■節子への挽歌2712:「偉大で輝かしい冒険」
節子
今日は節子の誕生日です。
もし現世にとどまっていたら、70歳ですね。
70歳の節子は想像ができませんね。
まあ73歳の私も想像できませんが。
死者の特権は、歳をとらないことかもしれません。
最高の時に死を迎えるのも、ある意味では幸せかもしれません。
そんなことを言うと、不謹慎の誹りを受けるでしょうが、そんな思いも持てるようになってきました。
念のために言えば、節子がそうだったという意味ではありません。
節子にはもう少し生きていて、その最高の時を迎えてほしかったと思います。
残念ながら私たち夫婦は、そんな「最高の時」を迎えることなく、私も含めて、人生を終えてしまったような気がしています。
まあ、こういうのを「強欲」というのかもしれませんが。
先日、テレビの番組でコナン・ドイル(シャーロック・ホームズの生みの親)の最後の言葉を知りました。
読者は私がたくさんの冒険をしたとお思いだろう。最高の時、よりももっと大きな人生が、旅立ちの後にある。
でもこれからなによりも偉大で輝かしい冒険が私を待っている。
そう思うと、また世界は違って見えてきます。
現世では、私と結婚すること自体が、たぶん節子には大きな冒険だったはずです。
みんなから反対され、あまり常識的でない生活に付き合わされたのですから。
でもまあ、私たちには十分にワクワクするような人生も少しだけ楽しんだことは、節子も賛成してくれるでしょう。
節子はいま、彼岸でどんな冒険をしているでしょうか。
私が行くのを待っているのでしょうか。
まあ、そんなことはないでしょう。
もう少し私は現世に滞在することにしました。
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