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2015/01/02

■「歴史は人間をユートピアに導きはしなかった」

今日のタイトルは、昨年読んだ山崎憲さんの『「働くこと」を問い直す』(岩波新書)の書き出しの文章です。
この文章がずっと気になっています。
そして、「私たちは何か大きな間違いをしているのではないか」と思いだしています。
一言で言えば、今はまさにユートピアではないのかということです。
それに気づかず、人は常に先を目指す、つまり「進歩」を目指す。
でもそれは人を幸せにするのでしょうか。

人は、幸せであろうと同じ状況が続くと退屈します。

アーサー・C・クラークの「都市と星」はSFの古典ですが、そこには理想の都市ダイアスパーが登場します。
そこで暮らす人たちは、1000年の寿命を得て、平安な生活を楽しんでいます。
主人公のアルヴィンは、その快適な生活に甘んじることなく、禁断の「都市の外」へと出ていくのですが、そこはユートピアとは反対の不安と危険の世界です。
いまもってよく使われるSFのひとつのスタイルです。

安心と快適な暮らしが保証されている社会と明日に何が起きるかわからない社会と、どちらが暮らしやすいでしょうか。
私はずっと前者だと思っていました。
だから、誰もが安心して快適に暮らせる社会を目指す活動に取り組んできました。

しかしその一方で、その世界から出ていくことは魅力的だと感じ、実際にはその選択肢をとってくることが多かった気がします。
明らかに人は矛盾しています。

自分の居場所がしっかりと決まっていて、やるべきミッションも決められている社会は生きやすいでしょうか。
私は、そうした社会がいいと思っています。
最近の日本企業が元気がないのは、そういう組織になってないからではないかなどとも思っています。
しかし、これもまた本当にそうなのか。
よくよく考えてみると、そんな社会や組織は退屈ではないのか、
タイトルの文章を見た途端に、なぜかそんな疑問がふっとわいてきてしまいました。
もしそうなら、考えを改めなければいけません。

人は不安や危険を臨んでいるかもしれない。
そう思って社会のあり方を考えると、違うビジョンが出てきそうです。
なぜ低所得者たちはさらに格差を広げるアベノミクスが好きなのか。
なぜ若者たちは憲法9条を捨てて戦争を好むのか。
なぜ危険だとわかっている原発再稼働を選ぶのか。
みんなもしかしたら「平安」に退屈しているのかもしれません。
そう考えれば、いろんなことが納得できます。

何か皮肉に感じられるかもしれませんが、皮肉でも逆説でもありません。
そういう風に考えることもできるということです。
そう考えれば、厭世観や人嫌いが治るかもしれませんし。

最近の世間嫌いは、自分の身勝手な「正義感」や「価値観」に呪縛されているせいかもしれません。
思考の「公理」に呪縛されている人たちばかりだと嘆いている私自身が、まさにそうなのかもしれません。
時々、そう感ずることが増えてきています。
所詮は、みんな「時代の子」なのです。

今年は、その呪縛からもっと自由になろうと思っています。
ますますわけのわからないことを、このブログでも書くかもしれません。
困ったものです。

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