■節子への挽歌2727:平等院のお地蔵さん
節子
平等院で線香立を買ってきました。
なぜかお地蔵さんの線香立でした。
地蔵菩薩と平等院は、私の頭の中ではつながらないのですが、地蔵菩薩は阿弥陀如来の化身とも言われていますので、考えてみれば不思議ではありません。
しかし、やはりピンときません。
阿弥陀如来の居る浄土は、私にはとても遠い感じですし、なんとなく貴族的なイメージがあり、あまり行きたくはありません。
それに比べて、地蔵は庶民的で、しかも極楽浄土と違って現世に隣接している気がします。
私の好みはやはりお地蔵さんです。
もっとも、阿弥陀仏もお地蔵さんも、その誓願は似ています。
いずれも宮沢賢治的なのです。
衆生みんなが成仏しなければ自らの悟りは得ないと決めているのです。
つまりすべての人の成仏を願い、保証しているわけです。
弥勒にはなにか不安を感じますが、阿弥陀や地蔵には安心をもらえるのです。
ところでお地蔵さんの線香立ですが、わが家の小さな仏壇にはぴったりなのです。
しかし、むすめからは平等院に行って、なんでお地蔵さんなのかと言われてしまいました。
それもこんな子供が喜ぶような、お線香立なのかと。
まあ言われてみればそうなのですが、阿弥陀のミニチュアもあったのかもしれません。
しかし、ミュージアムショップに入った途端に、このお地蔵さんが目に入ってきたため、他は何も見ずに、選んでしまったのです。
相変わらずの「視野狭窄」です。
今朝は、このお線香立で、2回もおまいりをしました。
節子もきっと、好みでしょう。
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