■節子への挽歌2689:年賀状を書かないで10日を過ぎてしまいました
節子
まだ年賀状をほとんど読んでいないのです。
明日から読み出そうと思います。
私は数年前から年賀状を出すのをやめてしまいました。
しばらくは年賀メールを送っていたのですが、それもやめてしまいました。
それでも毎年年賀状をもらったら、メールをやっている人にはメールを、やっていない方には年賀状を出していました。
今年は、それもやめたばかりか、年賀状もきちんと読みませんでした。
とくに理由があったわけではありません。
年末以来の疲れで、なぜか世間と関わるのが無性に煩わしかったのです。
年賀状を一枚ずつ読んで、一人ひとりに返事を書くのはそれなりに面倒なので、先延ばししたくなるわけです。
フェイスブックをやっている人は、それでも私がほどほどに元気なのを知っていると思いますが、そうでない人は心配して電話までしてきてくれます。
なにしろ親戚にもほとんど出していないからです。
年が明けてからですが、なぜか面倒なことをする気が起きないのです。
三が日、ほとんど何もせずに気ままに過ごしたのが快適だったので、それになじんでしまったのかもしれません。
世間の付き合いを絶つことは、たぶん快適なことなのでしょう。
時々、それに引き込まれたくなりますが、それを体験していないので、そこに入り込む勇気がまだ出てきません。
煩わしいと思いながらも、いまはまだ、世間との付き合いの魅力が勝っているのです。
世間との付き合いを絶つことの究極は、現世での生を絶つことです。
いずれにしろ、いつかそうなるわけですから、まあ急ぐことはありません。
年賀状を全く読んでいなかったわけではありません。
元旦に届いた100枚ほどは、一応、さらっと目を通したのですが、後は名前だけです。
しかもだんだん読むのも面倒になり、いまは机に積んでいくだけです。
200枚ほどたまったでしょうか。
届く年賀状は激減していますが、でもまだこれだけの人が年賀状をくださるのだと思うと不思議な気もします。
昔はよくまあ、あんなにたくさんの年賀状を書き、多くの人と付き合っていたものです。
年賀状をくださった方、申し訳ありません。
明日から少しずつ返事を書いて出すようにします。
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