■節子への挽歌2694:往来できる世界での別居
節子
節子も会ったことのある佐々木夫妻が来てくれました。
奥様が韓国から帰国されたので、お2人で来てくださったのです。
お2人は、節子が闘病中にわが家にも来てくれて、いろいろとアドバイスしてくれました。
節子がいなくなってからも、献花に来てくれました。
そして、まだ私が元気がなく旅行などとてもできなかった時に、私をわざわざ韓国にまで招待してくれました。
もしその招待がなければ、私は海外旅行など行く気にはならなかったでしょう。
節子が発病してから海外旅行はしていませんから、10年以上、パスポートは使っていませんでした。
あわててパスポートを取りに行きました。
まさか、海外に行くとは思ってもいませんでした。
韓国ではお2人にはお世話になりっぱなしでした。
私自身、まだ精神的にも不安定だった時期です。
せっかく、いろいろと案内していただいたのですが、私の反応は頼りないものだったことでしょう。
行くには行ったものの、心はまだわが家にあったような気がします。
それでも、その海外旅行のおかげで、その後、遠出もできるようになりました。
そして少しずつ自分自身を取り戻してきたのです。
そんなわけで、お2人にはとてもお世話になっています。
お2人は今、仕事の関係もあって、岐阜とソウルに、分かれて暮らしています。
岐阜とソウルでは、その日のうちにお互いに行ける距離です。
もしかしたら。とてもいい距離なのかもしれません。
私たちの場合は、此岸と彼岸です。
そう簡単には往来できません。
それに昔はともかく、最近は両岸をつなぐ通路も閉じられてしまったようです。
できることなら、私たちもせめて往来ができるところでの別居であってほしかったです。
時に、無性に会いたくなることもありますので。
私は、いつか此岸と彼岸とは往来できるようになるだろうと思っています。
残念ながら私の今回の現世滞在中には、それは実現できないでしょうが、もしかしたら、彼岸から此岸への道はもう開いているのかもしれません。
それに、そもそも肉体から自由になった魂は、時空間を超えて自由に飛び回れるような気がします。
だとしたら節子は私の今の人生を見ているのかもしれません。
そうであれば、たまには声をかけてほしいものです。
いや声をかけているにも関わらず、私がまだそれを受信する能力を身につけていないだけかもしれません。
仲の良い佐々木ご夫妻と話していて、そんなことを考えてしまいました。
仲良し夫婦を見ていると、とてもあったかくなります。
それでも、その後にちょっとさびしさもやってきますが。
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