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2015/02/11

■節子への挽歌2717:仏たちに会いたくなりました

節子
今日は父の命日なので、いまお墓に行ってきました。
父の葬儀の日は実に寒い日でした。
節子の父も12月に亡くなりましたが、その日も雪の降る寒い日でした。
あの頃は、まだ人が死ぬとはどういうことか、よくわかっていませんでした。
伴侶を見送った母や義母の気持ちなど、まったくわかっていなかったことに気づいたのは、節子がいなくなってからでした。
体験しなければわからないほど、私は愚鈍でした。

今日も寒いですが、陽射しがあるので気分的には暖かです。
寒いと心身が委縮してしまい、何もやる気が起きません。
それで午前中、録画していた「みちのくの仏像」展の紹介テレビを見ていました。
いま東京国立博物館で展示中です。
行きたいと思いながら、忘れてしまっていました。
幸いに娘が録画していて、思い出させてくれたのです。

東北の仏像は、これまでほとんど拝顔したことがありません。
いずれもとても個性的です。
仏像の表情は、時代や社会を反映しています。
私はどちらかと言えば、端正な表情が好きなのですが、東北の仏たちは、けっこうおどけた表情をしていました。
とても親しみが持てる感じです。
やはり展示会に行きたくなりました。
仏に会えば、気分も変わるかもしれません。

こうした時も、節子がいた時にはすぐ予定が決まり、行くことになったのですが、一人だといつでも行けると思いながら、結局は行かずに終わることも少なくありません。
その結果、ますます出不精になってしまっています。
しかし、来週には東京博物館に行ってみようと思います。

テレビで紹介された仏の中に、初期の円空仏がありました。
言われなければ円空の作品だとは気づかないでしょう。
円空は、どういう気持ちで、あれほどたくさんの仏を生み出したのでしょうか。
初期の円空とその後の円空は、世界観が全く違っていたのでしょう。
何がそうさせたのでしょうか。
観念の仏ではなく、たぶんどこかで円空は仏に出会ったのでしょう。
そんな気がします。

人はめったに仏には会えません。
でもひょっとした時に、仏を感ずることはあるはずです。
そして、自分の中に仏のイメージをしっかりとつくり上げている人もいるでしょう。
私にも、私の仏のイメージが心身の中にあります。
さまざまな個性的な仏像を見ながら、そんなことを考えていました。

午後から畑に行って、少し耕しだそうと思っていましたが、寒いのでやめました。
風邪はもう大丈夫でしょうが、気を許してはいけません。
まだどこか完全ではないような気もしますので。
午後もまた怠惰な1日になりそうです。
仕事場に暖房がないのが問題ですね。
仕事がまったくできません。

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