■時評が書けません
「絶望という抵抗」という本を見つけました。
辺見庸さんと佐高信さんの対談です。
読むとますます落ち込むだろうなと思いながらも、前書きとあとがきのお2人のメッセージを読みました。
佐高さんが、こう書いていました。
「7月1日の集団的自衛権行使の閣議決定以来、私自身、身体的変調を来たし、ジンマシンが容易におさまらない」
昨日も湯島の集まりに来てくれた友人は昨年末の選挙の後、おかしくなりそうだと言っていたのを思い出しました。
なんとまあ醜い時代になったことか。
にもかかわらず、世論調査によれば安倍政権の支持率は上昇していると言います。
自分もその一人であることも忘れて、日本人を軽蔑したくなります。
そのせいか、時評が書けません。
しかし、昨日、湯島で、ちょっとハードなカフェサロンをやりました。
矢部さんの『日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか』を読んだ友人が、放っておけないでしょうと、サロンを主催してくれたのです。
11人の人が集まってくれました。
この時代においてもまともな大学教授のHさんが、あきらめてはいけないと言っていたのを思い出しました。
そのHさんは、昨日も参加して下さり、40年前の著書「社会科学としての保険論」を読むようにと渡されました。
これも「あとがき」を読みました。
Hさんが40年以上も誠実に生きていることを知って、自らの甘えを反省しました。
それにしても、と思います。
この時代の流れはもう反転しないのだろうか、と。
社会や歴史は、個人の思いを吸い取りながら動いていくようです。
流れに抗う思いも、すべては大きな流れを勢いづけるだけなのかもしれません。
民主主義とか自由とかを口実にしたトリックが、しっかりと仕組まれている。
そこから外れるとテロと名指され、挙句の果てにはイスラム国や北朝鮮のように、大きな流れを勢いづけるための道具にされていく。
名もない庶民の一人として、テロ行為さえをも自らのエネルギー源にしてしまう時代の奔流に飲み込まれないように生きていくには、どうしたらいいか。
昨日のサロンで少し元気をもらったので、来週からは時評編を再開できるかもしれません。
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