■節子への挽歌2725:生き方が間違っていたようだ
節子
今日は大阪にいました。
いい天気で、コートはいらないほどでした。
新大阪駅界隈で、朝からいろんな人たちに会いました。
人に会うと元気がでます。
いろんなところに友人がいることはとても幸せなことだと改めて思いました。
会社時代の友人にも会いました。
昔、一緒に萬福寺に行った吉田さんです。
入社は同期ですが、年齢は私よりも上で、入社時代、いろいろとお世話になりました。
考えてみると、その頃から私はいろんな人のお世話になる存在だったようです。
要は頼りなかったのでしょう。
その吉田さんが、こう言いました。
最近、自分の生き方は間違っていたような気がする、と。
実は最近、私もそう思うことがあるというと、吉田さんは、自分だけではないのかと少し安堵したようでした。
吉田さんは、最初に会った時から、実に個性的で素直な生き方をしていました。
つまり「自分の生き方」をしっかり持っている人でした。
ですから、この言葉を聞いた時は意外だったのです。
しかし、吉田さんにしてそうであれば、そう考える人は少なくないのかもしれません。
かくいう私もそうですし。
もしかしたら、それが歳を重ねるということかもしれません。
もちろん、だから後悔しているということではありません。
ただどこかおかしいことに気づいたということです。
自分の生き方を相対化できるようになったと言ってもいい。
そう思って、これまでの自分の生き方を振り返ると、たしかにおかしいのです。
しかし、「おかしい」ということは,よくいえば、「自分を生きてきた」とも言えるのです。
過去を振り返って、悔いや迷いのない生き方は、退屈な生き方かもしれません。
もしもう一度、人生があるとしても、多分、私も吉田さんも今回と同じような「間違ったかもしれない生き方」するような気がします。
しかし、吉田さんがなにかまじめに、そうつぶやいたのが心に残りました。
吉田さんと会った前後にも、実に個性的な生き方をしている人と会いました。
もうお一人だけ、書いておこうと思います。
節子の知らない人ですが。
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