■節子への挽歌2734:1週間のご無沙汰でした
節子
1週間、挽歌も時評も書きませんでした。
挽歌を書き始めてから1週間も書かなかったのは初めで、番号も10回ほどずれてしまいました。
いろんなことが起きて、頭が回らなくなったのですが、同時に体調もあまり良くなく、お腹がしくしくと痛かったり、首が回らなくなったり、頭が重かったり、無性に眠かったり、身体にまで不具合が出てきています。
気が滅入っている時には、どんどん悪いほうに考えがちです。
いやもしかしたら、このままダウンしたいという無意識の願望があるのかもしれません。
もちろん悪いことばかりではなく、うれしい話もあったのですが、この間、かなり自宅に引きこもりがちでした。
私の場合、仕事をしなければいけない時にはむしろ自宅に引きこもるのですが、今回に限って言えば、仕事をするためというよりも、逃避的な意味合いが強いです。
しかし、中途半端にいろいろと動き出したこともあって、パソコンに向かうとやらなければいけないことが押し寄せてきます。
無視すればいいだけの話ですが、どうもそれができずに、余計なお世話に時間を割いてしまうのです。
ですからパソコンも開かず、ブログもお休みというのもあるのですが、西部劇のセリフではありませんが、一度、逃げてしまうと逃げ続けることになり、たぶん元には戻れなくなります。
それは避けたいと思います。
挽歌を書かなくなれば、たぶん生きる気力はさらに低下するでしょう。
そろそろ立ち直らなければいけません。
今日は本当は、時間をとって畑に行くつもりだったのですが、急用ができてしまい、行くタイミングを失してしまいました。
土にも癒してもらえませんでした。
時評も書けずにいますが、最近ニュースを見たくなくなったのです。
テレビをつけると、18歳の少年が・・・という言葉ばかり耳に入ります。
もうあのニュースは見たくないのです。
18歳の少年を追い込んだ人たちは気づいていないでしょうが、あのニュースを無神経に流し続ける大人たちの方が狂っているとしか思えません。
そういう狂った社会を相手に時評を書いても、ただただ虚しいだけだからです。
最近、自分の居場所が見つからないのです。
節子に助けてほしいです。
とまあ、愚痴をこぼしてしまいましたが、教からブログを復活させようと思います。
| 固定リンク
「妻への挽歌14」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌2800:不安や怒りのはけ口のような存在(2015.05.23)
- ■節子への挽歌2799:支えてくれる人が無性にほしくなりました(2015.05.22)
- ■節子への挽歌2798:来客の合間(2015.05.21)
- ■節子への挽歌2797:ひがみ根性を捨てなければいけません(2015.05.20)
コメント