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2015/02/01

■後藤さんの行為を無駄にしないために思うこと

イスラム国に拘束されていた後藤さんが殺害されたというニュースが流れています。
それもかなり信憑性は高いようです。
事実であるとすれば、実に悲しく、また恐ろしいことです。
終始、毅然としていた後藤さんの生き方に、深い敬意を感じます。
いまの報道が事実でないことを、いまもなお祈りたいと思います。

「非道で卑劣」な行為と相手を責めているだけでは、後藤さんは喜ばないでしょう。
語るのさえおぞましい事件ですが、後藤さんの生命を賭した行動から、私たちは学ばなければいけません。
どんなに「非道で卑劣」な行為に見えても、物事には必ず理由と意味があります。

昨日も書いたように、カルドーは「恐怖と憎悪を蔓延させる戦略に対抗して、人々の感情と理性を育むという戦略」が大切だと語っています。
私には、この言葉が深く心に響きます。
毅然としてテロに立ち向かうことは必要ですが、それは相手を非難し暴力的に抑え込むことではないはずです。
テロを引き起こす状況を克服することにこそ、毅然と立ち向かうことでなければいけません。
恐怖と憎悪の罠に陥ることだけは避けたいものです。
それでは、相手と同じ存在になってしまいかねません。
大切なのは、相手の立場と思いに誠実に耳を傾けることでしょう。

問われるべきは、「彼らはなぜこんな非道で卑劣な行動をしたのか」ではなく、「私たちはなぜ彼らにこんな行動をさせてしまったのか」であるべきでしょう。
そして、自らにもまた、相手にとっての「非道で卑劣な行為」はなかったかを問い質すべきです。
相手を責めるだけでは、問題は解決できません。
まずは、自らが正すべきことはないかを考えることで、事態は変わっていくでしょう。

エジプトで安倍首相が発信した2億円支援をイスラム国は口実にしました。
これは戦闘に加担することではなく、人道支援だと日本は応じました。
しかし、そうした論理への異議申し立てこそが、イスラム国を支えている論理かもしれません。
たとえば、カルドーはすでに15年ほど前に「新戦争論」でこう書いています。

私は、実際の人道的介入は、「新しい戦争」の性質について、一種の近視眼的な認識に縛られてしまっていた点を強調したい。
人道的介入は戦争を阻止することに失敗したのみならず、実際にはさまざまなやり方で戦争が継続することさえ助けたかもしれない。
これだけ引用すると誤解されるかもしれませんが、カルドーは事例を含めてていねいに説明しています。
そして、新しい戦争においては、闘い合う敵同士にさえ、戦争経済面での多層的な依存関係が生まれることも示しています。
人道的介入という言葉で、思考停止してはなりません。
「介入」である以上、戦いの構造をきちんと踏まえておかなければいけません。
わかりやすい例は、アメリカ軍によるイスラム国への空爆です。
空爆はイスラム国を標的にしていますが、イスラム国支配下の住民を殺害してしまうことで、逆効果を生み出す危険性も持っています。
つまり「戦いの構造」と「戦いの目的」が変質していることを認識しなければいけません。

長くなってしまいました。
今回、私が学んだことのひとつは、世界から見たら、日本はもう「平和国家」の道を捨てつつあると思われているということです。
私たちの日本も、イスラム国化していくのかという恐怖です。
今回の事件は、そうした危機への警告のような気がします。

シリアには行けませんが、国会前のデモや都内の集会には、私でも行けるはずです。
シリアの子どもたちのところには行けませんが、私の周りに人たちにささやかなエールを送ることは私でもできます。
シリアに入る前の後藤さんの表情は、とても明るかったのが印象的です。

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