■節子への挽歌2728:老害注意
節子
今年は温暖の差が激しいですが、私の生活の緩急の差もかなり激しいです。
心身がどうもついていきません。
もっともそうした緩急の差をつくりだしているのは私自身なのですが、動き出すと次々と関心が広がり、余計な寄り道ばかりしてしまうからです。
そのうえ、一番早く取り組むべきことが、いつも最後になるのです。
この性癖は最後まで直りそうもありません。
今日は古くからの知り合いの2人の編集者をお引き合わせしました。
面白いプロジェクトが生まれそうです。
お2人とも20年以上前からの付き合いですが、最後にはっと気づいて、2人に年齢をお聞きしました。
50代後半なのです。
知り合った頃は30代でしたが、私自身はまだその感覚でいたのです。
私がもう隠居した「過去の人」に見えるのは、当然です。
ところが、困ったことに私にはその実感がないのです。
その一方で、私よりも上の世代の人たちと会うと、その加齢ぶりが伝わってきます。
冷静に考えれば、私も加齢でもう「よれよれ」になっているのでしょう。
そういえば、昨日もある人に会いに行ったら、開口一番、「お元気そうでうれしいです」と言われました。
その意味をきちんと受け止めていなかった自分に、今日、改めて気づきました。
自分のことはなかなか気づかないものなのです。
もうよれよれの年寄りだという自覚をしっかりと持たねばいけません。
そうした状況にもかかわらず、今年になって取り組みたいことがどんどん増えているのです。
そしてついつい余計な口出しもしてしまう。
そのうえ、頼まれもしないのに、京都や大阪までで行ってしまう。
これは「老害」かもしれません。
自重しなければいけません。
それにしても、こんなに面白いことが山のようにあるのに、どうしてみんなやらないのでしょうか。
それで、ついついいろいろと関心を持ってしまうのですが、意識はともかく、身体がついていかなくなってきているようです。
まあ動けるうちは、もう少し動こうと思いますが、老害には気をつけようと思います。
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