■節子への挽歌2709:ジャーナリストの後藤さんの死
節子
風邪は今回は迅速な対応でなんとか防げそうです。
先週はインフルエンザやのど風邪の人と身近で話し合うことがありましたので、今回は大事にしたのです。
のどの調子がまだ悪いですが、なんとか乗り越えられそうです。
でもまあそんなわけで、今日もまた1日、休んでいました。
テレビは「イスラム国」に殺害されたと思われる後藤さんのニュースばかりです。
これに関しては、時評編に書きましたが、私はこういう事態をもたらしたのは政府の対応に大きな理由があると思っています。
政府の意図に従っての結果なのではないかとさえ思います。
日本はまさに「戦争」ができる国に向かいだしました。
80年前もこんな感じで、日本人は戦争に向かっていったのでしょう。
そんな気がしてなりません。
節子は幸せな時代に旅立ちました。
節子がいたらテレビを観ながら、こんな話ができるのですが、一人でテレビを観ていても、実に退屈なのです。
しかし、人間の死は突然にやってくるものです。
後藤さんはまさかこうなるとは思ってもいなかったでしょう。
後藤さんの元気な映像を見ていると、悲しみよりも、いまも後藤さんが生きているとしか思えません。
人はまさに「記憶」の中でも生き続けているものなのです。
この事件がなければ、私の世界に後藤さんが生きることはなかったでしょう。
そう考えるととても不思議です。
やはり喉がおかしいです。
もう寝ましょう。
困ったものです。
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