょうか、という問いかけをしようと思っています。
経済成長が生活をよくするとか、経済とは金銭の話だとか、最悪の場合は、全体が豊かになれば格差はなくなるだろう、などといまだに思っている人がいるからです。

とてもわかりやすい現象が今起きています。
「円安」です。
円安で大企業は、何も変えなくとも、輸出を通して利益を増加させられます。
その利益が下請け企業や従業員を通して社会に流れて、みんなの生活をよくすると言われます。
しかし、実は円安によって増加した利益の源泉は、円安によって負担の増加を強いられた下請け企業や生活者が負担しているのです。
以前、トリクルダウンのことを少し書いたことがありますが、要は格差拡大によって、豊かな人はさらに豊かになっていくのです。
最近は、それを経済と称する人が増えています。

最近、トマ・ピケティの「21世紀の資本」が話題になっています。
昨日はNHKまでもが取り上げていました。
本も売れているようですが、私にはとても読み切れる内容はないので、まったく関心はありません。
それにそんな膨大なデータ解析をしなくても、実際の生活者にはわかっていることだけですから。
何も知らない学者の難しい議論にごまかされるのは避けたいものです。
ほとんどの場合、事実は簡単なのです。
富の増加は、どこかから収奪してくるしかないのです。

昨日、挽歌に水俣の緒方さんのことを書きました。
漁師の緒方さんは、漁師は自然の海から魚を盗んでくる泥棒だと自分のことを言っています。
その罪の意識を持つことの大切さを教えてくれているわけです。

話がそれてしまいましたが、経済とはだれのため、何のためにあるのか、それを今回はみんなに訊いてみようと思います。
それだけでも、講義はいいのではないかと思いますが、それではいかにも愛想がないので、昨日、90枚を超えるパワーポイント作成しました。
疲れ切りました。

ところで、皆さんは、経済をどうお考えでしょうか。

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