■節子への挽歌2720:いつまでも自慢の子ども
節子
息子さんを亡くされた方からメールが来ました。
こう書かれていました。
母親にとって子供というのはいつになっても自慢の子供です。過去形で書かれているのが気になりますが、それはそれとして、この方のお気持ちはよくわかります。
ですが、亡くなった子供の事をいつまでも言っていると、
友人や家族にさえもうんざりとされてしまうんです(;^ω^)
ですので、言いたくても言えない人もかなりいらっしゃると思っております。
そういうお母さんに集まってもらい、自分の(亡くなった)子供の年表のようなものを
作って自慢をしていただこうと思っていたのですが。
それに、これは私にも当てはまることだからです。
「亡くなった妻の事をいつまでも言っている」ので、たぶんうんざりされている人も少なくないでしょう。
挽歌以外では、言ってはいないつもりですが、時に話し出してしまうこともないわけではありません。
この挽歌も、あまりに長く続いています。
でもまあ、同じように娘さんを亡くされた方も、ずっとブログを書き続けています。
http://d.hatena.ne.jp/mikutyan/
その方からは時々エールを送ってもらっています。
時に、そのブログに私の挽歌も取り上げてもらってもいます。
まだお会いしたことはない方ですが、どこかで心が通じています。
自慢の子どもに比べて、節子は私の「自慢の妻」だったわけではありません。
自慢でないからこそ、愛おしさや悲しさがあるのかもしれません。
それに、いつになっても私の妻であることは間違いありません。
疎まれようとも、挽歌は続けていこうと思います。
| 固定リンク
「妻への挽歌14」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌2800:不安や怒りのはけ口のような存在(2015.05.23)
- ■節子への挽歌2799:支えてくれる人が無性にほしくなりました(2015.05.22)
- ■節子への挽歌2798:来客の合間(2015.05.21)
- ■節子への挽歌2797:ひがみ根性を捨てなければいけません(2015.05.20)
コメント
佐藤さんリンクしてくださって、有難うございます。
いつまでも自慢の子ども・・・
よくわかります。
亡くなった娘を思いっきりほめて、自慢しようと思っています。
生前なら恥ずかしくて、決してそんなことしませんよ。(笑)
投稿: 大浦静子 | 2015/02/13 23:13
大浦さん いつもありがとうございます。大浦さんのような気持ちをお持ちの方はたくさんいると思います。そうしたことを素直に話せる場がもっとたくさんあるといいですね。湯島でも一度やってみてもいいかなと思い始めています。
投稿: 佐藤修 | 2015/02/14 08:28