« ■今年最初の「ちょっとハードなカフェサロン」のお誘い | トップページ | ■節子への挽歌2711:風邪はやめたのですが »

2015/02/03

■平和日本60年の終焉

今回のイスラム国日本人殺害事件は残念な結果になってしまいました。
すべては「後知恵」ですが、いまから考えるとこの結末は、1月20日に殺害予告が公にされた時にほぼ決まっていたのかもしれません。
中途半端な浅慮で、希望的見通しを持ったことを反省します。
時代は思っている以上に早く進んでいるようです。
改めてニーメラーの思いを噛みしめなければいけません。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2005/02/post_1.html
後藤さんが身をもって教えてくれたことも忘れてはいけません。

後藤さんの行動に関しては、さまざまな議論が起きていますが、いつものように関心が些末なところに行ってしまい、いつのまにか忘れられることが心配です。
しかし、この事件は、日本が外部からどう見られているかを示すものでもあります。

昨年の7月1日、安倍政権は集団的自衛権を閣議決定で認めました。
それは、公約にも掲げずに選挙で大勝した党首が、憲法を踏みにじった「事件」でした。
国会での審議も経ずに、この60年、守り続けられてきた「専守防衛」という国家の基本が崩され、戦争が再び国政の選択肢になったのです。
いまなお世界の常識である「近代国家思想」からすれば、それは「正常化」とも捉えることができます。
そもそも立法・行政・司法という三権分立の上にあるべき「統治」あるいは「軍事」という、近代国家の本質がこの60年の日本にはありませんでした。
しかし、それを「国家の欠陥」と考えるか、「新しい国家への挑戦」と考えるかは、人それぞれでしょう。
私は後者と考えていました。
日本国憲法はアメリカ政府によってつくられたかどうかの議論も盛んですが、統治なき近代国家の実験こそは、新しい世界への挑戦として大きな意味があると考えてきました。
それはまだ、アメリカという暴力管理下型の近代国家のサブシステムでしかなかったかもしれませんが、そこから得た知見は大きく、それを基本にした「新しい世界」構想が可能なのではないかとさえ期待していました。
昨年の7月1日の閣議決定は、それを否定して、歴史を引き戻すことになりました。
日米同盟の事実が、にわかに大きく感じられるようになってきました。

今回の事件が、こうしたことによって引き起こされたとは思いませんが、無縁でもないように思います。
イスラエル国家の樹立をテーマにした映画「栄光への脱出」の最後のシーンを思い出します。
この映画は明らかなプロバガンダ映画ですが、イスラエル国の成立と同時に、仲よく暮らしていたユダヤ人とアラブ人が殺し合いを始めます。
主人公アリ(ユダヤ人)の盟友だったアラブ人は、アリに別れを言って去った後、仲間に殺されてしまいます。
なぜかその時に感じた哀しい記憶を今回思い出しました。
先日紹介した、ボスニアの少年が言ったように、
政治こそが世界に毒を撒いているのかもしれません。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2015/01/post-1bf3.html
そういう政治ではない政治の可能性を、日本の60年に期待していたのですが。
残念でなりません。
たぶんもう元には戻らないでしょう。

|

« ■今年最初の「ちょっとハードなカフェサロン」のお誘い | トップページ | ■節子への挽歌2711:風邪はやめたのですが »

平和時評」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30899/61078863

この記事へのトラックバック一覧です: ■平和日本60年の終焉:

« ■今年最初の「ちょっとハードなカフェサロン」のお誘い | トップページ | ■節子への挽歌2711:風邪はやめたのですが »