■人間ロボット社会
新しい経済は、政治にも深くかかわってきますので、「新しい経済」シリーズと並行して、イスラム国事件から発したシリーズも並行して続けます。
イスラム国の兵士たちを見ていると(もしテレビ報道が正しいとしてですが)、個人の主体性は奪われていて、ロボット兵士のように感じます。
自爆テロリストにも2種類あるでしょうが、子どもまでも「自爆者」に仕上げるというやり方は、人間から主体的な思考を剥奪しているとしか思えません。
彼らは「大義」のために消費される存在であり、いわば「体制」のための部品です。
であれば、人間というよりも、ロボットに近い存在です。
そうした人間ではないロボットと戦うのですから、大変です。
しかし、ではロボット兵士を相手にしている有志連合や日本の人たちはどうでしょうか。
こちらもロボット化しつつあるのではないかという思いが拭い切れません。
報復合戦になってきている状況を見ていると、行動がかなり対称的だからです。
戦うことが目的化した社会は恐ろしい。
そういえば、オウム真理教による犯罪の実行者も、同じようでした。
彼らは自ら思考することなく、指示に従って行動したように思います。
どうもこうしたことは、今回に限ったことではなさそうです。
人間の本性に関わっているのかもしれません。
「民意のつくられかた」という本で、ジャーナリストの斎藤貴男さんは、集団的自衛権の閣議決定に関連して、「事態の重大さに照らせば、この国の世論の寛容さは異様なほどではあるまいか」と書いています。
寛容さには、思考による寛容さと思考停止による寛容さ(無関心さ)があるのかもしれません。
もしかしたら、私たちもまた、ロボット化の道を進んでいるのかもしれません。
そういえば、企業の経営管理者の研究会で、会社で働く人は「部品」のようになってしまったという話になったことがあります。
会社の部品、つまりロボットです。
まさに「マトリックス」の社会です。
これが私たちの目指す社会なのでしょうか。
そんなはずはないのですが。
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