■節子への挽歌2721:死後生
先日、何気なくテレビを見ていたら、柳田邦夫さんが「死後生」について語っていました。
その時は聞き流してしまったのですが、今日になってなぜか思い出しました。
何の番組だったのか思い出せないので、内容も確認できません。
柳田邦男さんは、その著者の中で「死後生」について書いてきていますが、私はまだきちんと読んだことがありません。
それでネットで調べてみました。
昨年の「静岡新聞」の元日に、柳田さんと政治学者の中島岳志さんの対談記事があることを知りました。
そこで、柳田さんはこう語っています。
数百人分の闘病記や追悼記を読むうちに気づいた。柳田さんは息子さんの死を体験されています。
死者は生きているじゃないかと。
愛する家族や友の心の中で「死後生」を生きている。
逆を言えば、より良い死後生のために心して今を生きなきゃいかん。
40年かけてたどり着いた死生観です。
その人にして、この死生観ですから、とても心に響きます。
その柳田さんが、「より良い死後生のために心して今を生きなきゃいかん」と語っていることを今日初めて知りました。
「奥さんのために」とか「奥さんは喜んでいない」などと言われると大きな反発を感じますが、柳田さんのこの言葉は、むしろ実感として素直に響きます。
にもかかわらず、ともすると忘れてしまうことでもあります。
死後生。
死後を生きる。
大切な人を見送ると、そのことがよくわかってくる。
いや、そう思わないと、その死を受け入れられないのかもしれません。
柳田さんは、さらにこう言うのです。
私はね、死者ほど精神性のいのちが躍動し、本質に迫る言葉を発する存在はないと思う。心の奥底まで響いてきます。
それに気づいたのは、息子が自死を図った20年前です。
脳死状態にありながら彼は、人間の苦悩をどこまで分かっているのか、と鋭い問いを父親に突きつけてきた。
終末期医療の取材を積み重ねながら、死の本質に触れていなかったと思い知らされ、生と死について考えを深める契機になった。
節子もまた、半分彼岸に旅立っていた1か月、私に鋭く問いかけていたのです。
いまから思うと、私はその問いかけを逃げていたような気がしてなりません。
もしかしたら、節子は最後に私への愛想が尽きていたとしても、おかしくないと最近思うことがあります。
昔、会社時代に、柳田邦男さんの取材を受けたことがあります。
喫茶店で1時間ほど話をさせてもらいましたが、あんなに誠実に真摯に取材されたことは前にも後にもありません。
その柳田さんの言葉は、単なる言葉ではなく、たくさんの死後生たちのいのちの声のように私には響きます。
もっと誠実に真摯に生きなければいけません。
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